『リヴァイアサン1』
執筆日時:
- 作者: ホッブズ
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/04/24
- メディア: Kindle版
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人間の技術はそれにとどまらない。模倣の対象は、理性を備えた被造物、すなわち自然の最高傑作ともいうべき人間にも及ぶのである。実例を挙げよう。まさに人間技術によって創造されたものに、かの偉大なリヴァイアサンがある。リヴァイアサンは国家と呼ばれている(英語ではコモンウェルスまたはステイト、ラテン語ではキウィタス)が、実は一種の人造人間に他ならない。自然の人間よりも巨大かつ強力であり、支援の人間を守ることを任務としているところに特徴がある。
題名を知らない人はいないのに、読んだ人はあまりいない本っていうのは割とあるけれど、たぶん『リヴァイアサン』もそれだよね。俺も読んだことなかった。『リヴァイアサン』は四部からなり、本書が第一部に当たる。
- はじめに
- 第一部 人間について
- 第一章 感覚について
- 第二章 イマジネーションについて
- 第三章 イマジネーションの波及ないし連鎖について
- 第四章 話す能力について
- 第五章 推論および学問について
- 第六章 意志的な行動の、心の中での始まり(通常の言い方では情動)その表現手段としての言葉について
- 第七章 論理的思考の終わり、あるいは締めくくり
- 第八章 一般に知力と呼ばれている各種能力とその不全
- 第九章 学術分野の分類について
- 第十章 権力、価値、位階、毀誉、ふさわしさについて
- 第十一章 行動様式の違いについて
- 第十二章 宗教について
- 第十三章 人類の自然状態――人類の幸不幸に関わるもの
- 第十四章 第一、第二の自然法および契約について
- 第十五章 その他の自然法について
- 第十六章 人格、本人、人格化されたもの
ところどころ面白いところはあるけど、第13章までは割と退屈。というのも、最初の12章はそれに至るまでの論証に過ぎないんだな。ゴールを示されずに延々と歩く感じがして、だるかった。解説から読んだほうがモチベーションが保てるかも。有名な「万人の万人に対する闘争」というフレーズは、第13章で初めて現れる。
以上のことから明らかであるが、だれもを畏怖させるような共通の権力を欠いたまま生活している限り、人間は、戦争と呼ばれる状態、すなわち万人が万人を敵とする闘争状態方抜け出せない。
ホッブズが「囚人のジレンマ」とか知ってたら喜んで研究しただろうなぁ。人間がその情念――敵愾心・猜疑心・自負心――に支配される限り、繰り返し囚人のジレンマゲームでいうところの裏切りあい状態になる。このような状態において「人間の生活は、孤独で、粗末で、不潔で、野蛮なものとなる。寿命は短くなる」。こうした状態から抜け出すには、“だれもを畏怖させるような共通の権力”が必要となる(個人的にはそうとは限らないと思うけど)。
死に対する恐怖心。便利な生活を送るのに必要なものを手に入れたいという願望。勤め励めばそれらのものを手に入れられるという期待感――。一方理性は、人々を調和に向けて促すのに好都合な平和の要目を教える。その方な要目は自然法とも呼ばれる
俺の用語でいえば、サルの自由を差し出して、ヒトの自由を獲得するのに、自然法・自然権の概念が必要とされるようになる。第十四章以降では、それらについて語られる。
- 平和を求めよ。力の及ぶ限りあらゆる手段を尽くして自衛せよ。
- そのために、(人々の同調が得られる限りにおいて)「あらゆるものを自由に扱う権利」(≒サルの自由)を進んで放棄せよ。
- 結ばれた契約は履行すべし(その強制力として国家が樹立される)
- 報恩:温情を受けた場合は、恩人の善意を後悔させない様に努力すべし
- 協調性:各人はほかの人々に合わせる努力をすべし
- 進んで許すべし(第一の自然法:平和を害さないに反しないと誓うならば)
- 刑罰に当たっては将来の善だけを尊重すべし(教育刑主義
- 傲慢な態度は慎むべし
- 思いあがってはいけない
- 尊大であってはならない
- 二者間の裁きを任されたなら。双方を平等に扱うべし
- 共有物は平等に利用すべし
- 分割も共有のできないものはくじ引きで順番に使え
- 長子相続の原則(自然のくじ引き)
- 仲裁者の身の安全を認めよ
- 論争するものは、自分の権利を調停者の判決に従わせろ
- 何人も自分自身の裁判官にはなれない
- 一方の当事者への肩入れを疑われる場合は、裁判官になれない
- ほかに証拠がなければ、第三者の証言を信用しなければならない
なんか道徳的なものも交じってる気がするけど、サルの自由(個人的自由)の世界からヒトの自由(社会的自由)の世界へ向かうには、これらの自然法が守られるのが大事ってホッブズは考えた……らしい。