出版と贈与
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共有されるべきものとしての知識
「学問とは神の恵みであって、売ることはできない」
中世の箴言
中世ヨーロッパでは、知識は独占してはいけないものであり、ましてや売ることなど許されないものだった。修道院では写本作業が信心深い行為とされ、慈善として写本の貸与が行われていた。装飾に用いられる赤文字は、殉教者の血を象徴していたともいう
- 装飾写本の作り方(このリンクが面白かった)
また、君主が書籍を集めて、周囲の者に使わせることも奨励されていた。大学の教授に対しても、教会法は報酬を受けたり、写本を売ることが禁じられていた。祈りを商売にすれば、宗教は堕落してしまう、というわけだ。
とはいえ、それでは霞を食って生きていくわけにはいかない。そこで知識のやり取りには、売買ではなく、あくまでは贈与という体裁がとられていたし、「働き人が、その報いを得るのは当然である」(『ルカの福音書』)という教えを根拠に、写本労働に対して報酬を受ける場合にも限度が設けられていた。
ついでに言えば、医学なんかもそうだね。
印刷術の発展と出版業の成立
16世紀になると、印刷術の発展にともない商業出版が行われるようになる。しかし、伝統的な贈与の痕跡が一掃されたわけではない。
栄誉ある職業
「(あなた方は)この世で売ることのできる、もっとも栄誉ある商品を扱っている」
リヨンの公証人がパリの書籍商に宛てた手紙
出版はある種“慈善”的な側面をもつ栄誉のある職業とみなされていた。「知識とは精霊の恵みにほかならず、あまり高く売るべきではない」という考えも受け継がれている*1。
「彼(プトレマイオス2世)の図書館は自家の狭い壁を以って囲まれていたが、アルドゥスは世界の果て以外には壁のない図書館を建てる」
エラスムスがアルド(アルドゥス・マヌティウス - Wikipedia)の文庫本を評して
出版業は、象牙の塔に閉じ込められた知識を解放する職業だと認識されていたことが分かる。
出版独占権と贈与に組み込まれた著作権
当時は著作権の概念がなく、海賊版の横行を防ぐための出版独占権のみがあり、君主の特任によって保障されているケースが多かった。というわけで、書物には「君主の特認に対するお礼」が献辞として含まれることが少なくない。
とはいえ、理念としては商業的な独占は否定されてきた。
その書物を作ったものの気前の良さのおかげで、恩恵を受ける権利が読者にあるにもかかわらず、それに異議を唱えて、自分だけが独占しようと図り、書物を読者の胸元から奪い去ろうと考えるのは、不実なことでしかない。
ローマで出版された『セネカ作品集』がパリでフランス国王の特認のもと無断再版されたことに対する訴訟より
たとえば、この訴訟はローマの版元が勝訴している。
また、著者への報酬は印刷本そのものであることが多く、それを日頃交流のある(互恵関係にある)知人に贈って返礼を受けることで“マネタイズ”していたらしい。そうした書物には、贈与した相手、遺贈した先が何代にもわたって記録され、単なる商品ではない特別なモノとして記憶される。これらはときに、収集者の名前を冠したコレクションとして、より公共的な場――図書館や大学――へ寄贈された。
*1:そもそも“栄誉”というワードは贈与のモードに属する言葉だと言える