『不平等との闘い ルソーからピケティまで』
執筆日時:
- 作者: 稲葉振一郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/05/27
- メディア: Kindle版
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Kindle で読んだ。経済思想史を一通りカジったことがあるなら、中盤までは平易で、「(とくに古典派+マルクスが)経済学が分配と成長の問題にどのようにとりくんできたか」が簡潔にまとまっていると思う。
数理モデルの部分は「詳しくはウェブで」状態で、あんまりよくわかんなかった。新書に載せる内容ではないのはわかるけど、本書で割と肝心な部分だと思うので、駆け足気味だったのは残念かな。まぁ、軽く“新古典派的な枠組みでも不平等・格差が成長に悪影響を与えることは示せるよ”っていう話と受け取っておいた(違ったらごめんね)。
新古典派以降、経済学が「分配は政治の問題」とみなしてしまったせいで、「分配が成長にどのような影響を与えるのか」という問題意識が薄れてしまったのは確かだと思う。自分もそう思っていたので(今でもあまり考えは変わっていない)。だから、先行きの見えない低成長時代――そして、経済学に行き詰まり感のあるこの時代――に再び分配と成長の問題にスポットが当たる――作中では“不平等ルネッサンス”と呼ばれている――のはある意味当然のことかもしれない。
作者曰く、この“不平等ルネッサンス”派には
- 不平等の改善で成長が見込めるならば、不平等を改善するべきだ:(スミス)楽観的人的資本論者
- 不平等の改善で成長が見込めないとしても、不平等を改善するべきだ
- 不平等の改善に悪影響があるとしても、不平等を改善すべきだ:(ルソー)ピケティ
の2パターンがあるという。ここでまた最初のルソー vs スミスの話に戻ってくるのが温故知新だなーなんて思ったんだけど……
で、ここまで全部読んでわかったけど、自分はあんまり(個人ベースでの)“格差”とか“不平等”に興味ないのがわかった(ぇ
最近読んだのだけど、お金持ちの上位8人は世界人口の半分と同等の資産をもっているのだそうだ。だからといって、ただそれだけで不正義であるとも自分には思えない。まぁ、そのありあまるカネで政治にチョッカイを出すなら別だが(ロビー活動とか、そういうのもキラい)、誰かさんは除き、みんなそういう面では慎ましく生活を送っているように見える。
もし問題になるとしたら、高度経済(← 高度経済成長を遂げた後の経済みたいな感じだと思って)にステップアップできない社会(もっとグロテスクに経済的成功と政治的占位が結びつく社会)では、格差による不平等がより深刻だろうなと思う。
> 不平等によって損なわれるのは、貧しい者たちの私生活上の幸福以上に、公的な政治参加の機会である、と。それを保障するためには、単なる最底辺の生活水準の向上以上に、権利保障が重要なのだ
つまりこういうことなんだけど。でも、とりあえず日本にはあんまり関係ないしね(まったくないとは言っていない)。
結局のところ、日本の場合はそれよりもまず、世代間の格差、都会と地方の格差とか、そっちの方が喫緊の課題だよね。高度経済に必須な・最低限の法の支配への支持はとりあえず確保されているんだし(← そのために必要な最低限の生活水準が損なわれたら大変なことなので、個人的には政府がしゃしゃり出て格差是正政策を行うより、ベーシックインカムでもした方がいいと思っている)。
それはこのおっさんも言ってた気がするけど、まぁ、日本のリベラルさんは目先の問題よりも、もっとフワッとした・人類規模の問題にしか興味ないみたいだしな。ピケティ人気も早速下火になってるみたいだけど、それは日本の事情にピッタリ合ってないというだけでなく、きっとブームに火をつけた人も改めて読んでみるとあまりお気に召さなかったんだろうなって感じがした。