『帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海』
執筆日時:
- 作者: 久野潤
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2014/06/04
- メディア: 単行本
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艦内神社(かんないじんじゃ)とは、軍艦や艦艇などの内に設けられる小規模の神社のことである。
……
艦内神社は、神社と呼ばれてはいるものの、陸の神社と比べ規模は小さく、潜水艦や駆逐艦などの小型艦艇になると、大きい神棚程度のものであるとされている。大体は艦長室か機関室、食堂付近などの人の集まる所に設置される。日本海軍時代には天皇の御真影・勅諭とともに安置された。
日本国では古くから海上交通の安全を祈願するため、船霊を祭るという信仰が伝えられてきており、艦内神社もその延長線上に存在する。
艦内神社について書かれた、たぶん日本で唯一の書物。著者は僕と同い年のよう。もしかしたらすれ違ったりしたことがあったかも。保守的というか、右寄りというか、そういう政治的主張があちこちに埋め込まれているのが鼻につくが*1、それさえ気にしなければ、よく調査され、まとめられた良著だと思う。
たとえば、軽巡洋艦「那珂」の艦内神社は那珂川の河口にある「大洗磯前神社」を分霊したもので、その縁で戦没者を慰霊する忠魂碑が設けられている(艦これ:巡洋艦・那珂ちゃんのお墓詣りしてきた - だるろぐ)*2。そんな感じで、軍艦には、たいていその名前に由来する神社から分霊してもらったミニ神社があっる。なかには武運長久を願って、乗組員や、ときには艦長みずからが分霊元の神社を参拝し、模型や写真、なかには砲弾などの物騒なものを奉納されていたのだそうな。
――以下、個人的に興味深かったエピソードを抜粋。
- 日吉大社では「比叡」が沈んだ翌正月も、社務所の前に「比叡」の模型を出して建艦募金を募っていた。沈んだことを知らされていなかったのか、沈んだからお金ちょうだいということなのか
- 「扶桑」「山城」姉妹はどちらも岩清水八幡宮から分霊。仲いいな!
- 「伊勢」の艦内神社は、あの“神宮”。格としては最強やな
- 「大和」の艦内神社は奈良県天理市の大和(おおやまと)神社。一の鳥居から本殿までが「大和」の全長とだいたい同じ
- 瑞獣から名前がとられた航空母艦は氏神がよくわからないことが多い
- 「加古」の艦内神社は兵庫県加古川市の日岡神社が由来。祀られているのはアメノイササヒコノミコトで、安産の神様。
- 横須賀鎮守府はほんとうに「ヨコチン」と略されていたらしい。サセチン、マイチン……いろいろヒドいな。
- 「那智」は熊野那智大社。勝利をもたらす八咫烏が祀られているが、この八咫烏、いまはサッカーも担当しているので、女子サッカーの澤姐御もお札参りに来る。
- 足柄神社の宮司さんは生活費を稼ぐために平日昼間はバイトしてるらしい……大変やな。
- 「高雄」は和気清麻呂、「名取」は伊達政宗。
- 愛宕神社は火伏(防火)の神様。
- 「鈴谷」の艦内神社・樺太神社は、今はロシア領になっている。
- 軽巡洋艦「天龍」の艦内神社は、愛媛県今治市の大山祇(おおやまづみ)神社。平成四年、中核派に時限爆弾を仕掛けられて燃えた。こういうのは許せん。
- 「川内」は鹿児島県薩摩川内市の新田神社。「今回艦長は参拝できません」という通信筒を艦載機が落としていったという話は個人的にツボ。戦後は「飛龍」の慰霊祭もやったのだそうだ。
- 日露戦争で石炭増産で勝利に貢献した夕張市に報いて、大正十二年、最新鋭軽巡に「夕張」という名前が与えられる。夕張神社には東郷元帥自筆の神額や、上海事変の戦利品である敵の砲弾などが奉納されたという。護衛艦「ゆうばり」の退役で夕張神社には閑古鳥が鳴いてるらしいので、ご近所さんはれっつらごー。
最後に。
護衛艦の艦内神社が“政教分離”にそぐわないという意見に関しては、そういわれても仕方ない部分はある。国家神道が太平洋戦争で一定の役割を果たしたのも事実だと思うし、どうも著者の政治的主張(の右側部分)に接すると逆に、神道と軍事を近づけるのはどうも危ういと感じさせられる。
けれど、艦内神社が海上交通の安全を祈願する船霊信仰に由来すると考えれば、その歴史は現行の憲法なんかよりもずっと古い。また、“政教分離”は政治が特定の宗教のコントロール下に入ることを戒めているのであって、船乗りたちの信仰を抑圧するものではないはず。私費で行われ、伝統的な習慣の範囲内で、強制力なしに行われるのであれば、外野がとやかく言うことではないようにも思う。
ちなみに、自分が船乗りだったら、そういうことにおカネを出す。嵐にあってから神様に祈るのでは、あまりにも虫がよすぎるからね。