『黒い悪魔』
執筆日時:
- 作者: 佐藤賢一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/08/04
- メディア: 文庫
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カリブ海に浮かぶサン・ドマング島に農場をもつダヴィ・ドゥ・ラ・パイユトリ侯爵と、黒人の奴隷娘との間のムラートとして生まれたトマ・アレクサンドルの物語。
トマ・アレクサンドルは奴隷として父所有のモノとは異なる農場で働いていたが、嗣子を失ったパイユトリ侯爵は“買戻し”契約を行使し、トマ・アレクサンドルをパリへ呼び戻す。しかし、やがて愛人と正式な結婚をすることになった侯爵はトマ・アレクサンドルの存在が疎ましくなる。自尊心の高いトマ・アレクサンドルはそれを嗅ぎ取り、自ら率先して侯爵の地位を捨て、平民“トマ・アレクサンドル・ドゥマ”となり、軍隊の道を歩むことを決意する。ちなみに、ドゥマとはドゥ・マス(農場の)に由来する名前らしい。
しかし、貴族の地位を捨てたアレクサンドル・ドゥマの出世は、遅々として進まなかった。肉体に大変恵まれ、入隊当日に上官相手に大暴れした結果、連隊の名主的な地位を早々に占めたドゥマだったが、アンシャンレジームの時代、下士官以上は基本的に貴族が独占するものと相場が決まっており、それ以上の地位は望むべくもなかった。自信の才能の高さを自負するドゥマにとって、それは奴隷時代の越えがたい身分の壁を感じさせるものだ。
―しかし、パリで革命がおこり、「人間と市民に関する宣言」が採択されると、状況は一変する。
もはやドゥマは黒人でも平民でもない。市民である。よって、才能次第ではどこまでも出世できるはずだし、誰と結婚しても自由だ。ドゥマは一夜にして共和主義者となり、ヴィル・コトレ村の名士の娘、マリー・ルイーズに求婚する。マリーの父に一度は「せめて軍曹でないと」と断られるも、ドゥマは意に介さない。なんとなれば、マリー・ルイーズが囁いた通りなのだから。「時代は変わるわ」
その後のデュマは、まぁ、いろいろ紆余曲折はあれ、破竹の勢いで出世していく。戦場では「黒い悪魔」という異名を頂戴し、革命の混乱に乗じて、軍曹はおろか、旅団長にまでのし上がる。念願のマリー・ルイーズも手に入れ、まさに人生の絶頂を迎えた。
(『ナポレオン ―獅子の時代』 - だるろぐ で活躍するドゥマ氏)
ところが、陰ながらドゥマの才能と人間性を認め、ドゥマもまた心酔していたロベスピエールがギロチンの露と消え、ナポレオン・ボナパルトが台頭すると、人生の歯車が少しずつ狂っていく。
もともとドゥマはプライドが高すぎて上官とソリの合わないタイプではあったが、ナポレオンが国家と自分を同一視し、共和主義を蔑ろにすることに耐えられなかった。結局、エジプト遠征がドゥマの軍人としての最後の舞台となる。帰国途中イタリアで捕虜となり、牢獄生活で心身を損ねたドゥマは、復帰を望みながらもヴィル・コトレ村で44歳の生涯を終えることとなった。
そんなドゥマだが、晩年は短いながらも満ち足りた時間を過ごしたらしい。
黒人であり、平民であるという引け目から熱烈な共和主義者となり、理想のために命を顧みず戦場を疾駆し、上司と反目して昇進を捨て、死後には遺族年金まで止められたドゥマだったが、すべてを失ってなお、妻と息子とヴィル・コトレの村が残されていた。とくに息子は可愛い。自分はもうダメだけれど、この息子が世界に飛び出す踏み台になれるなら、俺の馬鹿な人生も馬鹿なりに無駄ではあるまい。
「そのためにお父さんは、お前を王さまのように育てよう」
自然児デュマも、晩年になってようやく自らが殉じてきた民主主義と共和主義の神髄を知ったようだ。さわやかな読後感がグッド。彼をモチーフにして息子が書いた『三銃士』も、また読んでみたくなった。