特定秘密保護法について、今さらながら一言言っておくか。
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特定秘密の保護に関する法律(とくていひみつのほごにかんするほうりつ)(通称:特定秘密保護法(とくていひみつほごほう))とは、日本の安全保障に関する情報のうち「特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」として指定し、取扱者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めた法律である。秘密保護法、秘密法とも。
個人的にはあっていい法律だと思うし、あるべき法律であると思う。
この解釈にはあまり自信はないが、この法律は要するに、すでに米国との間にある「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(昭和二十九年法律第百六十六号)」を対米国以外にも適用できるように一般化したもので、範囲も防衛だけでなく、外交やアンチテロリズムにまで拡大されている。おそらく、これから拡大するであろう国際的な外交・軍事協力や、テロ抑止のための情報共有の輪に日本が入るためには、この類の法律は必要なのだろう。
問題となるのはその“拡大解釈”だが、こればかりは完全に防ぐ手立てはない。しかし、だからといってこのような法律が悪法であるとは限らない。
たとえば、定期的に健全な(≒正常な選挙による)政権交代が行われるならば、特定秘密保護法の拡大解釈が大っぴらに行われることはないだろう。なぜなら、前政権の拡大解釈を暴くことが現政権のポイントになりうるからだ。
この法案を戦前の治安維持法や特高になぞらえる論者もいるが、当時と今では状況がまったく違う。戦前には大政翼賛会のような一党独裁制が行われていた。そのような体制下では、秘密を暴くことが容易ではない。しかし、現在のようなより成熟した政党政治下ではその心配は少ない。風通しの良い乾いた場所にキノコが生えないように、健全な政権交代のあるところに過剰な秘密は生まれないだろう。
もっとも、野党が惰弱で“実質的な”一党独裁制が行われていれば、状況は戦前と変わらない。これは国民一人一人が政治に目を光らせることで改善していくしかないし、野党に頑張ってもらうしかない*1。また、だれが政権を担当するかに関わらない、国家の本性として行われる拡大解釈は防ぎようがない。これも大きな懸念事項だが、そのような秘密は特定秘密保護法がなくても行われるだろう。よって、特定秘密保護法の有無とは本質的に関係がない。立法・行政・司法のチェック&バランス機能を活かして、これを抑えていくしかない。
結局のところ、ある法が善いか悪いかは、そのその時々の政治的状況にも左右される。また、法というものは、未来を予見して緻密に設計すればするほど、不便で硬直的なものになるだろう。となれば、万が一の“拡大解釈”を恐れて解決のつかない議論を重ね、条文を緻密にすることばかりに注力するよりも、健全な政治状況を醸成・維持する方に心を砕くほうが前向きなあり方ではないかと思う。
簡単にまとめると、個人的には特定秘密保護法がなんであるかよりも、その運用が健全に行われるかという点のほうに興味があるし、注視すべきだと思う。また、特定秘密保護法そのものの是非よりも、健全な政治状況の醸成、権力のチェック&バランスなども論じられるべきだと考える。
その観点で現行の特定秘密保護法へ自分が何らかの要素を加えるとすれば、「特定秘密を破棄した場合の為政者への罰則」になろうかと思う。
たとえば、こんな事例がある。
小野寺五典防衛相は20日の参院国家安全保障特別委員会で、防衛秘密に指定された文書が5年間で約3万4000件廃棄されていた問題に関し、このうち約3万件が民主党政権時代に廃棄されていたことを明らかにした。
小野寺氏は「私が防衛相になってからは通達で廃棄を止めている」と述べた。民主党の福山哲郎氏への答弁。
“ある時点において秘密にしておくべき”ことがあるのは、仕方がないことだ。ただし、それを秘密にしたことが正しかったかどうかはいつか歴史的に検証されるべきだ。当時の判断を後世に活かすために。
実は、「特定秘密」そのものは“秘密”でも何でもない。“当該指定の日から起算して五年を超えない範囲内においてその有効期間を定め”たあとは特定秘密の指定が解除されるからだ。必要であれば延長も可能だそうだが、そのような扱いを受けているうちは少なくとも消滅してしまうことはない。しかし、秘密指定が解除される前に廃棄されてしまえば、それは誰にも検証ができない本当の“秘密”になってしまう。
特定秘密保護法は特定の秘密が不当に暴かれることから保護する法律だが、秘密が不当に葬られることから“保護”する法律であってもいいと思う。国家の本性として行われる秘密を防止するという観点があってもいい。秘密を本当の秘密にした為政者は、秘密を不当に犯そうとする下種メディア*2と同様に処罰の対象であればこの法律はもっと健全であろうと思う。