選挙とくじ引き
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「抽籤による選任が民主政の本質である」モンテスキュー、ルソー『社会契約論』第四編第三章 選挙について――より
「民主的な政治には選挙が不可欠である」本当にそうだろうか? たとえば、くじ引きでもいいのではないだろうか。
くじ引きの利点
くじ引きは民主的な方法だ。国民それぞれの意見の集合があるとして、それを無作為に抽出すれば、世論の小さな相似が得られるだろう。それに政治を任せれば、世論全体の意思を反映させた政治が可能であるはずだ。
たとえば、くじによる選出の利点を幾つか考えてみよう。
- 選挙運動が不要なので、汚職の心配が少ない。押しの強い人物や選挙手法に長けた人物ばかりが選ばれない
- 選挙よりも安上がり
- 誰しもが選ばれうる。社会的地位や財産の多寡、身体的ハンディキャップに左右されない
くじ引きは、「民意の代表性」問題を統計学的に解決できる、実は極めて民主的な手法といえる。くじ引きの利点を挙げれば、選挙性が内在する問題点が浮かび上がってくるのがわかる。立候補者は有権者をコトバ(やカネ)で誘惑したくなる衝動を抑え切れないだろうし、有権者は立候補者のことを知る努力を強いられるし、それが苦痛なので、しばしば名前だけをよく知った人物を安易に選出して、あとで後悔するのだ。
また、くじ引きは「権力の継承」問題をスマートに解決することができる。くじ引きならば、後継者を指名したり、便宜をはかることができない。
くじ引きの欠点
逆に、くじによる選出の欠点もいくつか挙げられるだろう。
- たかが運によって国家の行方が左右されるのをみんなが納得するのは難しい(たとえば、ニートがある日いきなり重職を担うことになれば?)
- これまでの実績や適性を考慮した選出ができない(からっきし暴力が苦手な人が軍職に登用されることがありうる)
- サンプリングに偏りがないとは言い切れない(テクニカルな問題)
- やる気がなくても選ばれてしまうという点で強制力がある
くじ引きは、「能力(徳)のあるヒトを選びべきだ」という理念(または、そういうヒトを選びたい、どうせならそういうヒトに支配されたいという欲求)を満たすことができない。また、市民ならば誰しも統治に参加すべきだ、統治を担うべきだという理念を押し付けることにもなる。くじ引きの前では、愚民でいられる権利を放棄させられてしまう。先年始まった裁判員制度でも、このようなくじ引きのデメリットが指摘されることがある。
選挙とくじ引きの組み合わせ
このように、くじ引きにはメリットとデメリットがある。だったら、組み合わせればいいのではないだろうか。実際、ヴェネツィア共和国(ヴェニス)では選挙とくじを巧妙に組み合わせて元首やさまざまな重職が選出されていた。
諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は(これは会議にあって何より必要なことであるが)誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。スピノザ『国家論』第八章第二七節
貴族政においては、執政体が執政体を選び、政府は自分の手で自分を維持する。そして、投票制が最も所を得ているのは、この政体においてである。ヴェツィアの統領の選出の例は、この二つの方法の区別をくずすどころか、確証するものである。つまり両者の混合したこの形式は、混合政府に適合しているのである。なぜかといえば、ヴェネツィアの政府を真の貴族政とみなすのは誤りであるから。そこでは人民がまったく統治に参与していないとしても、貴族身分が、それ自体人民なのである。数多くの貧しいパルナボトたちは、いかなる施政官の職にも近づいたことがなく、その貴族の身分によって、ただ実質のともなわない「閣下」の称号と、大評議会への出席権をもっているにすぎない。この大評議会は、ジュネーヴのわれわれの総評議会と同じくらい多人数からなっており、その有力な構成員も、われわれの単なる市民と同じ程度の特権しかもっていない。二つの共和国のあいだの極端な差異を除いて考察すれば、ジュネーヴのブルジョア身分が、まさにヴェネツィアの貴族身分にあたり、ジュネーヴの二世居住民と居住民の両身分は、ヴェネツィアの都市民と民衆にあたり、ジュネーヴの農民は、イタリア半島のヴェツィア領内の従属民にあたるといってさしつかえない。要するにどのような見方でヴェネツィア共和国を考察しようとも、その規模が大きいことを別にすれは、その政府は、ジュネーヴのそれよりも、貴族政的であるとはいえない。両者の違いのすべては、われわれは終身の首長をもっていないので、ヴェネツィアのように抽籤にたよる必要さえないということに尽きる。
抽籤による選出は、真の民主政においては、ほとんどなんの不都合も生じないであろう。全員が、習俗や才能によっても、あるいはまた政治的原則や財産によっても、まったく平等であるから、選択はほとんど無関心なものとなるであろう。しかし、さきに述べたように、真の民主政は、かつて存在したことがなかった。
選挙と抽籤が混用される場合、前者は軍職のように特別の才能を要する地位を満たすのに用いられるべきであり、後者は司法官職のように良識、正義、公正などの徳をもっていればまにあう地位に適している。なぜなら、よく構成された国家においては、これらの資質は、全市民に共通のものだからである。
君主政体においては、抽籤も投票も行なわれない。君主のみが、当然、唯一の統治者であり、施政者であるのだから、その代理官の選択権も、君主だけに属している。サン=ピエール神父が、フランス国王顧問会議を増設し、その構成員を投票により選ぶことを提案したとき、彼は政体を変えるよう提案しているのだということがわかっていなかった。
ルソー『社会契約論』第四編第三章 選挙について