将棋電王戦 FINAL

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バイクで出かけるのを中止して、ニコニコ動画で「将棋電王戦 FINAL」を観ていたのだけど、開始30分程だろうか、あっさりコンピューター側が投了して終わった。もう缶ビールあけて、一日中ゴロゴロしながら観戦するモードにはいっちゃったのに、どうしてくれるんだよ。酒飲んじゃったんじゃ、外にも行けない。続けて行われたエキシビションマッチが面白かったからよかったものの……。

それはともかく。

電王戦はずっと見てきたけれど、今回は今回で、なかなか興味深い結果になった。勝敗は

という人間側からみて3勝2敗だったのだけれど、すべての対局で、成否はともかく、所謂“ハメ手”への誘導がテーマになった。

第一戦の 斎藤慎太郎 五段 vs Apery では、斎藤五段が序盤で謎の長考。傍から見ると、コンピューターとのねじりあいを制した斎藤五段の強さが光った感じであったが、あとで明らかになったところによると、この長考がコンピューターをハメる罠であったという。

二戦目の Selene vs 永瀬拓矢六段 では、永瀬“軍曹”が一局で二回勝つという離れ業をやってのけた。コンピューター相手に優勢まで持ち込み、なおかつ“2七角不成”でコンピューターのバグを突いて投了に追い込んだ。投了時点で先手持ちだった「やねうら王」の評価値が、バグ騒ぎで放置されている間に後手持ちになったのも印象深い。それだけ時間がなければ、コンピューターも後手勝勢が読み切れなかったのだ。

第三戦、稲葉陽七段 vs やねうら王 は、角の捕獲作戦――所謂“門を開ける”――をやるかやらないか、成功するかしないかが話題になった。結局、稲葉七段は“門”を開けられず、かえって萎縮したような手を指して敗れ去った。第四戦の ponanza vs 村山慈明七段 も、棋士側が対策を用意したもののそれへ誘導できず、いいところなく敗れた。

そして最終戦。AWAKE が死地に角を放った手を見て、開発者の巨瀬氏が投了。あっけない終幕となった。

自分なりに「将棋電王戦 FINAL」を振り返るならば、このシリーズは“棋士がコンピューターをコンピューター扱いした”シリーズだったと思う。

これまでの電王戦では、棋士側もコンピューターをある意味、自分たちと同じ“人”とみなして対峙していた。ソフトに対して“さん”付けで呼ぶ棋士・関係者が多かったことをみても、それが窺える。

しかし、「将棋電王戦 FINAL」ではそうではなかった。“人”に対してならば決してしないようなある意味“えげつない”対策を用意し、外聞を憚らず実行し、そして見事3勝をもぎ取った。“コンピューターに勝つには、相手をコンピューターとみなせばよい”という単純な事実に、いまさらながら気づいた格好だ。思えば、過去の電王戦でもコンピューターから勝利をもぎ取った棋士、阿部だったり豊島だったりには、若干その気があったように思う。もしくは、塚田みたいになりふり構わず引き分けに持ち込むといった風な。

あと、もう一つ痛感させられたのは、棋士がやる将棋と、コンピューターがやる将棋はまったく異なる“異種格闘技”だということ。両者は“将棋のルール”という一点でのみ、辛うじて交差しているだけで、なんの類似性もない。

そもそも、棋士とコンピューターの持ち時間が同じ5時間だというのもおかしい。棋士の脳の演算能力は、CPU でたとえたらどれぐらいなのだろうか。Z80? Pentium III 1GHz? まぁ、“1秒間に1億と3手読む”と言われる佐藤康光でも最新 CPU には到底及ばないだろう。ただ、棋士には盤面からめぼしい手を見出す直観力があり、それを頼りにコンピューターよりも局部的に深く探索できるから、“貧弱な”演算能力でも辛うじて対抗できているだけだ。

電王戦で行われている“ソフトの貸し出しルール”は、そうした棋士にハンデを付けるためのものだ(主催者によるとそれは違うらしいのだけど)。ソフトのソースコードをある時点でフリーズさせ、それ以降は一切手を加えない。そして、棋士はそれを事前に研究することができる。こうすることで、棋士は事前に持ち時間を“上積み”することができる。演算能力に100倍の開きがあるならば、事前に500時間は研究しておかなければ釣り合わない(それでも、実戦での持ち時間は“平等”だから中盤でひっくり返される恐れが高い)。

このルールがいいか悪いかは別にして、そうでもしないと“実質的な”持ち時間が違いすぎるわけだ。だから、プロ棋士と言えどもソフトには簡単には勝てない、それどころか“勝率1割すら怪しい”。過去4回の電王戦を通じて、指す側も見る側も、それが肌身に感じられただろう。もう、人間は将棋でコンピューターには勝てない。

でも、ソフト開発者に少し謙虚になってほしいのは、ソフトの力とされているもののおそらく9割五分以上が、実のところ CPU のおかげだということだ。

コンピューターソフトの強さは、演算能力とアルゴリズムの優秀性から成るとみなせる(まぁ、データベースの善し悪しなどもあるかもしれない)。しかし、このアルゴリズムの部分というのは、実のところあまりたいしたことがない。確かに工夫は凝らされているのだけど、テキトーにあたりをつけて数値化したいろんなパラメーターを組み合わせているだけで、棋士の“直観力”を再現できているわけではない。すごく複雑な“評価関数”を解いているだけに過ぎない(その意味で、将棋ソフトは人工知能ではまったくない。将棋を数学問題と見立てて計算を解く高性能な自動電卓だ)。棋士の脳味噌をアルゴリズムで表現できるならば、それを今のソフトと同じコンピューターに載せて戦わせてみればよいのではないだろう。おそらく勝てはしないと思う。

まぁ、ぶっちゃければ、プロ棋士はインテルに負けたわけだ。超優秀なアルゴリズムに敗れ去ったわけではない(まぁ、プロ棋士の固定観念のいくつかを打ち破ったという功績はあるが)。

いかに将棋に特化して何十年も訓練したとはいえ、所詮、人間の脳味噌は計算機としてはポンコツだから、これは仕方ない。そういうハンデを乗り越えて人間がソフトに勝とうと思えば、自然、メタ戦略を使わざるを得ない。同じ土俵で戦うなんて、バカみたいじゃないか。ソフトの弱点を突いて勝つ方がよっぽど楽だし、賢いし、人間の長所を引き出している。

今回の電王戦では、それが一般の人にもよくわかったと思う。なので、今回が一応の区切りというのはいいんじゃないかな、と思った。

蛇足

一部開発者の幼稚な言動には、ちょっと呆れた。谷川会長が挨拶でまず主催者にお礼を言っていたが、多少の社会性を身に着けているならばそうあるべきだろう。興業に穴をあけるだけならまだしも、それを補ってくれた人に対して一言のお礼もないのはどういうことだろう。貸し出しルールが不服ならば参加しなければよいし、事前に穴が見つかるのが心配ならば100万チャレンジなんかやってる場合じゃなかっただろう。口では「勝ちにこだわらない」といいつつ、未練がましいのは本当に醜悪だ。真に“棋士の棋力向上に役立ちたいだけ”なのならば、単にソフトを貸し出して、順位戦やタイトル戦に役立ててもらえばいいだけの話で、なにも一発勝負の場を設ける必要なんかない。

そもそもこうした場は、それを設けてくれる人たちと、それを見てくれている人たちがいてこそ興業として成り立つ。にもかかわらず、それに思い至らない。ヲタクであることは悪いことじゃないどころか美徳ですらあるが、公共の場でそういうヲタク根性丸だしなのは正直みっともないと思った。