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だるろぐ

明日できることは、今日しない。

『墨子』(東洋文庫)

墨子 (東洋文庫)

墨子 (東洋文庫)

『墨子』は講談社学術文庫とちくま学芸文庫で読んだけど、どちらも抄訳で、未収録の部分が多かった。それ以外の部分にも触れてみたかったので、生まれて初めて東洋文庫を買ったけど……やっぱ、白文ぐらいはほしいぞ! とくに『墨子』は欠損も多くて、校訂や解釈で補ってる部分が少なくない。それを意味が通じるように意訳しているのだから(意訳自体は読みやすくていいと思った)、白文がないと大変困る。

書き下し文も付けろとは言わん、でも、白文ならそんなにスペースはとらないはずで、お値段が上がってもお願いしたいところだ。

まぁ、新釈漢文大系買えよって話だね。

で、内容だけど――

墨経の部分は大変面白かった。今の僕らは論理学の初歩的なことをみんな知ってるから、それがない時代、手探りで論理を研究するとき、文章をどう分析しただろうというのがサッパリわからない。墨経にはそのヒントがあって、この時代の論者は論理から“比喩”をどうしても抜いて抽象化することができなかった様子がうかがえる*1

とはいえ、墨子がアリストテレスのような論理学を構築できなかったのを責めるのは酷かな。僕は理論家であると同時に、そしてそれ以上に実践家だったのだから。彼には理論だけを精緻にする時間がなかった*2。彼の後継者も教えを墨守する嫌いがあったようで、理論面で名を残した人はいない(「墨経を唱える」ではダメだよな。*3。墨子がもっと理性主義・論理主義に没頭できていれば、中華の歴史もだいぶ違ったんじゃないかなってちょっと思ってしまった。

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*1:でも、円や直線の定義には“比喩”の要素がない。たとえば、円(環)の定義は“端を持たない”で、結構シンプルに見える

*2:アリストテレスがヒマだったと言いたいのではない

*3:こういうのを中国人のメンタリティで片付けたくはないが……どうしても始祖を超えられない、超えてはいけない感じある

いまさらながら Surface 3 のドックを買った

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ポテンシャルでいえば歴代最高端末(タッチ、ペン、SIM 内蔵!)なのに、電源周りのトラブルから何度叩き割ろうかと思ったか知れない我が愛機・Surface 3 ちゃんですが、たまたま密林を徘徊していた時にドックが安くなっているのを発見して衝動買いしてしまいました。

ヨドバシによると“販売終了時の価格:¥25,570(税込)”だそうですが、今なら9,000円代で買えるようです。25,000 円なら絶対に買わないけど(ちなみに Surface 3 は最安モデルで定価 100,000 円ぐらいです。本体の 1/4 もするとか、頭おかしい)、10,000 円ならありかなー。

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長い間店頭で不遇をかこっていたのか、外箱は少しくたびれていましたが、中身はぜんぜん大丈夫。ドックと電源ケーブルだけという、非常にシンプルなパッケージです。

早速 USB ポートと HDMI ポートが刺さるよう、本体を左から右へスライドさせながらハメてみました。

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なかなかいい感じ。充電もちゃんと行われていて、mini-USB なんかよりもよっぽど信頼感ある。ドックから外してもタスクトレイの電源アイコンがバッテリーモードにならないのは気になったけど、電源ボタンをプチプチすれば反映されるようになるので、そんなに問題ではない感じ。

このドックを使うと、ポート類も充実します(今のところ活用してないけど)。

  • USB 3.0 ポート×2、USB 2.0 ポート×2
  • ギガビット イーサネット ポート
  • 3.5 mm オーディオ入出力端子
  • Mini DisplayPort ビデオ出力
  • セキュリティ ロック スロット
  • Surface ペン用の収納部(マグネット式)

Surface ペンをマグネットでひっつけられるのが結構お気に入りです。あとは USB 切り替え機でも導入して、デスクトップとマウス&キーボードを共有したいですね。これで“気が向いたときにペンでメモが取れる Twitter/Netflix/Amazon ビューワー機”が完成だ!(公開停止にした Abema アプリも入れたから予約視聴もできるぜ)

あと、よく問題にされる角度が調節不能な件ですが、個人的にはとくに気にならないかな。ペンを使うには急傾斜すぎるけど、タッチ&卓上ビューワーとしてはごく自然な角度だと思う。とりあえず、買ってよかったかなって感じ。

宋までの官制をざっくりまとめた。

『宋名臣言行録』を読んでいて、どの官職が宰相・副宰相野かがよくわからなかったので、ざっくりまとめてみた。

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三省六部

世界史の授業では、唐の官制・三省六部をしっかり学ぶと思う。あとは、それが次第に崩れてきて(節度使とかやね)、明代には中書省が廃止されて皇帝の中央集権が確立された――みたいな流れだと思う(あまりよく覚えていないのだけど)。

なので、唐の時代から始めてもいいのかもしれないけど、今回は官制が複雑化していく様子もちょっと見てみたいので、漢代から始めようかなって思う。ちなみに、一口に漢・唐・宋などといっても、時代によってかなり官制はかわるので、参考程度に。

漢代から唐代の官制

漢代の官制は、だいたい三公・九卿で成っていました。

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のちの三省の一角を占める尚書は、もとは皇帝の私設秘書のような役割でした。しかし、臣下から皇帝への奏上・皇帝から臣下への勅書を取り次ぐという職務の性格から、格こそ三公・九卿に劣るものの、次第に大きな権力を持つようになります。

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一時期は「皇帝の耳目をふさぐ」という理由で廃止されたりもしましたが、後漢には尚書台と呼ばれる専用の役所を構えるほどまでになりました(正確に言うと、九卿の一つ・少府*1に属するので、位階的にはだいぶ下)。

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一方、中書は尚書よりさらにプライベートな部分を担当する秘書職で、もともとは宦官のポストでした(中書令は司馬遷も歴任)。尚書が外朝の一機関として力を持つと、それを内朝から統御するために重用されたようです。外戚(皇妃の親族)の支配する外朝と、宦官が跋扈する内朝の諍いは、後漢王朝の特色でもありますね――あれ? 丞相とか、もう要らなくね?

そんなわけで、魏の時代に中書令には非宦官を起用し、勅命の起草と行わせることにしました。晋代には夕食貴族が勅命を吟味する門下省(長は門下侍中)も置かれ、唐代には 中書(起草) → 門下(吟味) → 尚書(実施) の役割分担が行われるようになりました。これに実際の行政を担当する六部を加えると、三省六部のできあがりです(ほんとはほかにもいっぱいある)。

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三省の長官は(例:中書令。門下のみ侍中)、次官は侍郎(例:中書侍郎)、その下は郎、郎中です。ただし、尚書省は唐の太祖・李世民が就いていた職ということで長官である尚書令が置かれず、左右の僕射が代わりに職務を担当しました。唐代では、中書令と門下侍中、そして少しランクが下がりますが、尚書右僕射・尚書左僕射が宰相と呼べるポストでした。

ちなみに、六部の長官は尚書(尚書省の尚書とは別)、次官は侍郎

宋代の官制

唐代の官制はとても秩序だっていて、見た感じうまく設計してあるように見えます。しかし、さまざまな状況への対応を迫られる中で、高位職の形骸化、律令にはない職の新設(節度使など)、臨時権限の付与(とその常態化)が進み、官制は乱れていきます。

官職ってどうしても年功序列になるけれど、パソコンのパの字もわからない爺さんのクビは切れない、しかし若くてピチピチしたヤツに権限あげないと二進も三進もいかないなんてこと、たまによくあるじゃない? お給料も抑えられるしね!(増大する人件費は王朝にとっても悩みの種なのだ!) 皇帝が権限を強化したければ、有力貴族のすくつ(変換できない)である門下省の力なんかは削いでおきたいしね。豪族連合体に過ぎない魏・晋とは状況が違うのだよ!

そんなわけで、唐の半ば以降から、尚書省の局長レベル(?)の人まで宰相をやらされるようになりました(“差遣”といって、唐の官制をランクとして持つけど、実際の仕事<ポスト>は別、みたいなややこしいことに)。しかし、さすがに中書令・門下侍郎と位が釣り合わないのは具合が悪い。そこで、宰相ポストに就く人には“同中書門下三品(中書令や門下侍郎と同じ正三品官扱いにするよ)”という位が臨時に授けられるようになりました。これがのちの同中書門下平章事です。

要するに、吏部尚書みたいなポストに入るヒトでも、皇帝が「お前、同中書門下平章事な」と言えば、その日から宰相というわけです。基本は他の職と兼任で、二人から三人の平章事がいました。ちなみに、その下のポストが“参知政事”。平章事と同じように運用されていて、副宰相としての権限を持ちました。

そしてもう一つ大事なのが、中書省と並んで二府と称された枢密院です。

中書省などが民政を担当するのに対し、枢密院は軍政を担当しました(軍隊の指揮権はなし)。長官は枢密使(知枢密院事)、副官は枢密副使(同知枢密院事)です。民政官よりは少し格下ですが、枢密使は参知政事と同格で、副宰相に相当するポストでした(両者を合わせて執政(≒副宰相)と呼ぶ)。

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枢密院と兵部の職掌が完全にかぶってるやん? と思ってちょっと調べたのですが、兵部は儀仗的なことをやるだけになっていたみたいです。

元豊の改革以降の官制

さらに、王安石の新法では、宰相職の改革が行われました。

元豊の改革では外見上は唐制を継いで三省六部を立てるが、三省の長官(中書令・尚書令・門下侍中)は名前のみあって空席とされ、尚書左僕射(副長官)に門下侍郎(副長官)を、尚書右僕射(副長官)に中書侍郎を兼任させてこの二人を宰相とし、さらに尚書丞(左右1人ずつ)および尚書僕射を兼任しない門下侍郎・中書侍郎(1人ずつ)合わせて四人を執政(副宰相)としておき、これまで人数不確定の同中書門下平章事・参知政事に代わらせ、確定した六人の宰執官に国政を委ねた。

元豊の改革 - Wikipedia

尚書左僕射(兼門下侍郎)、尚書右僕射(兼中書侍郎)を宰相に、尚書右丞、尚書左丞、門下侍郎(兼任なし)、中書侍郎(兼任なし)を副宰相にする6人制で内閣を作って政権運営をするようになりました。これに加えて、軍政面では枢密院使、枢密院副使(枢密院の廃止は先送り)がいるというわけですね。

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んー、ちゃんと整理された……んかいな?

まとめにならないまとめ

位階(年功序列)と職責(実際の職務)の制度設計は難しい。ましてや、臨機応変な運用をや。

*1:今でいう宮内庁、内朝の財政も担当

『宋名臣言行録』

宋名臣言行録 (ちくま学芸文庫)

宋名臣言行録 (ちくま学芸文庫)

密林から取り寄せたけど、帯を見ただけで読む気が失せた。あと、こういうものは抄訳なら抄訳と分かりやすくしてしてほしい。まぁ、これは買う前から気づけよって話かもだけど。

本書は、訳や書き下し文はともかく、解説がいまいち。歴史は歴史として楽しみたいから、下手に現代に絡めて浅薄な一言付け加えないでいい。PHP 文庫かなにかかな? 「ビジネス現場で生かす孫氏の兵法」みたいな本が大っ嫌いなので過剰な反応かもしれないけど、全部削って索引だか当時の役職・俸給一覧、組織図でもつけてくれた方が100倍ありがたい。

というわけで、面白いかなって思ったところだけメモって終わりにした。厳しい言い方をすれば、ごく一部を除き東大法学部から官僚になったヤツがお互いに褒めあってる感じで、とくに得るところはない。でも、進士に及第すれば素寒貧でも出世の目があるのは、当時としてはオーパーツレベルの先進的なシステムだなぁ、と感心した。

人物的には、張詠あたりが魅力的。あとは王安石はとびぬけてるなぁ。今でいえば、リベラル一色の政府にネオリベ論ぶっこんで孤立した感じなんだろうか。後続の人材を得なかったのは、玉石の石ばかり集めて失敗した橋下市長にも似てるなー(……なんていうしょうもない個人的感想、解説に盛り込まんでいいやろ? 前半ぐだぐだ愚痴を言ったのは、そういうこと。自分のブログか、チラシの裏に書いとけばいい。すくなくともそんなこと“ちくま学芸文庫”には求めてない)。

『代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す』

代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書)

代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書)

小粒だけどいろいろ役に立つなーと思った。“代表”の話はとても大事なのに、何冊か買ってそのまま積んでたんだけど――この本はいい水先案内人になってくれそう。プレゼント、マジありがとう!

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本の内容

代議制を 民主主義 vs 自由主義 の間の緊張と、委任・責任の連鎖(“組織の経済学”みたいな感じやね?)という視点で整理した感じ。

  • 第一章 歴史から読み解く――自由主義と民主主義の両輪
  • 第二章 課題から読み取る――危機の実態と変革の模索
  • 第三章 制度から読み取る――その構造と四類型
  • 第四章 将来を読み解く―-改革のゆくえ

という章立ても、多角的で結構わかりやすいと思う。自分なんかはアホだから“代表制”というと“選挙制度”がまっさきに頭に浮かんでそれだけになっちゃうんだけど、執政制度の類型なんかにも触れられていて(そりゃそうだよね!)よかった。

選任のルール/解任のルール 議会による解任が可能 原則不可(任期固定)
議会による(間接)選任 議院内閣制 自律内閣制
有権者による(直接)選任 首相公選制 大統領制

一般に、大統領制はちょっと強力すぎる。ちゃんと運営できているのはアメリカぐらいで、アメリカの真似をして大統領制を敷いた国では独裁まがいのことが行われている例も少なくない。本家アメリカでも、議会の抑えが効かなかったり、早々に支持を失ってレームダックになったりといろいろ難しいみたいやね。

一方、お馴染みの議院内閣制は不安定で指導力に欠ける。そのため、官僚の裁量が大きくなり、まかせっきりな感じになる。また、間接的に選ばれることから、民意を直接反映したものではないというイメージがある(首相公選制が議論されるわけだね)。でも、委任・責任の連鎖が単線的(有権者→議会→内閣→大臣→担当省庁、アメリカの大統領制は強力な分、複雑な委任・責任の連鎖で縛られている)で、安倍政権みたいな長期安定政権になるとそれなりに強い(何がw)。一部の人が「アベ、死ね!」(自民党ではなく!)みたいなことを言うのも、こういう匂いに敏感なのかもねぇ。

ちなみに、両方を掛け合わせた“半大統領制”みたいなのもあるみたいやね(これはこれで委任・責任の連鎖の形態で2つに細分できるそう)。

あとは、経済・社会・文化などによる分断線“クリー ヴィッジ”の概念や、“M+1ルール”、比例性、機械的効果と心理的効果、なんかの概念も有用やな(知ってるのもあったけど)。選挙制度と政党の関係も大事やね。

- 小選挙区制 大選挙区制 比例代表制
比例性(直接的な民意の反映されやすさ)
凝集性(政党のまとまり)

つまり、選挙制度や議会制度、執政制度をデザインするっていうのは、「国がどうあるべきか」という話と直結してる。

執政制度/選挙制度 比例性が高い(民主度【高】) 比例性が低い(民主度【低】)
分権的(自由度【高】) ラテンアメリカ諸国
コンセンサス型
アメリカ・台湾など
中間型1(アメリカ型共和主義?)
集権的(自由度【低】) 大陸ヨーロッパ諸国
中間型2(ルソー型共和主義?)
イギリス、カナダなど
多数主義型(ウェストミンスターモデル)

民主度・自由度などという誤解を招きやすい言葉を使ったので、コンセンサス型サイコー、多数主義型がクソと思われかねないけど、多数主義型は“賢者型”というか、“多数による専制”を防ぐにはよい(共和主義的・エリート主義的な匂いがつよい)。逆に、コンセンサス型では民主と自由の折り合いがつきにくく、空中分解して(衆愚)独裁に陥ったりするケースが少なくない。どれが優れているか、というより、世界的・歴史的潮流も鑑みながら、どれを選び取るべきかという話だと思う。二院制のデザインについても、自分は少し簡単に考えすぎてたらしく、“気付き(笑)”が多かった。

そしてもう一つ重要なのは、“マルチレヴェルミックス”と本書で呼ばれている、国政=地方自治の間での捻じれやね。日本は国政で多数主義型を採用している(近年の改革でこの色が強まった)けれど、地方自治においてはコンセンサス型につながりやすい制度設計になっている。こうした捻じれは、地方政治=国政における政党の一体性を損なう(地域政党が生まれる素地にもなってるよね)。本書ではあまり触れられていなかったけど、地方自治の在り方を考えるうえでも、選挙制度や議会制度、執政制度をどうデザインするかは大切で、難しい話だなーと痛感したし、本書のおかげでモノの見方もちょっと変わりそう。

ここからは本にはあまり関係ない個人的感想

でもさ、民主主義と自由主義の緊張関係ってのはちょっとわかりにくい。自由主義っていう言葉が広すぎてわかりにくい(読むときは 分権的 vs 集権的という軸に読み替えて進んだ)。あと、共和主義が“為政者(≒後世では有権者、市民も含まれる)の徳性を重視する政治姿勢”みたいな感じでとらえられていたのも不満。確かに古典的共和主義においてはそうだけど。分権(≒自由主義)をどのように設計するかは近代共和主義(イギリス、フランス革命、およびアメリカ独立)で重要な視点だし。

そもそもみんな一口に民主主義というけど、真の民主主義者なら“くじ引き(統計学的民主主義)”か“直接民主主義”を主張するだろう。民主主義の要素に“少数意見の尊重”が言われるけど、それと“多数決”との矛盾はどう説明するのか。ポピュリズムと民主主義を都合のいいように使い分けている感じがなんともね。

結局のところ、代議制も少数意見の尊重も、共和体の持続性のための工夫であり、共和主義の範疇のお話だと自分は思っている。つまり、コアは共和主義で、民主主義は専制に陥らない程度に導入するのが望ましいエッセンスに過ぎない(と、同時に基盤でもあるんだけど)。

民主主義者の多く(とくに日本では)は実のところ“民主共和主義者”なのに、民主主義は語っても、共和主義的要素は蔑ろにしがちだと、最後に愚痴が言いたかった。

おまけ

作ってみてあまりうまくないと思ったが、捨てるのももったいないので載せとく。ここにある主義というのは相対的な話で、“べきだ”という話ではない。実際は、歴史的・文化的経緯で自分たちの気象にあったものをつまみ食いしてるわけだけど、いざというときは状況に応じて柔軟な対応ができる体制でないと、いつかは死ぬんだろうなと思う(そういうのを重視する人は、“結局、政治は人の行うこと”なんていうんだろうな)。

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『英語史で解きほぐす英語の誤解―納得して英語を学ぶために』

英語史で解きほぐす英語の誤解―納得して英語を学ぶために (125ライブラリー)

英語史で解きほぐす英語の誤解―納得して英語を学ぶために (125ライブラリー)

お誕生日にいただいたのですが、ゴールデンウィーク1日目にペロッと読んじゃいました。面白かったです。

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ちなみに、この本をウィッシュリストに入れたのは、“古英語”にちょっと興味を持ったから。

古英語:(Þ は th のことらしい。発音はだいたい綴り通り)
Þā ic hām ēode, þā slēp ic.

逐語訳:(屈曲(性・数・時制などによる活用)が消えてる。語順が自由)
Then I home went, then slept I."

意訳:(現代英語は、屈曲がない代わりに、語順に厳しい)
When I went home, I slept.

日本語の古文もたいがいわからんけど、古英語に比べれば、なんちゅーこっちゃない。ほとんど別言語だ。

目次

  1. 英語は世界共通語である
  2. 英語は昔から変化していない
  3. 英語はラテン語から派生した
  4. 英語は純粋な言語である
  5. 英語は易しい言語である
  6. 英語は日本語と比べて文字体系が単純である
  7. 英文法は固定している
  8. イギリス英語とアメリカ英語は大きく異なっている
  9. 英語は簡単だから世界共通語になった
  10. 英語はもはや変化しない

英語に対する“よくある誤解”から出発する構成になっているのだけど、そもそも自分はこの誤解を共有していなかった。なので、多少「?」と思うところはあったのだけど、それぞれのトピックが面白くて、ほとんど気にならない。

英語はインド・ヨーロッパ語族に属しており、低地ゲルマン語(オランダとか)の親戚なんだそうな。ラテン語なんかはイトコぐらいな感じ。歴史をざっくり俯瞰すると、こんな感じになるっぽい。

- 5世紀以前 ローマ属州 ケルト人がローマの支配を受け入れる
古英語 5世紀以後 アングロ・サクソン人の支配 ローマの退潮により、アングロ・サクソン人が侵入。ケルト人はウェールズ・スコットランド・アイルランドに追いやられる
- 9世紀 アルフレッド大王による統一 古英語の隆盛。ラテン語語彙の流入
中英語 11世紀 ノルマン人の支配 フランス語話者による支配。フランス語彙の流入。書き言葉(ラテン語)・上流階級の話し言葉(フランス語)・下層階級の話し言葉(英語)という構造に。屈曲を失う
- 14世紀 フランス領の喪失・英国のアイデンティティ確立 上流階級の話し言葉も英語に。チョーサーなどが登場し、書き言葉としての英語も復権
近代英語 15世紀 ルネサンス 古代復興・印刷術によるラテン語・ギリシャ語語彙の大量・直接(大陸語を経由しない)流入。“大母音推移”、黙字による綴り字と発音の乖離
現代英語 20世紀 アメリカの独立と発展 大西洋を挟んだ相互影響。世界言語へ

屈曲の喪失(柔軟な語順 → 厳格な語順へ)と“大母音推移”、ラテン語・フラン語をはじめとする語彙流入なんかがトピックになるのかな。とくに、フランス語・ラテン語に書き言葉の地位を一時期奪われたのは、英語を自由にしたらしい。ドイツ語でも話し言葉では屈曲ルールがゆるくなってるらしいけど、書き言葉は伝統に厳格なのに対し、話し言葉は比較的変化しやすい。おかげで、僕らは古英語みたいな複雑な屈曲を覚えずに済んだってわけだ。せいぜい三単現の“s”と不規則変化動詞ぐらいやね。

英語の語彙が、ラテン語・フランス語・在来語の三層に分かれていて、先に行くほどお洒落・学術的・固いっていうのも、日本人が漢語と和語の使い分けをしていたのと似ていて、結構面白い*1。島国には、大陸の語彙が流れ着くようになっているらしい。

なかでも、個人的に一番気に入ったお話は、屈曲の喪失に関する仮説かな。

アングロ人・サクソン人の言葉と、ノルド人の言葉が屈曲の違い程度の差しかなかったらしい。日本人が「てにをは」のできない外人と意思疎通を試みるときに「わたし、京都、行きたい」とあえて「てにをは」を抜いて話すように、アングロ・サクソン人とノルド人も屈曲を省略してコミュニケーションをとっていた――これはかなり魅力的な仮説だ。『ヴィンランド・サガ』みたいな世界だと、ノルド人が一方的に現地人(アングロ・サクソン人)から奪い、支配したのかなどと想像しがちだけど、もしかしたら言葉を一方的に奪うような関係ではなく、もっと対等な関係だったのかもしれない。

政治関係が言語関係に反映されているならば、言語関係をよくしることで当時の政治関係を推し量ることもできるのかもしれない。本書ではいろんな“気付き”(笑)を得たけど、そういうことも一つの収穫だった。

本書を読んでも英語力が上がったりはしないけど、英語に倦んだとき、こういう知識があれば……と思う。なんで高校生の頃に教えてくれなかったんだ!!*2

*1:漢文廃止論なんかはこういう文化的背景を無視していると思う。

*2:ちょっとだけ弁護するなら、ウチの学校で使ってた教材 Progress は、英語の学習をしながらイギリス史を学べる構成になっていたので、その時の知識が世界史や本書のような本を読むときにはとても役に立っている。

『貨幣の中国古代史』

貨幣の中国古代史 (朝日選書)

貨幣の中国古代史 (朝日選書)

2000年刊行、中古で購入。

互酬が共同体を超えて行われるとき(域外取引)、マルクスでいうところの「一般的等価物」としての位置を最初に占めるようになったのは、子安貝・亀甲(・銅の地金・奴隷・碧玉などの宝物)であったらしい。これらは域外取引のみならず、“あの世”との取引にさえ使われた。ここから、貨幣は厭勝銭としての用途も帯びるようになった(これはもしかすると、順序としては逆だったかもしれない。また、相互補完的・共進化的だったかもしれない)。

また、春秋時代には技術の発展に伴い、農耕具や刀剣などのが互酬に用いられることが増えた(これらも域外通用・宗教的通用の余地のあるものだが、聖的・呪術的というよりは実用的・世俗的側面がより強い)。それらを反映して、春秋・戦国時代にはいくつかの貨幣タイプが同時に流通していたらしい。さらに三晋では、のちの時代の基本的な貨幣形態である円銭が出現する。

- 形式 原型 流通地域
銅貝 f:id:daruyanagi:20170502002127p:plain:w120 子安貝を模す (金貨・銀貨も流通)
布銭 f:id:daruyanagi:20170502002059p:plain:w120 農耕具(鏟・鎛)を模す 秦~三晋()~燕・宋
刀銭 f:id:daruyanagi:20170502002204p:plain:w120 円環小刀を模す ~三晋~燕
円銭 f:id:daruyanagi:20170502002028p:plain:w120 円孔→方孔 三晋(

流通地域をデフォルメすると、こんな感じ。楚はちょっと異世界として、魏・斉が経済の中心やったんかなぁ。

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やがて六国を征服した秦は、隣国の経済大国である魏・楚の貨幣(円銭、金貨)をベースに貨幣制度を統一し、“半両銭”を流通させたが、不十分に終わった。

秦を承けた漢は、民間鋳造を認めることで“半両銭”を普及させたが、当時は戦乱による荒廃と経済の縮小から小銭需要が強く、過度な軽量化を図った“楡莢銭”が乱鋳された。そのため、再び私鋳が禁止され、呉・蜀などの郡国による“五銖銭”の鋳造が行われた。これを機に、“半両銭”から“五銖銭”への切り替えが進んだ。

武帝期には、銅産出の増加、製鉄技術の進歩による武器の銅→鉄転換などから、貨幣の原材料となる銅の流通がピークに達する。一方、金の流通量は減少しており(どうやらシルクロード交易で絹とともに流出したらしい)、金銭二元体制から銭一元体制へと移行する。

そして、新の王莽の復古時代を経て(王莽はいろいろやらかしたのでこのあたりの話も面白い)、後漢以降は極度の銭不足と悪銭流通の時代が訪れる(また、政治的にもながい混乱と停滞の時代を迎える)。

銭の流通を補ったのは、布帛や穀物だ。

官僚の俸禄は、前漢では銭建てだったのにたいし、後漢では銭・穀建てになった。また、皇帝が臣下に与える賜物は、後漢では布帛が、晋では穀・帛が主となった。罰金として徴収する財物は、秦の場合、甲冑と盾であったが、前漢は金、後漢は帛、晋は金・帛と変遷していった。北魏や梁など金を課せられた王朝でも、実際は帛で納められたし、銅を用いた唐も、初期は帛を不正財物を計る単位としていた。

挙句には、上代では布帛の流通が主であったという故事(実はそんなことはない)から、銭流通を停止しようとする意見まで出されることがあったが、すでに中国社会には“貨幣”概念がいきわたっており、布帛さえも実質は貨幣に換算されて交易・贈与されたから、日本のように物々交換の世界へ戻ることはなかった。

こうした悪銭流通の時代は、隋・唐で終止符が打たれ、“開元通宝”の流通をもって旧態に復した(銅の産出不足の話はどうなったんやろう、政治・経済の安定で自然と解決されたんだろうか)。また銭が足りなくなって“紙幣”誕生につながるのは、宋や元の時代に下ってからの話になる。

――と、まぁ、こんな感じ(まとめが間違ってたら僕のせいです)だけど、董卓の“董卓小銭”の話や、蜀・呉の貨幣流通なんかのトピックなんかも面白かったかも。