『民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる』
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ここんところの不勉強で、契約法が100年ぶりに変わるということすら知らなかった。
本書は、そもそも「民法」とはなにかというところから、歴史的な経緯も含めて、丁寧に解説してくれている。こういう本にありがちな無味乾燥さはまったくないから、スラスラ読んでいける。"法律"と聞いて頭が痛くなってしまうような類の人にもおすすめできると思う。
民法っていうのは国によってだいぶ内容が異なるらしい。そもそも項目を置く順番でさえ、国によって流儀がある。たとえば、ドイツでは原理原則(総則)をまずはじめにこと細かく書いて、実務的な規則はあとに書くが、フランスなどではそういうコトにあまりこだわらず、関係のあるルールをなるべく隣同士にして書くらしい。
日本の場合、内容はフランスを、体裁はドイツを手本として民法を作った。しかも、大急ぎで作った。というのも、当時は不平等条約の改正が喫緊の課題となっており、一刻も早く民法をもつ現代国家として日本を国際舞台にアピールする必要があったからだ。そのため、
- 法典の条文は原理原則および疑義が生ずるべき事項に関する原則をあげるに止め、細密な規定にはこだわらない
- 法典の文章には、なるべく(当時の!)一般に使われている用語を用いる
- 法典中の用語に関しては、立法上とくに画一の定義が必要なモノを除き、定義やら種別やら例やらというものはなるべく省く
といった原則のともに起草された(『法典調査ノ方針』)。そして、情勢が少し落ち着いてから、ポッポ元首相のおじいさんの弟さんなどが精密な解釈論を構築して、民法の足らざるを補うというかたちを取った。
そのため、条文それだけを読んでも判決を導けない、という珍妙な事態に陥っているという。膨大な解釈論、判例集を読みこなして初めて、やっと実生活に当てはめられるルールが導き出せる。条文も少なく、文章もシンプルだけれど、行間を読まなければ、意味が分からない。それでは「禅問答」のようなものではないだろうか。
個人的には、日本の民法起草に貢献したボワソナード *1 のエピソード、日本製の新しい民法が東南アジアに輸出されているという事実も大変興味深かった。また、市民が法律・司法にふれる場として裁判員制度がいい方向に働いているらしい、という点にも安心させられた。ローマ人のように「食卓で法を論ぜよ」とは言わないが、法に対する意識が改まった市民が年間万単位で増えていくというのは、日本にとってよいことだと思う。
今回の改正も、もしかしたら向こう100年間使われ続けるのかもしれない。であれば、この問題は一有権者としておざなりにしていいものではないだろう。専門家ではないのでくちばしを挟むことはできないけれど、折に触れて見守っていきたいと思った。
*1:『坂の上の雲』『<共和国>はグローバル化を超えられるか』でも少し登場