この前の選挙について

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そもそもやってよい選挙だったのか

日本国憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
三 衆議院を解散すること。
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

浅学ゆえよくは知らないのだけど、衆議院の解散にはには二つ種類があるという。

  1. 対抗的解散:内閣不信任案決議が可決された場合、内閣が「納得いかんやで、国民に聞いてみるやで!」と衆議院を解散する場合。日本国憲法第六十九条に基づくもので、なんら問題はない。
  2. 裁量的解散:それ以外の理由で内閣が衆議院を解散させる場合。“内閣の助言と承認により”天皇が行うならば可能という第七条説などがあるが、否定的な人も少なくない。

今回は「裁量的解散」が疑問とされたわけだけど、法律的な議論をなぞってみると、なるほど、問題は少なくないなと感じた。野党がそれを突きたくなる気持ちもわかる。

しかし、現実論をぶっちゃけてしまうならば、この解散は支持のなさを見透かされた野党にも大きな責任があるわけで、単に与党の横暴と言い切れるものではない。本当に「裁量的解散」が問題であるとするならば、“平時”から憲法改正も視野に入れてそれを議論の俎上にのせるべきだけど、そうした動きもなかった。これでは説得力がないと言わざるを得ないと感じる。

ついでにいえば、野田内閣の解散だって「裁量的解散」だった(かなり状況が異なるが)。

どこにいれればいいのか

自分はみんなの党にずっと投票していたのだけど、結局は名前に反して Res publica のわからない烏合の衆だったらしく、空中分解してしまった。 人間の資質なんか、試してみないと分からない*1。なので、自分は人伝に聞くそのひとの為人よりも、その人が約束する理念とその実現可能性を総合的に判断して選ぶようにしている。しかし、肝心の理念が羊頭狗肉なのならば、どう判断ができるというのか。以後、信頼しないというブラックリストに放り込むしか仕方がない*2

というわけで、今回はこのブラックリスト以外から選ばなければならないのだけど……ほんとうに選択肢がなくて困った。結局は、アベノミクスとやらをよしとはしないものの、それにブレーキをかけても詮方ないという理由で自民党に入れるしかなかった。「メシは食えなくても(実現可能な)理念を」という政治家がほとんどいないので、「悪いようにはしないからメシ食わせろ」な与党と、「減税と反原発みたいなキレイな看板をかけておけばメシが食えるだろう」という野党しかいない。

この問題の本質は、「政治家だってメシを食えねば生きていけない」という一点に尽きると個人的には考えている。

政治家は本来、生業であるべきではない(それは「政治屋」と呼ぶ)。政治家は国民に選択肢を与え、もし選ばれればそれを実現するのが仕事だ。けれど、落選すればメシが食えないとなれば、選挙のため(だけ)に必死になっても仕方がないだろうとは思う。万人に最低限の所得保障があればこの問題もクリアできるのだろうけれど(自分はベーシックインカム論者である)、そうなったらなったで選ばれる人たちが本当に「政治家」ばかりになるのかと言えば、微妙だなとも思う(自分はベーシックインカムを信じてはいない)。そろそろみんな「選挙民主主義」なんかあきらめて、「籤引き民主主義」についても考えてほしいと思う。

なぜ投票にいかねばならないのか――そもそも「民主主義」ってなに?

 民主主義の基盤を揺るがしかねない。衆院選の投票率は小選挙区で52.66%に落ち込み、戦後最低だった2012年を6.66ポイントも更新した。

 有権者の関心が盛り上がりを欠く急な選挙だった事情もあるが、低投票率傾向は国政、地方選挙全般を通じて進行しているだけに深刻だ。国や自治体も真剣に手立てを講じなければならない。

 政権を選ぶ選挙にもかかわらず、有権者の半分近くが今回、投票所に足を運ばなかった。投票率が60%に達した都道府県はなく、青森、宮城、富山、石川、愛媛、徳島、福岡、宮崎の8県は5割に届かなかった。「大都市圏よりも地方は投票率が高い」という従来の常識はすでに揺らいでいる。

 国政選挙は12年衆院選を境に低投票率が目立ち、昨年の参院選も過去3番目の低さだった。特定の支持政党を持たない無党派層の票が行き場を失っていることなどが影響しているとみられる。

社説:投票率の低下 もはや国民的な課題に - 毎日新聞

Twitter では「若者よ! 選挙に行かないのは10万円(だっけ?)の損だぞ!」などと若者へ投票を呼びかける声をよく聞いたけれど、フタを開けてみれば、史上最低の投票率。若者はもともと投票に行かないので、中高年がごっそり投票に行かなかったというわけだ。今回に限れば、若者もわざわざ選挙に行かずとも前回ほど金銭的な損を蒙らずにすんだのではないだろうか(笑。

それにしても、選挙に行かなければ「民主主義の基盤を揺るがしかねない」とはよく言われる話だけど、選挙に行かないというのも一つの民主主義的態度の表明とすれば、なにが問題となるのだろうか。

無論、個人的には「選挙に行くべきだ」と思ってる。しかし、それは自分が自分に課す義務であって、誰かに強制したり、誰かに強制されたりするものではないだろう。

自分が「選挙に行くべきだ」と感じるのは、自分が“強い意味での”民主主義者だからだ。ここでいう“強い意味での”民主主義とは、国民がそれぞれに国を治める君主であると自覚し、それに沿って行動すべきであるという思想を指している。これはちょっと卓越主義的で、むしろ共和主義的と言えるかもしれない(自分はそういう意味での共和主義者でもある)。――ただ、この考え方は「ウザい」。こんなのが強制される社会に住みたいなんて思う人間は、共産主義者*3ぐらいだろう(笑 自分の中にだけ留めて、共感してくれる人に少しでも広まればそれで良しとすべき考えだ。

一方、“弱い意味での”民主主義とは「政治に国民の意見が反映されていれば十分」という考えを指す。一般的にはこの用法で用いられることが多い*4し、より普遍的だ*5

問題は、その「国民の意見」に反民主主義――政治に自分の意見が反映されていなくてもよい、やりたい奴でよろしくやってくれ――を許容するかどうか、だ。「選挙に行かなければ民主主義の基盤を揺るがしかねない」という主張は、この“もっとも弱い意味での”民主主義、“やりたい奴でよろしくやってくれ”民主主義が蔓延することを危惧し、なにか対策を立てろという。まぁ、気持ちはわからないでもない。

でも、そんな人たちのためにわざわざ何かをしてあげる――ましてや、税金をつぎ込んで!――必要などあるのかと、最近思わないでもない。そこまでして投票したくないというのなら、それはそれで尊重すべきなのではないだろうか。

ただ、そういうひとが政治に文句を言うのはだいぶ納得がいかないのだけどね。たとえば、選挙に行かなかった人のおでこに“肉”と書いておいて、なにか政治に文句を言ったらぶん殴ってもいい、という風にちゃんと分けられればいいのだけど(よくないけどw)、そうもいかんわけで。世の中はいろいろめんどくさいなーと感じる、今回の選挙だった。

*1:鳩山さんや菅さんレベルだったら、俺みたいな人間でも想像はつくが

*2:ちなみにいうと、このブラックリストの中には民主党の人たちも少なからず入っている

*3:共産主義とは、そもそも極度に純化された市民主義である

*4:この用法の“民主主義”には、厳密に言えば本来「討議の重要性」「少数意見の尊重」などの教義は含まれないはずだが、世間一般では割と都合に合わせて“強い意味”と“弱い意味”を使い分けているようだ

*5:もうちょっとちゃんというならば、強い意味での民主主義は一般意思の実現を求めるが、弱い意味での民主主義は個別的な利害の表明に過ぎない、利害の表明でよいというのが大きな違いだ