「部隊の3割がやられると全滅する」
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本当だろうか?
軍隊というのは「囚人のジレンマ」の典型じゃないかな。自分は戦う・踏みとどまって逃げるという二つの選択肢をもっている。他の人も戦う・踏みとどまって逃げるという二つの選択肢をもっている。そして、皆が一致団結して戦えば利益を受ける(自分の街が守れるとか戦利品が得られるとか)可能性が高い。逆に、バラバラに逃げれば命を失う確率が格段に上がる。一番理想的なのは、自分が戦わずに周りが戦って、しかも勝つことだ。自分は傷つかずに、しかも勝てば利益が得られる。この場合のナッシュ均衡は、「両方逃げる」になる。
戦う | 逃げる | |
---|---|---|
戦う | (5,5) | (3,5) |
逃げる | (5,3) | (0,0) |
無論、優秀な将軍なら利得テーブルを書き換える方策を用いるだろう。たとえば、逃げるものを厳罰に処したり、戦ったものには恩賞を与えたりして、信賞必罰を明らかにすることが考えられる。もっと有能な将軍ならば、一致して戦えばかならず勝つし、かりに戦死したとしても必ず遺族に報いると確約するかもしれない。負ける恐れを排除し、勝つことの意義を大きく見せれば、主観上の利得テーブルは変化する。さらに才能あふれる将軍なら、付いくだけで必ず勝てると錯覚させるだけのカリスマをもっているかもしれない。こうなると、もう逃げることは選択肢にも入らなくなるだろう。
どちらにしろ、戦争のような構造では「周りが戦うから自分も戦う」「誰も逃げないから自分も逃げない」という<循環>が成り立っている。戦うにあたっては、その<循環>をいかに切らないかが重要になるだろう。八割死のうとも、循環を維持できれば――軍隊としての機能を維持していれば――、とりあえず全滅とは言えない。よい軍隊では、必ず<循環>がより強固に保たれている。だから、「3割」という基準にあまり根拠はない気がする。
とはいえ、目安として3割というのはわかる気もする。5人の小隊があれば、3割の損害は1人か2人死んだということだ。身近に死者が出れば、浮き足立ち、<循環>が切れる恐れが強い。
また、時代が下がって軍隊の組織が高度になればなるほど、組織の頑健性は失われるかもしれない。その局面において重要な兵種に損害が集中すれば、それだけ作戦が困難になるだろう。この点、歩兵が弓をもてば弓兵になるといった兵種間の代替性が高い古代と、ヘリコプターが使えなくなったら歩兵が孤立して全滅してしまう現代とでは、かなり事情が異なるのは確かだ。