『貨幣とは何だろうか』
執筆日時:
- 作者: 今村仁司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/09
- メディア: 新書
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貨幣の社会哲学は、貨幣の経済的機能を論じるのではなくて、人間にとっての貨幣の意味を考える。
人間とはなにか、何であると言えるかを考えるとき、思い浮かぶ言葉がある。いわく「ホモ・ファーベル(道具)」だの、いわく「ホモ・ルーデンス(遊戯)」だの。でも、道具を使う動物はいるし、遊んでるのだっているかもしれないし。
けれど、たぶん貨幣を使う動物はいない。文字を書く動物や、お墓を作る動物がいないように、働いてお給料をもらう動物は、世界中探してもたぶんどこにもいない。発話をシンボル化(=文字をもつ)したり、生死をシンボル化(=お墓を立てる)したりするのと同じぐらい、交換をシンボル化(=貨幣をもつ)することは人間に独特のことと言える。そして、それらはリンクしている。
墳墓、贈与、貨幣、権力は、動物にはまったく見られない現象である。
貨幣の「貨幣形式」という"役割"の面を無視して、"機能"としての貨幣のみを見ていると、大事なことを見落としてしまう。人間の本質を読み解く重大なヒントが隠されているのに。
ただ、個人的には「死の観念」と「貨幣」を結びつける著者の主張にはついていけなかった。なので、中盤の文学話もあまりわからず、少し退屈だった。詳しくはほかの著書を参照してくれとのことだけど、今のところは興味がない。頭の片隅に置いておいて、何か結びつくものを感じたら挑戦したい。
まぁ、だから今の自分風に表現すれば、先ほどの引用はこんな感じになるだろうか。
贈与、交換、権力は、動物にはまったく見られない現象である。
自分が考えるべきことがすっきり整理できたのも、本書で得られた大きな成果のひとつかもしれない。まだ、贈与について少しと、交換についてほのめかす程度にしか書けていないので、またぼちぼち始めるか。
PS: 文字を発明したのが商人なのであれば、初めて発明された文字は「数字」に違いない。そして、単数形・複数形の概念と冠詞の存在は合理的でもある(交換には数の概念と個別・一般の概念が不可欠だから)。でも、それをもたない言語もたくさんあるわけで、やっぱりちょっとわかんないな。