『哲学者・ソフィスト列伝』

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哲学者・ソフィスト列伝 (西洋古典叢書)

哲学者・ソフィスト列伝 (西洋古典叢書)

ピロストラトスの『ソフィスト列伝』とエウナピオスの『哲学者およびソフィスト列伝』を合わせた本邦初訳。ちなみにわしはディオゲネス・ラエルティオスの本を買おうと思って間違えた。ウケるー。京都大学学術出版会からはまだ出てないんだな。

そんなわけで、軽く通読したけど、ほとんど得るものはなかった。『ソフィスト列伝』で取り上げられなかったにもかかわらず、随所に存在感を見せつけたデモステネスには興味を持ったけど、弁論集だけで4・5冊か……どうせ読むなら全部読みたいが、通読できる自信がないな! でもソフィストたちの「題材」(フィクションの場合も多かった)が実際にどんなものであったかも知りたいし、挫折オッケーで1冊読んでみてもいいかなって思わんでもないけど。

さてさて。

ソフィストというのは、個人的にバッサリと簡単に説明するとすれば、哲学者が「知」を“目的”としたのに対し、「知」を“道具”として活用した人たちのことだ。哲学者にとって、「知」(とくに論理<ロゴス>)とは絶対であり、普遍であり、一生をかけて追求する価値のあるものだった。しかし、ソフィストにとってそれは相対的で、特殊的なものに過ぎない。いわば衣装のようなものだ。なので、題材や説得する相手によって使い方や見せ方を変えるのは当然のこと。結論が異なっていても、美しければ構いやしない。実際、『ソフィスト列伝』にも一つの題材を二通りに即興弁論して拍手喝采を浴びたエピソードが盛り込まれている(誰だかは忘れた)。

ピロストラトス『ソフィスト列伝』で、デモステネスの宿敵・アイスキネスを境にソフィストが2つに分けられている理由は、自分にはよくわからなかった。ちゃんと読んでたらわかったのかもしれないが――。ただ、なんとなくだけど、それ以前のソフィストはソフィスト同士で“技”を競い合っていたのに対し、それ以後のソフィストにとって挑むべき相手はローマのインペリウムだったのだと思う。

古代のソフィスト術は、哲学的な話題を提起するときでさえ、それらの問題を冗漫に長々と論ずるのが常だった。なにしろ、それは、勇気について論ずるかと思えば、正義についても、英雄や神々についても論ずるし、さらには、宇宙はいかにして今の姿に作り上げられたのかということまで論じていたのである。

(一方)その次の時代のソフィスト術は、貧乏人と金持ちの、王侯と専制君主の特徴を概観し、さらには歴史が案内してくれる特定の話題を論じた。

歴史を主導し、おしゃべりに興じていられた時代は終わり、歴史に従い、抗って生きるための弁論を強いられたというわけだ。

後期ソフィストは皇帝と太いパイプをもち、自分が根城としている街・地域を代表してその利益を誘い、名声を博した。または為政者を感心させ、大学教授の地位を得るための弁論を磨いた。読んでるときはわかってなかったが、『王政論』もそうしたスタイルを継承した作品なのかもしれないな。

王政論: 弁論集1 (西洋古典叢書)

王政論: 弁論集1 (西洋古典叢書)

  • 作者: ディオンクリュソストモス,Dio Chrysostom,内田次信
  • 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
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というわけで、ギリシアが独立を失っても、デモステネスやアイスキネスの後継者たちは、カタチこそ変え、滅びることはなかった。しかし、ローマが滅ぶと、ソフィストも滅びるよりない。哲学者は教父、神学者として中世を生き延びた(新プラトン主義は万歳!)が……。

知に対する態度 ギリシア時代 ローマ時代 中世
普遍・絶対・目的 哲学者 vs ソフィスト 新プラトン主義 教父・神学者
相対・特殊・道具 ソフィスト vs ソフィスト 皇帝 vs/with ソフィスト タダの頭のいい異教徒 ×

ルネッサンスで古代が再発見されると、哲学者は息を吹き返した。しかし、プラトンが“詭弁者”扱いしたせいで、ソフィストたちはなお完全な復活を果たせていない。彼らは今でも誤解されたまま蔑まれている。けれど、たとえ“道具として”だとしても、自らの知を高めてやまなかったソフィストは貴重なひとたちだったのかもしれない。

なんせ今では、即興性に欠け、かといって論理にも知識にも深みがない“コメンテーター”たちが臆面もなくメディアに登場し、その“知”をひけらかしているわけで。まさに“真のソフィストの供給が足りないがゆえに、二流のソフィストですら需要されている時代”であり、真のソフィストが求められる時代なのかもしれない。知らんけど。