7月4日:『人類史のなかの定住革命』

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人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)

人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)

ここまで示唆に富む本は久しぶりに読んだかなーって思った。スイッチバックしながら、ちびりちびりと読んだので、なんか3カ月ぐらいかかってしまった。紙の本だと物理媒体としてそこにあるから、暇なさえあれば手を取って読むけど、Kindle だとなかなか読み進まないな。「今読みかけだよ!」っていうサインが日常にない。でも、マーカーが引けてあとから検索できるのはいいところだと思う。

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海の民、川の民の視点

従来、ともすれば農耕社会の特質と見なされてきた多くの事柄が、実は農耕社会というよりも、定住社会の特質としてより深く理解できる

本書の主張の一つに定住≠農耕というのがあると思うのだけど、漁業の視点は大事だよなーって感じた。ナッツ類の収集だけだなく、「かつてのアイヌの社会がそうであったように、非農耕定住民の多くが、魚類資源に大きく依存した生業形態を持っていた」。大掛かりな漁具+定期的に回遊する魚群、獲物を保存する技術と装備が定住を促した。

そして、最後の氷河期の後に大きなマインドの転換があり、「定住」というスタイルが広まった。

定住生活者が採用した生計戦略の性質を見れば、自然や労働、あるいは時間に対する認識の仕方にも、大きな変化の生じたことが予想できる。定置漁具の製作に多くの労力と時間を費やし、数ヵ月後までを予想して食料の貯蔵や加工に手間をかけ、そのために少なくとも、一、二ヵ月の間、激しい労働の連続に耐えることなどは、その日の食料だけを考える遊動狩猟採集民の行動原則とは、大きく異なるものである。

遊動狩猟採集民が、明日の食料について心配しないのは、自然の恵みを確信しているからであり、それゆえ、食料を蓄える行為は、いわば、自然に対するまったき信頼を放棄することにほかならない。自然のなかで、自然に頼って生きるブッシュマンの自然観とは、おのずと異なる自然観である。自然に対するこの不信は、食料を蓄える多忙な労働によって打ち消される。漁網を編み、ナッツを大量に拾い、加工するなど、単純な作業の反復を重ねて、自然が制御されるのである。定住生活者に予想しうる自然や労働に対するこうした認識のあり方は、森を拓き、土を堀り、水の流れを変える農耕民のそれと大きく共通するところがあるだろう。

自然のサイクルに生死を委ね、氷河期をなんとか生き延びてきた人類だが、温帯では森林の拡大に伴い「遊動」する狩猟中心の「寄生」生活(狩り続ける戦略)から追われ、漁撈と採集が中心の自然と「共生」する「定住」のスタイル(蓄える戦略)を獲得する(定住派が多くなれば、遊動派の生活圏は圧迫され、さらに定住派を増やすことになったろう)。それがやがて農耕へとつながり、最初の人口革命を迎えることになる――この革命は今もなお続いているとみなすことさえ可能だ。

また、それと同時に、ただひたすら自然を称え、その恵みのみで刹那的に生きようとする世界観は次第に廃れ、長期的計画のもと、働き・貯め・ときには環境の改変さえも行う能動的な生き方が力を持つようになる。その過程で、働かないものを罰し、浪費するものに天譴を加え、自然災害の理由を環境の改変にではなく、個人の業に帰すような宗教も力を付けていったのではないだろうか。定住は観念をも革新したのだ。

文明と文化

文明と文化の違いが今までよくわかっていなかったような気がするけど、個人的には「文明≒定住をベースに積み上げられた社会」なのだと思う。遊牧民にも文化はある(スキタイ文化などなど)。でも、それを文明とは呼ばない。おそらく、文明とは定住と、そこから派生する技術・生活様式を言うのだろう。

水産資源の利用によって定住集落が出現すると、ここで「栽培化」が進行し、それが水産資源の得られない地域に拡散する過程で「農耕化」が促進された。人類史上、農耕は、人口密度を増加させ、古代文明の成立基盤として大きな意味を持つ。世界の各地で出現した古代文明がすべて穀物農耕を基盤に成立していることから、逆に、穀物農耕をもって農耕と考える見方もあるが、これでは歴史を見る順序が逆であろう。

変わることが変えていく

適応万能主義は、外への適応手段が、じつは同時に社会の内にたいしても大きく作用することについて配慮を欠いている。

口で仕事をする生き物(イヌなど多数)と違い、サルは手で仕事をする。手による仕事が増えれば増えるほど、体躯もそれに適するように変化していく。強力な大型の類人猿と、すばしこい小型の類人猿の板挟みになった中型類人猿は、密林やサバンナの外に新天地を見出し、身を守るために手で使っていた道具を武器にする。武器は外的な敵に対してだけでなく、集団内のメンバーにも振るわれる。被害を減らすために、組織内での武器の使用は形式化される。形式化された暴力、「安全保障の言語(無駄話)」、獲物やメスの割り当て(←父系の場合)、共働と分配、家族の形成、政治。

変わることが変えていき、「変わるべき時が来たら一斉に変化する」(今西錦司的な)。

「安全保障の言語(無駄話)」と「仕事をする言語」

特定の領域でコンフリクションを避けるために行われる目的のない会話と、同胞との共働や異邦人との取引に必要な「仕事をする言語」。

文字の誕生を物語る際、白川静がえがく古代中国の神話・占術から生まれるストーリーと、メソポタミアの粘土板に書かれた契約と法律の世界(むろんエンリルがギルガメシュのストーリーもあるが)の2大潮流があることに、長く個人的に疑問を抱いていたのだけど、なんとなくそれを解くキッカケのようなものを感じる。

もっといえば、絵画(→ 象形文字)の世界と、数字の記述から始まる記号としての文字の世界の違いにも通じるのではないかな。