『発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学』

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発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)

発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)

ジェイン・ジェイコブズの本を初めて読んだのは、『市場の倫理 統治の倫理』だった。この本は今でもスゴいと思う。理論的は割とスカスカなのだけど(厳密ではないという意味)、インスピレーションを掻き立てられるというか。

端的に言えば、

という単純な話を、グループディスカッション形式で魅力的に記したのが『市場の倫理 統治の倫理』だ。個人的には今の知見があればこれをもっと深堀りできそうだと思っているのだけど(たとえば“生産(production)”はどーなのよ、とか)、それはまた今度にしようとおもう。

ともあれ、ジェイコブズ女史の知性には全幅の信頼を置いているので、この本も楽しみに読んだのだが――

期待通りだった (^ω^)

ただ、期待以上ではなかったかなという気もする。

まず、以前の著作との連続性がないかな(割とそれを期待していたので)。まぁ、主著ともいえる『アメリカ大都市の死と生』も読まずに何言ってんだかって気もするけど。

加えて、モデルが貧弱なのも気になる。本著では遠隔の取引相手が所与な感じだけど、それを得るのがまず大変なんじゃなかろうか。生産代替は経済を高度化・複雑化することでロバストネスを強化するという意味にとったけど、それもまず遠隔地の市場があってこそだよね。無論、インプロビゼーション(ジェイコブズの用語。新規産業の「創発」みたいなものかなぁ、と思う)のためには都市(や都市域)の経済に十分な複雑性があったほうがいいとのは確か。でも、そのために地方が具体的になにをできるのかっていうと全然わかんないな。何を作るにしても大量生産・迅速輸送な時代だし、天の利・地の利・人の利でもない限り地方で内製する意味はないしな。

あと、地域通貨や関税政策的なものに期待するのは個人的にはダメだ。「『私たちはなぜ税金を納めるのか: 租税の経済思想史』 - だるろぐ」でわかったように、通貨は租税と通底している。経済圏間のクッションとして地域通貨に夢見るのはわかる気がするけど、それが機能するのは中世のような徴税主体が乱立した社会での話なんじゃないだろうか。愛媛県がヒメ通貨を発行しても、日本円ベースで所得の補足と納税が行われるなら、たいした自立性は期待できんやろ。せいぜいヨドバシポイントな感じだ。

最後に。老子とかカンティヨンとか引くのはいいけど、なんとなくビミョーな感じなのにはちょっと文句言いたい!(老子は多分変な翻訳経由の知識だろうし、カンティヨンは孫引きらしい) でも、それをチョイスするセンスはさすがというか、嗅覚がすごいなと思う。

なんか最近ブログ書くの疲れるから、今日はこんなところで。内容についてはまた今度触れたいかなと思う。