九州の都市人口ランキングの変遷
執筆日時:
1886(明治19)年
- 伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任(1885年)
- 陸軍師団番号制定:熊本鎮台が第六師団に
順位 | 都市名 | 都道府県名 | 人口 |
1 | 東京 | 東京府 | 1,121,883 |
2 | 大阪 | 大阪府 | 361,694 |
3 | 京都 | 京都府 | 245,675 |
4 | 名古屋 | 愛知県 | 131,492 |
5 | 金沢 | 石川県 | 97,653 |
-- | -- | -- | -- |
14 | 鹿児島 | 鹿児島県 | 45,097 |
15 | 熊本 | 熊本県 | 44,384 |
17 | 福岡 | 福岡県 | 42,617 |
19 | 長崎 | 長崎県 | 38,229 |
37 | 佐賀 | 佐賀県 | 24,657 |
-- | -- | -- | -- |
100 | 米子 | 鳥取県 | 11,860 |
当時の九州最大の都市は、旧薩摩藩(島津氏)の藩庁があった鹿児島でした。5位に肥前藩(鍋島氏)の佐賀がランクインするなど、封建制時代の名残がうかがえます。
2番目は、九州における軍事・政治の中心である熊本。西南戦争(1877年)の中心となった鹿児島への抑えとして、熊本鎮台が置かれていました。この年、反乱の鎮圧を主眼とした鎮台制が、外征をも視野に入れた近代的な師団制へと移りますが、熊本に置かれた第六師団は日本最強の師団の一つでもあります。中央官庁の出張所も、最初は福岡ではなく、熊本に置かれることが多かったようです。
3、4番手に続くのは福岡(博多)と長崎。いずれも九州の商都ですね。つまり、当時の九州は、江戸時代の名残でやたら人口の多かった鹿児島・佐賀を除けば軍都・政都「熊本」+商都の2トップ「福岡」「長崎」という構成でした。大分と宮崎? 察して差し上げろ。
ちなみに当時は1万人もいればTOP100に入る大都市だったようです(100位の米子市は11,860人)。九州でTOP100に入る都市を拾ってみると、46位・久留米(20,907)、59位・島原(17,593)、74位・中津(15,518)、95位・柳川(12,350)みたいな感じ。今とだいぶ景色が違いますね。
1889(明治22)年
- 大日本帝国憲法・皇室典範・ 衆議院議員選挙法公布
- 東京15区で市制を施行し、東京市が誕生
- 東海道線全通(新橋 - 神戸間、直通列車毎日1往復)
- 九州鉄道の博多 - 千歳川間開通
TOP5 は東京市(1,389,684)、大阪市(476,271)、京都市(279,792)、名古屋市(162,767)、神戸市(135,639)。金沢市は7位に転落してしまいました。
順位 | 都市名 | 都道府県名 | 人口 |
12 | 鹿児島市 | 鹿児島県 | 57,465 |
14 | 長崎市 | 長崎県 | 55,063 |
15 | 福岡市 | 福岡県 | 53,014 |
17 | 熊本市 | 熊本県 | 52,833 |
44 | 佐賀市 | 佐賀県 | 26,401 |
長崎が順調に人口を伸ばして2位になった以外は、とくに目立った変化はありません。熊本までの4都市はドングリの背比べで、佐賀市が一段落ちる感じです。
面白いのは TOP100 に鹿児島県の村がたくさんランクインしていること。試しに挙げてみると。50位・谷山村(24,248:日本全国の三大村の一つ)、61位・頴娃村(えいむら、19,500)、64位・東南方村(19,007)、69位・串木野村(17,940)、80位・志布志村(16,764)、88位・阿久根村 (14,814)、89位・知覧村(14,793)、93位・指宿村(14,517)、94位・伊敷村(14,512)、95位・伊作村(14,507)。なぜなのかはよくわかりませんが、このころは南九州の方がかなり人口が多かったのは確かのようです。
ちなみに、この年の最大の村は難波村(大阪府)。25,617人の45位で、佐賀市とおんなじぐらいの規模でした。
明治31年(1898年)
- 米西戦争
- 第1次大隈内閣成立
- 博多駅開業(熊本駅開業は1891年、長崎駅(現:浦上駅)開業は1897年)
目を見張るのは長崎の発展ぶりで、人口は倍増、日本全国でも TOP10 に入っちゃいました。他の都市も順調に発展しているのですが、置いて行かれてしまった格好ですね。商都・長崎の一人勝ち時代の到来です。――しかし、九州の主要都市では福岡市にいち早く鉄道が乗り入れ、本州との結びつきを強化。のちの福岡飛躍の布石となっています。
順位 | 都市名 | 人口 |
8 | 長崎市 | 107,422 |
12 | 福岡市 | 66,190 |
16 | 熊本市 | 61,463 |
19 | 鹿児島市 | 53,481 |
五大都市 - Wikipedia からの引用ですが、九州の都市は4位までしか拾えなかった……orz おそらく前後の文脈を考えると、佐賀か大分がくるのだと思います(約3万)。ちゃんとした数字は『明治大正国勢要覧』という本に書いてあるらしいので、ヒマなひとは図書館で借りるといいかもしれません。
大正2年(1913年)
- 第一次国勢調査
- 日本海軍の巡洋戦艦「金剛」が竣工
- 日本政府が中華民国を承認。臨時大総統であった袁世凱が正式に大総統に就任
10 | 長崎市 100,437 |
15 | 鹿児島市 71,532 |