じいちゃんが亡くなった
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じいちゃんが亡くなったので、大阪に帰っていた。僕には実質三人の祖父がいた(実は誰とも血縁関係がないのだが)わけだけど、そのなかでも最後に残った祖父だった。
もう十年以上闘病生活を続けていたこともあり、なにも意外なことはなく。来るべき時が来たという感じ。大阪に帰ったのも、半分は滅多に会えない人達に会いたいというのが大きかった。お給料日前に急な出費ができたことのほうが悲しかったぐらい。けれど、なんとなくお疲れ様って言いに行きたかったわけだ。
実際お経を聞く間は暇なもので、「医療の発達がここにいるだれを幸せにしたのか」だなんて考えてみたりしてしていた。まぁ、それもそんなに罰当たりな話ではないと思う。この祖父は博学だったし、むしろ本人が棺桶の中でそんなことを考えていてもおかしくはない。
一方、父は少し泣いていた。父にしてみれば、貧困から事業を起こすにあたって、この祖父は成功モデルだったのではないだろうか。いろいろ教えられたのだろうし、小さいころからの思い出も多かったんだと思う。僕の場合は、痴呆のせいでお見舞いに行っても「お前、ヒデトシに似てるな」と言われて「本人やからな」と返すまで、10分ぐらいニコニコと話を聞くぐらいの思い出しかもてなかったのだけどね。ただ、普通にマルクス経済学の話ができる人だったので、聞くだけでも結構楽しかったのだけど。
そんなわけで、懐かしい人たちに会えて、少し思い出話が聞けて、それで満足でした。お疲れ様。