『保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで 』
執筆日時:
保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)
- 作者: 宇野重規
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/06/21
- メディア: 新書
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割と薄めだけど、ポイントを押さえたいい本かなーと思った。バークやチェスタトンなんかはともかく、日本の保守主義の流れはまったく知らなかったので(興味なかった!)自分には結構有用だった。
政治用語のご多分に漏れず、保守主義ってのも割と多義的というか、曖昧というか、つかみどころのない言葉だなぁ。
まず、リベラルのヒトたちが「自分たちとは意見を異にする(遅れた思想を持つ)ヒトたち」という意味で「保守主義」というレッテルを張るよね。その中から、(行き過ぎた)権威主義・(行き過ぎた)伝統主義・回帰主義っぽいのを取り除いたのが、ときどき「真の保守主義」と呼ばれるまっとうな意味での「保守主義」だけど、そのなかにもさまざまなポジショニングと利害対立があって、「コレが保守主義だ!」っていうのは割と定めがたい感じがする。
保守主義が守りたいもの
個人的には「保守主義」が尊重する“自由”と、リベラリストたちが求める“自由”に大きな相違があるのがまず問題だと思った。――ので、それに関する所見は先に述べておいた。
簡単のため話をすごーく単純化すれば、保守主義者が反対するのは
- 第1章「フランス革命と戦う」:理性の偏重、急激な変革
- 第2章「社会主義と戦う」:ナイーブな進歩主義、理性の偏重、多様性の否定
- 第3章「大きな政府と戦う」:行き過ぎた平等、原初的・経済的自由の否定、多様性の否定
みたいな感じかな(本書の章立てと併せてみた)。つまり、保守主義者が主張するのは
- 理性には限界がある:経験には一階性論理では欠落しがちな“叡智”が眠っている、残っているものにはそれなりの見るべき点がある
- 急激な進歩主義・革命はダメ:人は少しずつしか変われない、「ボクが考えた最強の社会」はだいたい間違っているから警戒しろ
- 大きな社会は窮屈だ:ポリティカルコレクトはウザい、リベラルは多様性を謳うが、その実、理屈で多様性を上書きている(し、伝統と権威を傷つけている)
- 現在の政治体制(国体、Constitution)を乱すな:文化や伝統、権威は社会を秩序立て、人々に安定した生活をもたらしている(変わりたい奴には窮屈だろうがな!)。通り一遍の理屈で傷つけるな
みたいな徳目だと思う。「壁がある意味・理由を知る前に壁を壊はならない」というヤツだ(正確な言葉は忘れた)。今ある自由を壊して得る自由とやらに懐疑的で、経験に眠る叡智を尊重しながら、受け継いだ理念の維持と漸進的拡充を目指す……感じ。個人的にもバークのような深慮ある保守主義は好きだ。
ただ、それはバークのようにミクロとマクロ、小さな世界と大きな世界、俗と聖、観想と実践の双方を思索的に相当回往復しているからこそで、向こう三軒の・俗な・行き当たりばったりの保守主義というのはやっぱり好きになれない。リベラルも保守も、自らの政治的ポジションを動かすための道具としてしか使われない(「今のままではおれが損だから世界が変れ」「今のままだと人生楽だからそのままがいい」)なら、それはとても醜いと思う。
保守主義(とリベラリズム)が描く理想は“いつ”あるか
さて、だいぶ我田引水なことを書きまくった気がするけど、本書を読んで得た“気付き”が一つある。
保守主義は、どこかある一点の過去の一点に“理想”の基準を置いているらしいということ*1。
たとえば日本の保守主義の多くは、戦前――もしくは脳内で作られた“武士”の時代――のあたりに“理想”――往々にしてそれはフィクションだ――をピン留めしていて、それに回帰しようとしている。まともな保守主義は、それを“発展的に実現”しようとしている点では異なる。しかし、「今の日本はダメだから古き良き日本のエッセンスを取り戻したい」とは思っていると思う。
つまり、理想が現在にある保守主義と、過去にズレている保守主義があるんだな。日本では、本書の指摘するように、吉田茂が築いた“軽武装・高度経済国家”路線の維持が保守本流とみなされているが、一方で、もう少し過去にズレた“押し付けられた憲法により失われた本来の日本”を取り戻したい保守主義も相当数いる。
一方、リベラルは理想が未来にあるのがフツーなんだけど、日本ではそれがゲンジツ――平和憲法というある種の虚構――とまぁまぁ一致している。これは“軽武装・高度経済国家”路線の保守本流とまぁまぁ相性が良かった。なので、妥協・連携・提携も可能だったわけだけど、理想が未来にある本来のリベラルを思い描いていると、だいぶイメージが違うな。
――こうした指摘(自分の偏った解釈も含めて)は、ちょっと脳みそがすっきりした感じがしていい気分だった。
共和主義との違い
最後に、共和主義との違いも考えておきたいかな。
よい保守主義と、共和主義はたいへん似ていると思う。大きな自由を尊重しつつも、その基礎となる(そうであるはず!の)小さな自由――民主主義に基づく参加型コミュニティとしての政治――を大事にする。その道具として、権威・伝統(・宗教)には一定の前向き評価が与えられる。行き過ぎた経済的自由と、行き過ぎた法的自由(≒政治的正しさ)は、より基礎的な自由を破壊するだろう。
一方、保守主義は“理想”のあり方が若干固定的で、権威と伝統を重視しすぎるのかもしれない(単なるバランスの問題か、本質的な違いがあるのか?)。(ボクガカンガエタサイキョウノ)共和主義はその点、もう少し柔軟で、ゴールが自由そのものの最大化にある。なので、どこかにセットした“理念”から態度を出発させるのではなく、手探りで“理念”をどこにセットするかを考えるはずだ*2。
また、共和主義の“理想”“理念”はいつも時間的に「ちょっと未来」にあると思う。過去にあったりする保守主義や、実現可能かわからないほど遠くにあったりするリベラルとはちょっと違うかなって気がした。