『英仏百年戦争』
執筆日時:
- 作者: 佐藤賢一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/09/04
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百年戦争(ひゃくねんせんそう、英語: Hundred Years' War、フランス語: Guerre de Cent Ans)は、フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国の戦い。現在のフランスとイギリスの国境線を決定した戦争である。百年戦争は19世紀初期にフランスで用いられるようになった呼称で、イギリスでも19世紀後半に慣用されるようになった。
伝統的に1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状送付から1453年10月19日のボルドー陥落までの116年間の対立状態を指すが、歴史家によっては、実際にギュイエンヌ、カンブレーにおいて戦闘が開始された1339年を開始年とする説もある。いずれにしても戦争状態は間欠的なもので、休戦が宣言された時期もあり、終始戦闘を行っていたというわけではない。
「百年戦争ってさ、イギリス人からしたら自国の勝利ってことになってるらしいで」
「な、なんだってーーー!」
っていう導入から始まるのが、とっても面白かった。確かに百年戦争の前半はイギリスの勝利といえるけど。
そういえば三十年戦争もいくつかの戦いがひとまとまりになって、「三十年戦争」って呼ばれるようになったのは割りと後の時代の話だったとか。日本人かって前の戦争が真珠湾攻撃で始まったかのような印象を持ってる人が多いけど、日中戦争から地続きだととらえることもできる(中国人からしたら、日本への勝利はアメリカに恵んでもらったわけではなく、八年間の抵抗が実を結んだものだ)。歴史的なイベントをどこで区切るかは後世の人の裁量によるわけで、要は彼らの「どう見たいか」「どう見るべきと考えるか」によるところが大きい。「歴史はフィクション」という作者の言葉にもうなずける。
百年戦争が始まったとき、この戦いはフランス人同士による、フランスを舞台にした“内戦”だった。イングランド王家もとい、ギュイエンヌ公家ではフランス語が使われていたし、イングランドはいわば彼らの“海外領土”に過ぎず、彼らはあくまで“フランス人”だった。英語は庶民の言葉であり、王家のものが使うべき言葉で気はない。
しかし、英語しか話せないヘンリー5世が登場すると、戦争の質が一変する。長引く戦いと裏切りの応酬は大陸との軋轢を増幅させ、次第に「自分たちはフランスではない」という自意識を育てつつあった。ウィクリフが聖書を英訳し、チョーサーが『カンタベリー物語』を記したのもこの時代。こうして芽生えたナショナリズムは、やがて戦争を“父祖伝来のフランス領を取り戻す戦い”から、“フランスという国を征服する侵略戦争”へと変質させていく。だから、この物語はヘンリー5世の成功で幕を閉じなければならなくなる、というわけだな。“建国神話”がバッドエンドでは、収まりがつかんからなー。
で、フランスもフランス側で、祖国復興の物語――これもある種の“建国神話”だな――を紡ぐ必要があった。それがジャンヌ・ダルクなんだな。彼女が「王太子を救え」ではなく、「フランスを救え」と叫んだのにもわけがあるというわけだ。イングランドという敵がフランスという国を作った。イングランドが生まれるのに、フランスを必要としたようにね。