「なぜ産業革命が起こったのか?」

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いろいろ答えは出されているけど、どれも決定打には欠けるよね。

わし的には、「投資のやり方が変わったから」っていうのが大きいかな、って思う。

中世まで、投資は「カネの余ったおっさんが気まぐれでやること」だった。中世世界で一番の金持ちはやっぱり王様だったりするわけだけど、彼らは投資をしない。メディチ家みたいなのもいるじゃないか、と言われればぐぅの音もでないが、あれは例外的なものだと思うし、結局は王さまになって没落していった。

でも近世に入ると、投資は「生きるために必死でやること」に180度転換してしまう。投資をしてお金を増やさなければ、周りとの競争に負けてしまう。「みんなが走っているから、止まっているためには走らなければならないの」。生活水準を保とうと思えば、技術革新を肯定してバンバン投資をするしかない。

実際、中世では技術革新は否定されていた。ギルドでは親方のやる通りにし、ひたすらその技術継承に努める。「何も引かない、何も足さない」というモットーが支配している。新しい機械を導入はしきたりに阻まれ、縦糸を減らして廉価にするといった仕様変更は吊るし上げられ、死刑の対象にすらなった。

じゃぁ、なんでそんな転換が起こったのか?

ここからはちょっと自信がないけれど、当時の国家の規模が関係あるような気がする。

中世では、技術革新が制度的に抑圧されてきた、というのはすでに触れた。「制度的に」というところの制度とは、ギルドであったり農村であったり、列侯領、王国であったりする。中世初期はそういった集団単位で技術革新がある程度封印されてきたわけだけど、それが中世中期・末期と進むに連れて次第に淘汰・整理され、数カ国の似たような国力を持つ領土型巨大国家に再編された。

最後はその国々の間での争いになるのだけれど、その過程で「技術革新」を抑圧するインセンティブを次第に失っていったのではないか。だって、技術的に先んじていれば、戦争にも勝てるし、貿易でも優位に立てるもの。その結果、宗教においてはプロテスタンティズム・科学的思考、哲学においては個人主義・自由主義、経済学においては重商主義・古典派が次第に力を持つようになり、もはや時代の流れを留めおくものはなくなった。王さまに代表されるような働かざる土地所有者の占める富の割合は、中世から近世にかけて、まるで80-90年代のポケベルの所有率が如く一気に低下していった。

この考えは、東洋で産業革命が起こらなかった事実とも整合的だ。というのも、東洋では西洋のように国力の似通った領土型の巨大国家が複数並立することがなかったので、それぞれの国内で古き良き伝統<技術革新の否定>が受け継がれた、というわけ。