運と努力について
執筆日時:
左翼系のヒトは、よく「運」を強調する。
カラダが健康なのは運がよいからで、
アタマがよいのはたまたまよい頭脳を授かったからで、
カネを稼げるのもよくよくツキに恵まれていたからである、といった風に。
そういう面は否定しないけれど、それはそれで個人の「努力」を否定したモノの見方だと思う。じゃぁ、みんな「果報は寝て待て」といきましょうかね?
逆に保守的なヒトや成功したヒトは、「運」を過少評価する。
もし生まれながらにしてハンデを負っていたら、頑張りは今ほど実を結ばなかったろうし、そもそもスタートラインにすら立てなかったかもしれない。お金に利子がつくように、努力にも利子がつくと考えれば、スタートラインでの出遅れは複利計算でどんどん拡大すると思っていい。
だから、「努力」を過大評価してしまいのも考えものだ。無理のない範囲で、「運」のないヒトにもチャンスを回すべきだろう。自分だって、いつその立場になるかわからないのだから*1。
ただ、どっちかっていうと、「努力」の評価に重点をおいた社会のほうが、格差は増しても、全体としては発展するハズ。なので、僕は前者の意見にも留意しつつ、基本的には後者の考えに重点をおくだろう。