貴族制と民主制のベストミックス

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貴族制+民主制=共和制

バーナード・クリックによれば、

貴族制とは、原理的には賢者の支配であり、法的には少数の支配であり、社会的には有産者の支配

であるという。一方、

民主制とは、原理的には意見の支配であり、法的には多数者の支配であり、社会的には貧困者の支配

であるという。共和制は、言うなればそのベストミックス<最良の混合>を目指したものだ。

原理 社会
貴族制 賢者の支配 少数の支配 有産者の支配
共和制 意見にもとづく賢者の支配 多数者に支えられた少数による指導 中産階級を核とした支配
民主制 意見の支配 多数者の支配 貧困者の支配

共和主義の根本には、自由と民主主義へ向かうベクトルと、純粋な民主政への不安・懸念が同居している。これは一見矛盾だけど、だからこそ一方へ完全に傾いてしまわない“中庸”が得られるととらえることもできる。

常に小刻みに揺れる天秤は、"永遠の相のもと"では水平に静止しているに等しい

ただし、フランスの共和主義はこの点からみると少し異色かもしれない。ルソー的共和主義には、こうした政体・体制のミックス&バランスの視点があまりないように思う。それゆえに硬直的で、包容力がない。ただ、フランス人の自尊的で孤高な気質には合っていて、それはそれでありか。

君主制 vs 共和制

さて、君主制についての言及はないが、あえて真似をして表現すれば、さしずめ、

君主制とは、原理的には権威の支配であり、法的には相続にもとづく支配であり、社会的には血統による支配

とでもなろうか。あまりうまくはないけれど、無理して貴族制・民主制に呼応させた言い回しを考えると破たんしてしまうことに気付いた。

君主制は一人による支配だけれど、それを裏打ちするのは「権力を樹立した」という歴史的事実のみであり、それ以外に君主制を正当化するものはなにもない*1。この点で、貴族制や民主政とは少し異質な存在だと思う。専制君主が敷く官僚制と、貴族が推戴する君主国は、外見は似ていても本質がまったく違う。というのも、前者は「すべては王のもの」だ。一方、後者は「王は貴族の代表」に過ぎない。「所有権」の在り方がまったく異なる。歴史的事実が、一人による「所有」を裏付けている*2

共和主義は、原初このような「王による所有」を否定してきた。けれど、それをもって共和主義=反(専制)君主主義ととらえて終わってしまうと、共和主義がもっていた問題意識――腐敗せずに続いていく国――を無視してしまうことになる。

しかし共和国は続くのです。

*1:王権神授説というものもあるけれど、それはある種のトートロジーに過ぎない

*2:なお、改革によって絶対君主が成り立つ場合もあるが、これはのちほど書く予定の「ゴシック・バランス」で触れる