リュクルゴスと"全体主義的"共和主義
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リュクルゴスは、「共和国は生きている」ということをよく知っていた。共和国は、常に新たに参加するヒト(出生・移住)と去っていくヒト(死去・移住)の動的平衡として、存在する。共和国は、王国と同じく、常に「継承」されてゆく。
上の漸化式は、差分方程式が乱されない限り、 (nは自然数)へ無限に初期値 x を伝えていくはずだ。共和国も、同じであろう。共和国は、世代を超えて理念を運ぶ舟にすぎない。
共和国の理念
リュクルゴスは、初期値 x ――スパルタが永遠に受け継ぐべき国家理念――を極めて明確に定義した。それは、共和国を永遠に維持していくこと、そして
いかにすれば敵の侵入を防ぎうるや
ということだった。そのために共和国の男女へ求められるものは何か。極めて単純だ。
- 男=敵と戦って勝つ
- 女=健康なこどもを産む
男たちと女たちは、直接国家と結び付けられた。家族を持つことは許されず、生まれた子どもは国家によって管理された。そのため、古代ではありがちな氏族同士の闘いは、スパルタではあまりみられなかった。
共和国を維持する ―― 教育と評判
リュクルゴスは、スパルタの"差分方程式"を強化するために、新たに共和国へ参加するヒト達(子ども)へ徹底した「教育」を施した。
リュクルゴスは教育を立法者のなすべきことのうちで最も重要にして立派なことと考えていた。
加えて、戦う男と産む女が賞賛され、そうでないものが蔑ろにされるように仕向けた。たとえ、戦う男として優れていても、結婚しなければ賞賛されることはなかった。リュクルゴスは、教育と一緒に「評判」システムをうまく利用して、自分の創り上げた規範が長く維持されるようにした。
結婚しないまま老人になると、普通ならば若い者たちから受けるはずの尊敬や労りすら、受けられなかった。それゆえ、デルキュリダスは有名な将軍であったけれども、ある若者が彼に与えた仕打ちを、誰も咎め立てはしなかった。その若者は、彼に席を譲らずにこういったという。
「そのうち私に席を譲ってくれるであろうところのお子さんを、あなたは生んでおいででない」。
戦死した男の場合と、産褥で死んだ女の場合以外は、埋葬者は死者の名を記した墓標を立てることを許されなかった。
ほかのギリシアのポリスと違って、スパルタでは、女は比較的自由だったし、名誉が認められていた。
「あなた方スパルタのご婦人だけが、男たちを支配しておいでなのですね」
「男たちを生むのは、私達女だけですから」
ただし、子どもを産んだ女に限られてはいたが。男女問わず、義務を果たすものに対して、スパルタは寛容だった。
スパルタでは自由人はとことん自由であり、奴隷はとことん奴隷だ
そのほか、リュクルゴスは市民が国外を自由に出歩くことを禁じた。ほかのポリスの悪徳を、市民がスパルタに持ち込むことを恐れたからだ。また、同じような理由で、スパルタでは金や銀ではなく、鉄の貨幣が用いられた。そのため、スパルタには鉄貨を嫌って奢侈品を扱う商人が寄り付かなかったし、市民は財を競う意欲をなくした。これも、規範を維持することに寄与した。
柔らかい規則が生き延びる
リュクルゴスは法律を文書として残さなかった。レトラと呼ばれるもののひとつが、まさにそれなのである。
リュクルゴスが残したレトラ<教え>は以下の三箇条だったという。
- 成文化した法律は用いない
- 贅沢の戒め
- 同じ敵と度々戦うことを禁ずる
リュクルゴスは、こまごまと決まりを定めて教条主義に陥るより、理念を守ることのみに専念して、ほかは状況に応じて柔軟に対応したほうがよいと考えた。非常に賢明な判断だと思う。
最後の教えはちょっと不可解だが、「同じ敵と戦いすぎると、相手が手の内を読みやすくなるし、相手を強くしてしまうから」という理由だったらしい。
"全体主義的"共和主義
スパルタは王をもつが、つねにふたりが玉座を分かち合い、重要な決定は長老会議がイニシアティブを握った。王の権力よりも、リュクルゴスが定めた「憲法」の方が尊ばれた。その点で、スパルタはまさしく「共和国」だったと言える。
この共和国は、リュクルゴスが与えた「憲法」を500年守り続けることで、ギリシアで最も秩序が保たれたポリスと賞賛されただけでなく、軍事面でも(おもに陸戦において)ギリシア最強の名をほしいままにした。現代になじまないいくつかの教えを別にすれば、今でもスパルタを「哲人政治」のすぐれた実例として受け入れるヒトはいると思う。プラトンがそうしたように。なんせスパルタには貧富の差がなかった。ただ、名誉の差だけがあった。
しかし、豊かではなかった。どこかこじんまりとしていて、決してローマのような世界を支配する都市にはなれなかった。スパルタという独特な国家のほかには、のっぺらぼうな市民しかいなかった。すぐれた戦士を多く送り出したが、それ以外の分野では特筆すべき人物をあまりもたなかった。また、生来戦うことに向かない男や、子どもを産めない女にとっては、厳しい社会であっただろうと思われる。
理念が主になり、人間が従になると、こんな国になるらしい。