『数学序説』
執筆日時:
- 作者: 吉田洋一,赤攝也
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/09/10
- メディア: 文庫
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数学! 自分は経済学部だったのだけど、解析が超苦手で……受験のときはそれほど数学は嫌いじゃなくて、むしろ整数問題とか幾何、漸化式や数学的帰納法みたいな分野は大好きだった。微分・積分はなぁ……計算とかとにかくメンドくさくて。一方、ベクトルや三角関数は得意でも不得意でもないって感じ。高校レベルだとそれほどめんどくさい計算も出てこないしね。大学で使う数学は解析ばっかりだったから講義がイヤんなってしまって、むしろコンピューターの(仕組みの)ほうに興味が行ってしまった。
それはともかく、本の中身だけど。
だいぶ面白かった(小並感)。途中「フェルマーの最終定理にはまだ証明が与えられていない」といった記述があって、「あれ?」と思って初版が発行された年を調べてみたら、改訂版で1961年なのだそうだ。割りと古いのだけど、あまり古さは感じられなかった*1。
ギリシアの幾何学とインドの代数学が出会って、アラブ人がそれを熟成し、やがて近代数学が代数的に幾何学を解く方法を編み出す(解析幾何学、微分積分)……といった物語がとっつきやすくていい。また、逆に代数方程式が幾何学的に分析されりってのも興味深い。あっちからみたり、こっちからみたりしているうちに、数の不便なところをガンガン直していったのが今の数学の体系なんだなぁ。最後は無限の話とか、ヒルベルトの公理主義の話になって、最後に確率の話がくっついている。とくに実数の概念の話(有理数による切断って、わかったようなわからないような)と無限の濃度(やっぱあれ、薄いのと濃いのあるよな!)については大変勉強になった。わかんないところは今度 @reki_frequent ちゃんの口にから揚げを突っ込みながら聞いてみようと思う。
でも、実はこの本で書かれている話、群・環・体の前までの部分は高校の数学の授業で T 田先生に習ったことあったわ(これがネタ本やろ! 先生!)。いきなりカリキュラムにない、円錐を切る話をやりだしてなんのこっちゃと思っていたけれど、これって“円錐曲線”の話だったんだね(切り方によって楕円、放物線、双曲線の3つができる)。スゴい面白い話をしていたのに、当時は「受験に関係なさそうなのに、不思議な話をするなぁ」としか思ってなかったのが、今となってはちょっと悔しい。
あと、ヒルベルトの公理主義の部分を読んでて思ったのだけど、こういう考え方って別に数学だけのものじゃないよね。
法実証主義とは)legal positivismの訳語だが、意味不明な誤訳である。もちろん定訳なので著者の責任ではないが、彼も説明しているように、これはpositive law(実定法)の派生語であり、科学の実証主義とは関係ない。本来は(positive law)ismという意味だから、実定法主義と訳すべきだ。
これは訳語だけの問題ではなく、法実証主義と訳すと対立概念がよくわからない。実定法主義と訳すと、その対義語が自然法思想であることは明らかだ。Positiveという言葉は「人為的な」という意味で、「自然な」という言葉に対立する概念だ。この自然は神の隠語だから、法は神の秩序だというのが自然法思想である。
ケルゼンの実定法主義は自然法を否定し、法をその形式的な整合性だけで論じた。これは数学におけるヒルベルトの公理主義や言語学におけるソシュールの構造主義と同じで、法が正しいかどうかはその手続きの正当性と条文の無矛盾性のみで決まる。逆にいうと立法府が正当な手続きを踏んで制定した法は、ヒトラー政権の法であっても正しい。
ヒルベルトはイケてると思うけれど、なんか“フワフワ”した感じも受ける。ちゃんと地に足がついていないというか。それって、普通のひとが「悪法も法だ!」って言われて「それはそうなんだろうけど、なんか納得いかないなぁ」と感じる感覚と似ていると思った。現実と数学の接点って、ほとんど哲学の話みたいだ。
ともあれ、万年数学入門者の僕が言うのもなんだけど、この本は入門書の中でもだいぶすぐれていると思った。なんかちょっと数学についてわかった気がしたから、また数理論理学とか P 進数の本も読み返してみたいな。
*1:「称える」ってその頃は割と普通に使ってたの?