Not Title
執筆日時:
本日の朝日新聞記事について
5月15日付の朝日新聞朝刊に、弊社会長の小川賢太郎が「『日本人はだんだん3K(きつい、きたない、危険)の仕事をやりたがらなくなっている』と嘆いている」という趣旨の記事が掲載されました。
この記事が一部で拡大解釈され、小川が「すき家」の仕事を「3K」仕事だと捉えているかのように捉えられています。 これについて、本件に関連する記者会見でのやりとりの一部始終を公開します。記者)たとえばマックなどは「ない」と言っているんですけども、24時間というのが大変なのか、定着率とか、そういうところにも問題があったのか・・・
回答)おっしゃるように、24時間営業、深夜というものはいちばん難しいですね。24時間営業をやっているコンビニとか、スーパーマーケットとか、そうとう地方でもいま大変だという話をうかがっています。「日本人がだんだん3Kをやりたがらない」と昨日どこかの記事にも載っていましたけれども、労働力のミスマッチですよね。事務職にはなりたい人がいっぱいいて、だけど現場の仕事はミスマッチでやりたい人が少ない、という現状は確かにあると思います。
ただまあ、それを言っていてもしょうがないので、その中で経営努力をしてきたわけですし、これからもしていくということで、インフラとして機能させていくということが我々の責任だと思っています。「日本人はだんだん3Kの仕事をやりたがらなくなっている」という部分については、記事(5月17日号の東洋経済の記事「誤解だらけの介護職~もう3Kとは言わせない」と題した特集記事)にそういう趣旨が書いてあったと述べたものであり、小川の所感を述べたものではありません。
また、文脈としても「すき家」のことではなく日本の労働市場全般に関する一般論を述べた中で語ったものです。
一部事実と異なる報道があったことは大変遺憾です。以上
「すき家」のアルバイトが「(きつい、きたない、危険)」かどうかにはあまり興味はないのだけど、この話、ちょっと面白いところもある。
まず、前提として「労働」と「労働力」の意味をおさらいしておく。
(「労働力」と並べたときに限定した意味での)「労働」とは、働くことだ。「すき家」でアルバイトするとか、机にかじりついて記事を書くとか、アースドリルで穴掘ってビルの基礎を作るとか、そういう具体的で個別的なこと。
それに対し、「労働力」は社会的・抽象的なものを指す概念だ。個人の能力には差があるので、1時間で10の仕事ができる人もいれば、3しかできない人もいる。でも、平均してだいたい1時間に5ぐらいの仕事ができないと一人前ではないだろうという、緩い社会的な合意(とか相場)というものはある。時給1,000円をもらえば、それに見合った「労働力」を労働者は提供するべきだろう。
とはいえ、ヒトはさまざま。その要求に応えるプレッシャーに潰されたり、不当に高い要求だと感じる人がいたり、逆に人並み以上の能力を発揮している(と自負している)のに社会的平均的賃金しか得られないことに不満に思ったりで揉めるわけだが。
――話がズレた。
世の中には計量不能な生の「労働」しかない。けれど、それでは交換不能・分析不能と不便極まりないので、「労働力」という概念が生み出された。計量可能な抽象的概念「労働力」は、おカネによる「労働」の取引と、経済学による「労働」の分析を可能とした。あるいは、逆かもしれない。交換・分析可能な新しい形の「労働」をどうにかこうにか言い表すために、人間は「労働力」という言葉を生みだした。
(この「労働」と「労働力」の違いに目をつけて、「搾取」という資本主義の構造を発見(笑)したのがマルクスであり、その著作が『資本論』なのだけど、現在では「搾取」という言葉はもっと自由に、言い換えれば、発言者の都合のいい意味で使われている。)
さて、お次は「ミスマッチ」を考えよう。“労働がミスマッチを起こす”というとき、それは「労働」なのか、「労働力」なのか。
「すき家」の社長は「労働力(のミスマッチ)」だといっているが、話を読むに、ほんとのところはそう思ってないのではないかと思った。ここがちょっと興味深いなと思ったポイント。
労働者にはそれぞれ自分が望む労働の形(「事務職」とか)があり、それを望んでいる。しかし、残念ながらそれが「すき家」で可能な労働の形態と合わないので、アルバイトの募集がうまくいかない。そう思いたがっているように思える。
逆に、これを批判する人たちの意見をみてみるに、「労働力」の需給(需給は計量可能な関係でしか述べられないので、「労働」ではなく、「労働力」を対象とする)がミスマッチを起こしていると主張しているように見える。
要するに、今の「すき家」で働くことは“割に合わない”。もっとカネを出せば集まるだろうし、労働環境をよくするべきだ、と。
自由主義経済学の理想とする状態下では、“割りの良さ”というのはいずれ均質化される(――と同時に、その均質は常に破られる)。もし「すき家」の社長が「すき家で働くことより、事務職で働くことの方が割りがよい」と思ってこの発言をしているのならば、結局のところ、“「労働力」(需給)のミスマッチ”だけが問題になるのだけど、
ついでに、朝日新聞の記事も引用しておく(どうせ早晩削除されるだろうので)。
人手不足に悩む外食大手ゼンショーホールディングスの小川賢太郎社長は「日本人はだんだん3K(きつい、きたない、危険)の仕事をやりたがらなくなっている」と嘆く。傘下の牛丼チェーン「すき家」では2月以降、アルバイト不足で一時閉店が相次ぎ、28店が今も休業中。景気回復に伴う人手不足は、外食や小売りで深刻だ。原則である24時間営業をやめる店も出ているといい、「深夜営業が一番難しい」。