『「城取り」の軍事学―築城者の視点から考える戦国の城』

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「城取り」の軍事学―築城者の視点から考える戦国の城

「城取り」の軍事学―築城者の視点から考える戦国の城

『戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』 - だるろぐ の続編。著者は城郭研究家だそうなので、この本が本当の守備範囲。お手並み拝見って感じで読み進めた(確か8月ぐらいに……)。

たとえ見た目が地味だとしても、数の上では圧倒的多数を占める中世・戦国時代の城を主役に据えた本が、一冊ぐらいあってもよいのではないか。そうした動機から出発したのが本書だ。

本書は以下の問いかけから始まる。

  1. 戦国時代には多数の山城が築かれたというが、なぜ山城が選ばれたのか?
  2. 鉄砲の普及は、城の構造にどんな影響を与えたのか?
  3. 戦国末から近世にかけて、土造りの城から石垣の城へ変化するのはなぜなのか?
  4. 戦国末から近世にかけて、城の主流が山城から平山城や平城に移行したのはなぜか?
  5. そもそも、なぜ戦国時代には数万もの城が必要とされたのか?

教科書で習った感じだと、「戦国時代の初期は堅固な山城が主流で、領主は戦争のない時に住む平地の居館と防御用の山城を行き来していたけれど、統一の進展・経済規模の肥大化・動員兵力の増大・鉄砲の普及やらなんやらで、だんだん堀と石垣、天守を備えた大きな城(大名系城郭)が作られるようになる。こうした城は、険峻な山に構えなくても十分な防御力を持つようになり、政治・流通上の理由から次第にアクセスのよい平地が選ばれるようになった(平山城平城)」といった感じだろうか? あんまり日本史は知らんのだけど、これで60点ぐらいは取れる答案になるだろうと思う。

教科書で教えるには、こうした“政治・経済的要因が必然的に導き出す歴史的ストーリー”を語るのが楽なのだけど(マルクス主義史観っぽいね)、実際はそう単純ではないよ、というのが本書の言いたいことであろうと思う。むしろそうした城は一握りで、“数の上では圧倒的多数を占める”城はけっしてそんなものではない。

本書の内容を自分なりに噛み砕き、飲み込んで、お尻から出てきたものをざっくりまとめると、お城には戦略的に建てられたものと、戦術的に建てられたものが存在する(この分類は割と適当なので、ぜひ本書をじかに当たってほしい)。

相違点 戦略的城郭 戦術的城郭
印象 僕らが一般的に想像するお城 森を戴くこんもりした丘。教育委員会の看板でもなけりゃ城とわからない
めっちゃ少ない 探せば腐るほどある
大きさ 大きめなのが多い 多種多様
場所 兵法でいうところの衢地(街道が交わってるとことか) 流通を扼する場所、他国勢力の侵入を監視しやすいところ、勢力の境界
目的 政治・軍事・経済の中心となる政庁を置く 敵を防御・攻撃する拠点
城主 恒久的にいることが多い。だいたい築いた人の子孫 持ち回り・臨時で城番が置かれる。築いた人がわからない場合が多い
寿命 長い 短い。すぐ捨てられる、部材が転用される。戦術的・戦略的判断により自主的に破棄される

端的に言うと、僕らの多くが抱いている城に対する幻想は、「戦略的城郭こそがお城のすべて」という思い込みから生じているようだ。

この影響は深刻で、たとえば「城には城主がいるはずだ」という先入観から“いもしない城主がねつ造される”なんてことまで起こる。近隣地域との背比べや感情上の目玉がほしいという理由で、一時期守備をしていたり、近くに所領を構えていた(城には直接関係がない)というだけの縁を頼りに、有名武将が“戦術的城郭”の築城者・主な城主に担ぎ出されるということもないことではないらしい。

そういう間違いは、なにもその土地の教育委員会のせいばかりではない。城をみる僕たち自身がそれを望んでいるからそうなってしまう。これはちょっと恐ろしい指摘だと思った。僕たちは“戦略的城郭”ばかりに目を向けていて、“戦術的城郭”について無知でありすぎる。それが歴史の見方をゆがめているのかもしれない。実際、僕が今まで見た城のほとんどは“戦略的城郭”で、本格的な攻城戦を一度たりとも体験したことがない城がほとんどだったりする!

まぁ、そんなめんどくさい話は置いといても、本書は割と面白い。「なんでこの方角だけやけに堅固なんだ?」と気付けば、その城が建てられた意味が透けて見えてくる。「なぜそんなところにあるんだ?」と問えば、その城があった当時の状況がおぼろげに見えてくる。そういう見方で城を楽しむのもいいな、と思った。