何を選択すべきか ―― 選択の一回性と理性

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サイコロを1回だけ振って、出た目が予め選択した特定の条件に合致すれば勝ち、という賭けをする場合を考える。

  • 素数である(確率1/2)
  • 1である(確率1/6)

どちらの条件を選ぶのが「正しい」か。

答えは「どちらでも好きな方を選ぶのが正しい」。確かに「素数である」確率のほうが高いけど、勝負は「1回だけ」だ。いかに確率が高かろうと、その条件に合致する目が出なければ意味はない。結果がすべて。「1」が好きなのであれば、あえてそちらに賭けるのもありだろう。

であれば、事前に条件を吟味する必要はないのではないのだろうか。やみくもに選択しても、当たるときは当たって、当たらないときは当たらないのではないだろうか。

しかし、少しだけ条件を変えれば、かならずしもそうではないことががすぐに分かる。

サイコロを1回だけ振って、出た目が予め選択した特定の条件に合致すれば勝ち、という賭けをする場合を考える。

  • 奇数である(確率1/2)
  • 1である(確率1/6)

どちらの条件を選ぶのが「正しい」か。

答えは「『奇数である』を選ぶのが正しい」。「1である」という条件は「奇数である」という条件に含まれているので、わざわざ確率の低い「1である」という条件を選択する理由がまったくない。これは事前に条件を吟味することでわかる。賭ける前に理性を用いることも、ときに役に立つ*1

もっとも、現実の社会では選択肢はもっと複雑なので、どこで考え、どこで賭けるかを判断するのはそう簡単なことではない。実際、意味のない確率に意味を見出そうとしたり、吟味が必要な場合に冒険をする人は少なくないように思う。

別に一つのエントリーにするほどのことでもないと思ったのだけれど、ちょうど理性過多な人と蛮勇だけの人を同時に見たので書いてみた。

*1:ちなみに、1は素数ではない。サイコロの目の場合、2、3、5が素数となる