なぜGNU/Linuxは流行らないのか

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というより、オープンなフリーソフトウェアがなぜ流行らないのかに関する、あまり裏付けのない試論。某エントリへのエアリプライ。

現在の経済の枠組みでそれを本気で実践するなら、托鉢僧だかストア派哲学者のように暮らさざるをえないから

オープンなフリーソフトウェアは儲からない。

生きるためには、誰しも食べて行かなければならない。そのためには、(現状)なんとかしてお金を稼がなければならない。世界的に著名で“評価”で食べていけるプログラマーや、アカデミックなポストを得た研究者ならば、フリーソフトウェアに関わりながら飯を食える。そういった“選ばれし者”だけが真にフリーソフトウェアへ関わることができる*1

けれど、実際のところ、プログラマーの多くは“プロプライエタリ”なプロダクトによる収益の恩恵を受け、片手間にフリーソフトウェアに関わっている*2。Microsoft や Google に餌を与えられなければたちまち餓死してしまうフリーソフトウェア・プロジェクトも少なくない。そういったものが、プロプライエタリなソフトウェアを攻撃することに、普通の人は胡散臭さを感じる。

実際のところ、フリーソフトウェアへのハードルはそれほど高くない。ただし、物理的には。「それにすべてを捧げる托鉢僧にはなれない」という負い目、原理主義者への警戒などが、「一般人」をフリーソフトウェアから遠ざけているところはある。フリーソフトウェアがユーザビリティに欠けがちなのも、そういった「一般人」からのフィードバックがなかなか得られない(または、“選ばれし者”がそれを拒絶する)からではないだろうか。

“お金にしばられていないプロジェクトは信頼ができない”から

さっきの理由は、そちらかというと小規模かつコンシューマー向けの理由に当たる。エンタープライズ向けには、また別の理由が考えられる。

純粋なフリーソフトウェアのプロジェクトの場合、その存続は参加するデベロッパのモチベーション(および生死)にかかっている。テクノロジーが3年後もサポートされるかどうか、プロジェクトメンバーの誰も保証できない。けれど、お金のチカラがあれば、プログラマーの首にリードを付けて、ある程度その気まぐれを制御できる。

たとえば、これが Microsoft のプロダクトであれば、お金と引き替えにある程度の保証が得られる。ビジネス上のリスクをひとつ、おカネで解決できるわけだ。素晴らしい。

では、どうする?

オープンなフリーソフトウェアを推し進めたいのならば、まずベーシックインカムを導入して、フリーソフトウェアに関わるプログラマーの生活の安定を図るべきだ。経済上の束縛から、プログラマーを解放する必要がある。

次に、マイクロペイメントの枠組みを整備して、“振り込めない詐欺”*3を解消すること。少額でも継続的に寄付を集めることができれば、プロジェクト存続にいくばくか役に立つはず。

最後に明確なロードマップを示し、それを遵守すること。エンタープライズ向けのフリーソフトウェア・プロジェクトの一部は、すでにそうしており、サポート業務から収益を得るなどのエコシステムができあがっている。

しかしそんな施策すら、本当は不要だ。どちらにしろ、ソフトウェアが安価になればなるほど、ソフトウェアはオープンになる傾向にある*4。誰でも作れるものの製法を隠しても仕方がない。でもそのかわり、平々凡々なプログラマーの糧は少しずつ失われてゆく。

なので、むしろそんな彼らのために、この3つの施策が必要なのかもしれない。ソフトウェアが高度になればなるほど、参入障壁が高まるけれど、新米プログラマがそれを乗り越えるためのサポートは充分でない。興味だけで障壁を超える人はいるけれど、彼らを基準にしていたらますます凡人は不要になり、裾野は貧しくなっていく。凡人など不要? それはそれでひとつの知見だけど、それではいつまでたっても「流行らない」だろうな。

最後にどうでもいいこと

フリーソフトウェアは「無償のソフト」というイメージもあるので、「オープンソフトウェア」とでも呼ぶほうがいい気がする。結構ピッタリな呼び方だと思うのだけど。

*1:フリーソフトウェアに関連した商売で飯を食えるプログラマーも、ごく限られた“選ばれし者”に数えていいかもしれない

*2:もしくは本を書くために寄付を募ったり、アルバイトに従事する

*3:対価を払いたいのに払う手段がなかったり、その手段を取るためのハードルが高いこと。“振り込め詐欺”のモジリ

*4:逆に言えば、クローズドなままでいられるなら、ソフトウェアは高価のままでいられる