『日本語全史』

執筆日時:

日本語全史 (ちくま新書)

日本語全史 (ちくま新書)

この前読んだ英語の歴史の本が割と面白かったので、今度は日本語の歴史の本を読んでみようと思い、Kindle で購入。この前の東京行の間に読んだ。

blog.daruyanagi.jp

関係ないけど、飛行機のプレミアムクラスは読書に最適な空間だ。まず、ネットが使えないから読書するしかない。シートは広く、リクライニングも自在。客層がよく喧騒に巻き込まれることがないのも快適だし、しかもきれいなアテンダントさんがあれこれ世話を焼いてくれる。まさに読書に集中しろって感じの空間だ。あとは、ノイズキャンセリングヘッドフォンがあれば最高やな。ワイヤレスのやつを今度買おう。

話がだいぶそれた。

日本語の全史を一冊でたどる初めての新書。日本語の変遷を古代(前期・後期)/中世(前期・後期)/近世/近代という時代ごとに、総説・文字・音韻・語彙・文法の五つに分けて整理していく。日本語は世界の言語の中でも比較的、古代からの変遷が少ない。であればこそ、現代語との関わりのなかで、日本語史を記述していくことが可能となるのだ。日本語の変遷の全体像がわかるだけでなく、現代の一部の慣用表現や方言などに残る過去の日本語の痕跡をたどっていく謎解きとしても楽しめる一冊。

内容は自分で読めばいいと思うので、深くは紹介しないけれど、割と知らないことが多くてビックリした。

たとえば「日本語には本来、接続詞はなかった」らしい。和漢混交文を使うようになり、必要に迫られて発生したんだな。和歌で接続詞はあまり使わないというのも、指摘されて初めて気が付いた。それ以外にも、漢語の影響は大きい。音読み・訓読み、ルビ、語彙の借入と造語(輸入一辺倒ではなく輸出もしている)などなど……まぁ、この辺りはさんざん言われていることで復習って感じだけど、「餃子(ギョーザ)や焼売(シュウマイ)は読める」ってのも改めて指摘されると面白くない?

あと、発音の歴史的変遷も興味深い。

まず、音韻体系の違いを乗り越えて、日本人がどのように漢音・呉音・唐音を受容してきたのか。中国における漢字の発音は時代とともに変化しているので、日本語の読みはその“化石”資料としても使える。

むかしこんな動画をニコニコ動画で観たのだけど(好きだけど、正しいかどうかは知らない)、上代特殊仮名遣いや音韻に詳しい本があったら読んでみたいかな。

一方、日本語の発音・綴りも、時代により変化している。たとえば、日本語にはもともと濁音が語頭にこないという法則があった。それが平安時代になると次第に、語頭の濁音が増えてくる。抱く(いだく → だく)、出る(いでる → でる)、何れ(いづれ → どれ)など。その濁音も割と最近までは、前に[n]や[m]を伴う鼻濁音であったらしい。侍り(はむべり)、自然(しんぜん)、彼岸(ひんがん)など。古代におけるサ行は拗音(シャ、シィ、シュ、シェ、ショ)だったらしいが、漢字音との出会いで次第に直音(サ・シ・ス・セ・ソ)に整理されていった。……ちゃんと五十音通り発音しているかどうかは別として、頭の中では。

そもそも、僕らが習う五十音は、きっちり体系化されていない。たとえば、戦国時代に来日した宣教師たちには五十音がこんな感じに聞こえたようだ(拗音は除いてある)。

a	i,y	u,v	ye	uo,vo
ca	qi	cu	qe	co
sa	xi	su	xe	so
ta	chi	tcu	te	to
na	ni	nu	ne	no
ma	mi	mu	me	mo
fa	fi	hu	fe	fo
ma	mi	mu	me	mo
ya		yu		yo
ra	ri	ru	re	ro
ua,va

ga gui gu gue go za ji zu je zo da gi zu de do ba bi bu be bo pa pi pu pe po

整然と――と呼ぶにはあまりにも混乱していると思う。自分はこれに気付いたのは大学でフランス語を学んでいるときで、自分が[す]だと思って発音していた音が[su]ではなかったと悟ったときは軽いショックだった(日頃「~です」は「~des」っぽく発音してるはず)。日本人が英語の発音を苦手としているのも、案外「自分たちがどう発音しているのか知らない」ことにあるのではないか。僕たちは発音を頭の中で勝手に“丸めて”文字に転記している(これは日本語だけではないのかもしれないが)。はひふへほで[ふ]だけは「h」ではないが(これは古代の発音が ふぁふぃふふぇふぉ っぽかった名残らしい?)、脳みその中では[f]に整理されてしまっている。

これはある意味、重大な問題だ。

たとえば、日本では明治時代から国語をローマ字表記にしようという動きが散発しているが、そもそも自分たちがどう発音しているかもよく知らないでどうローマ字に転写するのだろう。訓令式とヘボン式、どちらにするかでは済まない問題だと思うのだが。

ローマ字表記がかならずしも日本語の発音を表していないという問題は、観光客向けの地名案内をどう表記するかという問題にもかかわっている。試しに適当な地名を(日本式のローマ字綴りを知らない)外国人に伝えて、それをローマ字に綴ってもらってみてはどうか。たぶん、僕たちの綴りとかなり違うのではないだろうか。周防町は本当に「suoumachi」だろうか。自分はかなり怪しいもんだと思う。

また話がそれた。

そもそも五十音の段がアイウエオ順に固定されたのは十二世紀初めから。それまではいろんな並び方があった。行がアカサタナ順になったのはさらにおくれて十三世紀後半からで、現行の状態に定着するようになったのは十七世紀に入ってから。もちろん、それまで辞書の言葉はアイウエオ・アカサタナ順じゃなかった。そういう話も面白いと思う。最初にアイウエオ順で辞書を作った人、あったまいい!

別にこの本を読んでも日本語がうまく話せたり、うまく書けるようになることはない。でも、学生の頃、古文や漢文、国文法に飽いたとき、こういう知識があれば苦しみが少しは緩和されたんじゃないかなぁ、と思った。