寛容のコストとその逆進性

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_寛容_とは、異質なものを受け入れる態度をいう。

異質なものの受け入れには、心的・物的負担が伴う。しかし、教養の高い人は寛容のメリットを知っているので、進んでそれを行うか、当然なあり方として身につけているだろう。また、裕福な商人であれば、自らの財産が侵されない限り、物的負担に関しては頓着しないだろう *1 。商人は異質なものの媒介から利を得るわけだから、むしろ歓迎するかもしれない。

一方、比較的恵まれない人にとってはそうではないだろう。精神的に卓越した一部の人を除けば、恵まれない人にとって寛容のコストは、そうでない人に比べて割高となる。そればかりか、コミュニティに貢献しているという自負と誇り(貧しくも勤勉な人にはそれだけが財産だ!)が傷つけられたと感じる場合もあるし、雇用がクラウディング・アウト *2 されれば「本来得られるはずだった」経済的利益を損なうことにもなりかねない *3

つまり、寛容のコストは累進的とは反対、_逆進的_なのだ。

ここで僕は少し不思議に思う。弱者の味方であるはずのリベラリストが、寛容のコストの逆進性に関してはなぜ無頓着なのだろう、と。寛容は一筋縄にはいかない。

*1:衣食足りて礼節を知る

*2:平たくいうと、奪われること。

*3:行動経済学の用語で言えば、現状維持バイアスとでも言うのだろうか。