ベーシックインカムについて

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ベーシックインカムに反対する人は、

  1. 世の中には「救われるべき人」と「救うべきではない人」がいて、
  2. 自分もしくはほかの誰かにその区別ができる

と信じている(または、暗黙に前提している)。僕はそうは思わない。

確かに、余裕のある人間を救う必要はないかもしれない。けれども、一瞬にして社会的・社会的地位を失うことがなにも珍しいことではないように、「救われるべき人」と「救うべきではない人」の境界線は常に曖昧だ。また、昨今の生活保護にまつわる不正でもわかるように、誰に給付して・誰に給付すべきでないかを峻別するのは非常に難しいことだし、コストもかかる。そのようなことにコストをかけるぐらいならば、そのまま福祉に回した方がいい。

  1. 「救われるべき人」と「救うべきではない人」の区別をつけることはほとんど不可能であるし、
  2. 人はみな「救われるべき人」である*1

と考えれば、ベーシックインカムへの賛同は至極当然のことのように思える。無論、実装方法については検討すべきことが山積している。けれど、ベーシックインカムの是非そのものに反対するのならば、最初の2点について、現状の枠内での改善方法を提示すべきだと思う*2

最近、この両エントリーが注目を集めているようだけれど、自分の期待に応えてくれる反論ではなかった。

*1:もちろん「誰も救わない」という選択もありうる。原理主義的リバタリアニズムはそう主張すると思うし、個人的にもそれはそれでありだと思う。ただ、二者択一できるなら「みんなが救われる」方が好みだ。

*2:どちらにしろ、所得の捕捉精度を高める必要があると思うので(俗にいうクロヨン問題)、マイナンバー制度の導入などでは協同の余地があるはずだ