民主主義と共和主義
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民主主義と共和主義に関するメモ。
民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。
共和制とは(前述のように)特定の個人や階級のためにではなく、全構成員の共通の利益のために存在するものとされる政治体制を指す。
Wikipedia では「共和主義=君主制へのアンチテーゼ」としているけれど、必ずしもそうとは限らないと思う。スパルタはある意味“理想的な共和国”とされているけれど、王制の国だ。日本やイギリスも、“特定の個人や階級のためにではなく、全構成員の共通の利益のために存在するものとされる政治体制”を目指し、一定の成果を得ている点で、共和主義国家と呼んでいいと思う。
「共和主義」が、確固とした定義で表現しがたいのは、その時代によって、
- 政治への参加が認められた「共同体の構成員」
が変化していることにある。古代においては、それが王であったり、貴族であったり、有力な市民であったりした。ギリシアの都市国家の市民といえども、家長であり、奴隷をもつという点では、まさしく“小さな王さま”であると言える*1。しかし、時代を経るにつれ「共同体の構成員」は拡大され、共和主義は「国家や集団の権力者が構成員の全員」である民主主義へ接近していく。
民主主義と共和主義の違い
しかし、共和主義と民主主義は同一のものではない。
民主主義はあくまでもメソッドであり、それ以上のものではない。共和主義は、共同体構成員の自由=民意を反映する手段として、民主主義以外のメソッドをとりうる。君主制でも貴族制(寡頭制)でもよい。共和制ローマでは、臨時の独裁官制度すら法的に備えていた。ただそれに徳があり、共同体構成員の自由が十分に保たれるならば、なにも民主主義的手続き(≒ここでは投票と合議)をとる必要はない。この点で、共和主義は民主主義よりも広い概念だ。
しかし、共和主義は「全構成員の共通の利益」=「res publica(なにか公共的なもの)」が存在すると仮定し、それを実現することを目指している。「共同体」=「国、自治体、コミュニティ」がどうあるべきか、「共同体の構成員」=「市民」がどうあるべきかといった話題に言及がある。しかし、民主主義はメソッドにすぎないので、その上にどんな主義主張でものせることができる。民主主義で議論すべき思想は、保守主義でも、社会主義でも、共産主義でも、もちろん共和主義でもいい。この点で、民主主義は共和主義よりも広い概念といえる。
民主主義と共和主義の統合
「徳」(共和主義) | → | 「堕落」 | |
---|---|---|---|
一人 | 君主制(Monarchy) | → | 専制・僭主制(Tyranity) |
少数 | 貴族政(Aristocracy) | → | 寡頭制(Oligarchy) |
多数(民主主義) | 国制(Politia) | → | 衆愚政としての民主制(Democracy) |
民主主義と共和主義は、「徳のある全員参加の政治」というただ一点において、合意することができる*2 *3。たとえば、ルソーはすべての市民がそれぞれ自分の理性でもって“一般意志”を体現し、それを民主主義によって「全構成員の共通の利益」を実現する世界を夢想した。
しかし実際に難しいのは、民主主義よりもむしろ共和主義の部分だ。「民主主義の崩壊」「民主主義に対する挑戦」は、実のところを言えばさしたる問題じゃない。けれど、それが共和主義に置き変わればその限りではない。