最近の老人の公共心について
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雨水でぬれた床で転んで骨折したのは店側が転倒防止の措置を怠ったのが原因として、福岡県苅田町の女性(66)が衣料品量販チェーン「しまむら」(本社・さいたま市)を相手取り、約1771万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、福岡地裁小倉支部であった。
手元にあるメモの助けを借りると、 「岡田裁判官は女性の損害額を約1486万円としたうえで、「(事故が起こる可能性は)…原告も容易に推察できた」として過失割合は原告65%、被告35%と判断」
したため、結局しまむらが「570万円支払いなさい」という結論になったようだ。
いったいこの老い先短い婆さんに「1,771万円」の価値があるのか。まぁ、それは置いておくとしよう。とても貴重な婆さんだったのかもしれない。日本も訴訟社会になるのかな、と思う反面、泣き寝入りするのもよくないし、訴えるのは悪くないのかな、とも思う。
けれど、僕だったらそれで得たお金を自分では受け取らずに、事故の再発防止に使ってほしいと考えると思うな。そうすれば、二度とこのような事故で痛い目に遭う人がいなくなる。みんながハッピーになれる。でも、このお婆さんはそうしてくれるだろうか。まぁ、期待はできないだろう。この世代の人には、あんまり公共心がないから。この世代で精神・道徳的に心底尊敬できるヒトがいくらいるだろう? あまり思いつかない。経済的に成功したり、名を挙げたヒトは少なくないけど、挙措で感動を与えたというヒトはヒドく少ないと思う。
「今生きている日本人のなかで、あなたは誰のようになりたいと思いますか?(精神・倫理・道徳的に!)」
だから僕は、そいうった公共心の多くを、生きている先達からではなく、本から学ぶしかなかった *1 。本のなかにだったら、たくさんいる。でも、これはとても残念なことのような気がする。
PS: それにしても、読売新聞も毎日新聞も、この記事を消してしまったのはどうしたことだろう。なにか都合が悪いことがあったのだろうか。新聞社のエラいヒトは何も説明しないのだろうか。政治家には「説明責任」を求めるのにね。