『日本軍と日本兵 ――米軍報告書は語る』

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日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

個人的に「意外だなぁ」と思うことのオンパレードだった(知ってたことも多かったけど)。

ほかにもいろいろ。これのいくつかは日露戦争期でも言われていたことで(射撃が下手とか人命軽視だとか)、すぐに民族や組織の体質ってのは変わらないのかなぁ、とも思った。

まぁ、なんというか、「アメリカさんはよく敵のことをシッカリ分析するものだなぁ」と思う。第二次世界大戦で日本はアメリカの物量・工業力に負けたというイメージがあるけれど、こうした「勤勉さ」ですでに負けていたんじゃないかな……自分が知らないだけかもしれないけれど、日本軍が米軍ほど敵の分析をまじめにしたのかというと疑わしい。日本が米兵をどのようにみていたのか、という逆視点の本も読んでみたいな。

こうした日本兵・日本軍の特徴を自分なりにちょっと乱暴にまとめると、日本軍というのはミクロな最適化は得意だが、マクロな最適化は苦手とするということになりそう。

たとえば、比較的小規模なグループに限られた予算と明確な目標を与えると、入念に準備したうえで、制約の中でできるだけパフォーマンスを発揮できるように理性的に行動する。しかし、どのグループにどれだけ予算を与え、どのような目標を与えるのかというもう一層上の判断になると途端に利己的になったり、仲間内での主導権争いで消耗し、合理性を失ってしまう。あの悲惨な特攻作戦・肉弾作戦だって、与えられた予算と目的という制約下では、割りと合理的な手段だった。問題はそういう予算と目的を安易に設定し、困難を下の階級のものへ押し付けて反省しない上層部のメンタリティだ。

まぁ、どの民族であれおおかれ少なかれそういうところはあると思うけど、日本人はそれが(経済的・文化的水準が高いにもかかわらず)ちょっと顕著なのかな。「日本人は見ず知らずの相手を信じて協調することが苦手」というのはいくつかの実験から明らかになっているけれど、その悪いところがでてしまっている。

自分で考えて行動し、それに責任をもてる人を少しでも増やしていくには、どうすればよいのだろう。そういう社会こそファシズムに耐性のある社会だと思うし、これからも平和を維持するうえで、日本人の課題になると思う。