補助貨幣
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以前、貨幣の本を読んだとき本位貨幣と補助貨幣の違いが判らなかった。
本位貨幣【ほんいかへい standard money】
一国における価値尺度および価格の度量標準として法律により認められた貨幣(法貨)で,無制限の強制通用力をもつ。補助貨幣に対する。本位貨幣の価値は本来一定量の金属(金または銀)と関係づけられており,日本でも金貨が発行されていたが,1931年の金本位制停止により発行を止めた。
ほじょかへい【補助貨幣 subsidiary money】
銀行券や本位貨幣に対して補助的役割を果たす貨幣。額面が銀行券や本位貨幣より低く,小額の支払に使用。紙,アルミニウム,銅合金などで作られ,その実質価値は名目価値より低い。
現代の定義としては、本位貨幣=法貨で、かつ無制限の強制通用力をもつものであり、補助貨幣=その補助的役割を果たすものということで、あまり難しくはない*1。
たとえば、今の日本の本位貨幣は、日本銀行が発行する日本銀行券(紙幣)だ。これは法律で定められている。
第四十六条 日本銀行は、銀行券を発行する。
2 前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。
一方、補助貨幣は政府(造幣局)が鋳造する硬貨が担う。しかし、これには本位貨幣とは異なり、一定の通用限度がある。
第七条 貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する。
加えて、補助貨幣の通用は基本的にドメスティックなものとされる。海外で日本円を現地通貨へ両替する際は紙幣(本位貨幣)が基本で、硬貨(補助貨幣)の両替は難しい。
さて、現代的な定義はこれでよいとして、古代・近世における本位貨幣、補助貨幣の区別はどうだろう。法令で定められていない(ことがある)ため、それほど明快でないように思う。
たとえば、ローマでは銀貨が本位貨幣として使われていたが、価値の一単位としては大きすぎたため、低額決済には銅貨が補助貨幣として使用されていた。一方、日本の江戸時代には金貨・銀貨・銅貨がいずれも本位貨幣として利用されていたという。本位・補助の区別は必ずしも単位の大きさによるものではないらしい。
少し調べてみると、ローマの場合、銀貨の鋳造は中央で独占していたが、銅貨(青銅貨)の鋳造は地方政府に任せていたという。これら地方政府の発行する銅貨は、他の地方では通用しない、または通用が難しかっただろう(通用の域的制限)。また、デナリウス銀貨を地方ごとのアス銅貨へ替える(くずす)ことはできても、その逆は少し難しかったかもしれない(両替の非対称性)。その延長で、高額決済に大量のアス貨を使うのも難しかったであろうことも想像できる(通用の量的制限)。
日本の江戸時代の場合、地域・取引額面で多少の困難さは違えど、金貨・銀貨・銅貨は問題なく通用したと言ってよいようだ(両替商の存在を前提にしている時点でどうかという気もするが)。いずれも本位貨幣の座を独占的に占めるに至らなかっただけといえるかもしれないが……。
とりあえず、通用の制限・両替の非対称性がないものを本位貨幣、そうでないものを補助貨幣と考えると少しわかりやすい(し、現代的な定義とのつながりもある)と思った。
*1:「実質価値は名目価値より低い」という補助貨幣の要素は、紙幣にも通じるため、金本位制後の世界には合わないし、古代においても、本位貨幣・補助貨幣ともに素材価値より低いことは少なくなかった