「女性は2人以上産むことが大切」発言は何がおかしいのか
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今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
「価値」という言葉を無造作に使う人がいるが、これはやめておいた方がいい。少なくとも、使う場合は「主体」を意識した方がいい。
「価値」は、基本的に主体的でしかありえない。これは客観的な価値というものを考えてみればわかる。客観的な価値とは、
- (以上、以下などと)比較可能であること
- (計測可能であること)
という条件を満たさなければならない(後者は必須ではないが)。実際、経済学が“科学的に”扱う「価値」とは、貨幣との比較が可能≒比として表せる≒価格がつけられる「客観的価値」でしかない。この価値は交換過程(≒市場)に投げ込まれて初めて露わになるので、「交換価値」とも呼ばれる。
つまり、おカネの話でもない限りは、「価値」とはすなわち「主観的価値」のことを指す。
さて、「主観的価値」というのは、とどのつまり、自分がどう感じるかだ。これは誰かに――たとえば市場によって――決められるものではない。自分でしか決められないし、自分で決めるべきものだ。なので、そこにはかならず「主体」というものがある。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。
「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。
もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。
子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。
件の校長先生の話は、一つの者の見方としてはアリだと思う。けれど、彼が語る「価値」とは、日本という社会にとって望ましい、社会の立場での主観的な価値でしかないし、それを女の子が身につけなければならないなんてことはないはず。一つの選択肢として示すだけならばともかく、「主体」が多様であることを考慮せず、あたかも共有すべき・共有できる「客観的(≒普遍的)価値」として表現したのはまずかった。
子供を二人女性がキャリアを捨てて追い詰められず産み育て上げるには男性には少なくとも800万ほどの年収が必要です。ですので男子諸君は無駄な金にならない趣味などに走らず勉学に励み大学を出て就職したらすぐ家庭を持ち支えましょう。これが男性にとって最も価値ある生き方です。って言われたら?
— 阿部川キネコ (@kinekofu) 2016年3月12日
議論が普遍的であるなら、同じロジックが主語を入れ替えても成り立つべきだが、たぶん今回の件はそうじゃない。
僕も含めて、こうした間違った言葉の使い方・考え方はよくやってしまうものだが、これは「(主観的)価値なんか到底共有できない」という前提に返ることである程度防止することができる。もし社会の要請する「価値」通りに行動してもらいたいのであれば、それを「価値」として説くのではなく、どのようすれば受け入れられるか、双方が歩み寄れるのかを議論するようにすべきだろう。中学生には難しすぎるだろうか? むしろよい題材だと思うのだが。
――まぁ、それはともかく。
居酒屋でおっさんが持論を展開しているだけなら「あぁ、そうかもしれませんね」と聞き流せばいい話だが、教育の現場で、長たる校長先生による話としては稚拙だった。公的立場にある人なのだから、こうしたことに関しては敏感であってほしいものだと思う。ましてや、次世代を担う若者を指導する教育者なのだからね。あなたが教えないと、鈍感な人間が再生産されることになる。
応用問題
- 「付加価値を生む」などと言われることがあるが、それは「誰」にとっての「価値」なのだろうか。
- 「苦労して働いた分は支払ってもらって当然である」という考えに潜む問題点を指摘せよ。