『キングダム』の登場人物ってほとんど架空でしょ?……そうでもなかった件。
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まぁ、主人公の李信なんかはやらかしたエピソードが有名だったので実在だっていうのは知っていたけれど、端役の将軍なんかはほとんど架空なんだろうなぁ、と思ってたらそうでも無くてびっくりした。
たとえば、李牧の合従軍にきたこいつら。どう考えても架空の人物だろうと思ったらそうでもなかった。
まずは汗明。
汗明見春申君,候問三月,而後得見。談卒,春申君大說之。汗明欲復談,春申君曰:「僕已知先生,先生大息矣。」汗明憱焉曰:「明願有問君而恐固。不審君之聖,孰與堯也?」春申君曰:「先生過矣,臣何足以當堯?」汗明曰:「然則君料臣孰與舜?」春申君曰:「先生即舜也。」汗明曰:「不然,臣請為君終言之。君之賢實不如堯,臣之能不及舜。夫以賢舜事聖堯,三年而後乃相知也。今君一時而知臣,是君聖於堯而臣賢於舜也。」春申君曰:「善。」召門吏為汗先生著客籍,五日一見。汗明曰:「君亦聞驥乎?夫驥之齒至矣,服鹽車而上太行。蹄申膝折,尾湛胕潰,漉汁灑地,白汗交流,中阪遷延,負轅不能上。伯樂遭之,下車攀而哭之,解紵衣以冪之。驥於是俛而噴,仰而鳴,聲達於天,若出金石聲者,何也?彼見伯樂之知己也。今僕之不肖,阨於州部,堀穴窮巷,沈洿鄙俗之日久矣,君獨無意湔拔僕也,使得為君高鳴屈於梁乎?」
汗明 - Wikipedia にも載ってたから、これを知らなかったのは自分の勉強不足だ。
ただ、この春申君と接見した汗明は武将ではなく、どっちかっというと説客の類で、武勇に優れていたという記述はない。たぶん、名前だけ拝借してきたのだろうと思う。
次は、顔のちょっとキモい成恢。
楚王攻梁南,韓氏因圍薔。成恢為犀首謂韓王曰:「疾攻薔,楚師必進矣。魏不能支,交臂而聽楚,韓氏必危,故王不如釋薔。魏無韓患,必與楚戰,戰而不勝,大梁不能守,而又況存薔乎?若戰而勝,兵罷敝,大王之攻薔易矣。
韓氏逐向晉於周,周成恢為之謂魏王曰:「周必寬而反之,王何不為之先言,是王有向晉於周也。」魏曰:「諾。」成恢因為謂韓王曰:「逐向晉者韓也,而還之者魏也,豈如道韓反之哉!是魏有向晉於周,而韓王失之也。」韓王曰:「善。」亦因請復之。
スゴい、これも実在した。『戦国策』に2回ほど出てくる。
年代の特定は、『魏策』に出てくる犀首が割と有名な人物なので余裕……と思ったら、Wikipedia には項目がなかった。別名の“公孫衍”で調べると、武王 (秦) - Wikipedia にちょっと載ってる。
この武王は始皇帝の4代前の王で、『キングダム』の時代からはだいぶ離れている。というわけで、成恢も名前を借りただけということみたい。
ちなみに、呉鳳明は見つからなかった。オルドはとりあえず漢字の表記がわからないことには調べられん。
そのほかの主役級は?
(from: キングダム LoliiShop ロリィショップ)
この二人はまさか実在するとは思ってなかった(ただ、女であるとは書いてない。たぶん、ち○こついてる)。残念ながら、河了貂は架空の人物みたい。
そのほか、秦の六将はすべて実在(ただし、王騎についてはかなり脚色がある)。割りと史実から名前を拝借して、ストーリーを膨らましているみたいだ。
二十万もいれば余裕ッス
ちなみに、冒頭に述べた李信の“やらかし”エピソードってこんな感じ。
秦始皇既滅三晉,走燕王,而數破荊師。秦將李信者,年少壯勇,嘗以兵數千逐燕太子丹至於衍水中,卒破得丹,始皇以為賢勇。於是始皇問李信:「吾欲攻取荊,於將軍度用幾何人而足?」李信曰:「不過用二十萬人。」始皇問王翦,王翦曰:「非六十萬人不可。」始皇曰:「王將軍老矣,何怯也!李將軍果勢壯勇,其言是也。」遂使李信及蒙恬將二十萬南伐荊。王翦言不用,因謝病,歸老於頻陽。李信攻平與,蒙恬攻寢,大破荊軍。信又攻鄢郢,破之,於是引兵而西,與蒙恬會城父。荊人因隨之,三日三夜不頓舍,大破李信軍,入兩壁,殺七都尉,秦軍走。
秦の始皇帝はすでに三晋(韓・魏・趙、この三国は春秋の晋から別れた)を滅ぼし、燕王を追いやり、荊(楚のことかな?)の軍をしばしば破っていた。
秦の将軍・李信は年が若く血気盛んで、数千の兵をもって燕の太子・丹を捕えるという功績を立てており、始皇帝はこれを評価していた。そこで、始皇帝は李信に問うた。「荊を攻め取りたいのだが、将軍なら兵がいくらいればイケるか?」 李信は答えた。「二十万もいれば余裕ッス」 始皇帝は(老練な)王翦にも同じことを聞いた。王翦は答えた。「六十万いないと無理です」 始皇帝は言った。「王翦も老いたものだなぁ、ビビりすぎ。それに引き換え李信の頼もしいことといったら!」 始皇帝は李信と蒙恬に兵二十万を与えて荊を討伐させた。王翦は自分の意見が聞き入れられなかったので、不貞腐れて自領に引っ込んでしまった。李信は平輿の街を攻め、蒙恬は寝の街を攻め、ともに荊の軍を大破した。李信はその調子で鄢・郢(ともに楚の旧都)に攻め入り、これを破り、西へと兵を進め、蒙恬と城父の街で合流した。しかし、荊軍はこれを三日三晩宿もとらずにじっと追跡していたのだ。李信の軍は大敗し、敗走した。
まぁ、このエピソードの主役は李信ではなく、このあと始皇帝に請われて出馬した王翦がいかにして保身に心を砕いたかというのがみそなのだけど……興味がある人は『史記』でも読もう!
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追伸
李信の子孫に、漢の飛将軍・李広(李広 - Wikipedia)がいる(三国志ファンの人! 弓の名手で武勇に優れた人を飛将軍って呼ぶのは李広がオリジナルなんだからね!)。長年にわたって対匈奴戦線で活躍していたのだけれど、衛青・霍去病といった若い武将が台頭すると、老齢であるからと出番を失いがちに。功を焦って出陣するも、砂漠で迷子になっちゃったりして、最後は悲憤して自決した。
この李家というのは血の気の多い家系らしい。李広の長子・李当戸は漢の武帝のホモ達・韓嫣が調子に乗っているのが気に入らず、ぶん殴った。彼は父譲りの勇将だったが、残念ながら早世している。また、李広の末子・李敢は父の死で衛青を逆恨みし、ぶん殴った(またかよ)。奴隷出身の衛青は人間ができていたためこれを不問に処したが、生まれながらにしての貴族だった霍去病はこれを許せず、狩猟にかこつけて李敢を射殺した。
で、ちなみに李当戸の息子が中島敦の小説でも有名な李陵。李陵は匈奴と孤軍奮闘したのち捕えられたが、それを弁護した司馬遷が武帝の怒りを買い、ち○こを切られたのは有名な話。司馬遷がち○この恨みをこめて「天道、是か非か!」と書き切ったのが、『史記』だった。