定理は発見されるのか、あるいは発明されるのか?
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よくわからないけれど、発明されている部分は大きいと感じる。
かつて19世紀のドイツの数学者レオポルト・クロネッカーがこんなことを言ったのだそうだ。
整数は神の作ったものだが、他は人間の作ったものである
けれど、この整数ですら、人間が作った(発明)したものかもしれない。セカイを理解するための道具として。
数ってモノ(実体)として存在するのか、概念として存在するのかと問われれば後者の立場なんだろうけど、「3つのリンゴ」(実体)から「3」という概念をどうやって抽出するんだろう。もしかしたらその逆で、「3」という概念を学んだから「リンゴが3個ある」と把握できるのか。