だるろぐ

明日できることは、今日しない。

私ウトレトが 、前世より現世にいたるまで

私ウトレトが 、前世より現世にいたるまで 、

 

寺院や僧房や清浄な場所で 、親愛の情や恥知らずの気持ちから 、行なうべきでない行為を行なったのなら 、

 

寺院に所属する財物を貸借 ・運用して 、お返しをしなかったのなら 、

 

あるいは商売の時に重さ ・長さ ・升目をごまかして 、少しだけ与え多く取ったのなら 、

 

(中略 ) 、

 

町から町へ国から国へスパイとして歩き回ったのなら 、

 

以上のようにたくさんの罪や悪業を積み重ねたのなら 、私は今すべてを悔い 、告白する

仏教 ・マニ教関係の古代ウイグル宗教文書からの引用。とても興味深いのに「中略」って、なにさ! 

シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)

シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)

 

 

 

 

 

 

『ヘロドトス 歴史 中』

かの有名なマラトンの戦いから数えること三代の昔、ラケダイモンにグラウコスという者がいた。この者は若いながらあらゆることに秀でていたが、こと正義を重んずるという点では並ぶ者がない。正義の前では利益どころか命すら顧みないというありさまで、節義を重んずる――無論、神が格別に詐術を許したもう戦場は別として――ことではギリシア一を自負するラケダイモンの人々ですら、彼には到底及ばぬと舌を巻いていた。

彼の名声はいつしかペロポネソスのみならず、エーゲ海を超え、遥かアジアにまで広がっていたらしい。あるとき、一人の男がグラウコスの屋敷へやってきた。

「あなたの正義の徳に浴したく、ミレトスから罷り越しました。グラウコスよ、ぜひお目通り願いたい」

アナトリアから遥々何を――グラウコスは訝しく思ったが、我が徳を揚げる機会になるのであれば断る理由はないと思いなおし、急ぎ酒席を整え、奥の間へ男を迎え入れた。

ミレトスの男は言った――イオニアは常にペルシアの脅威に晒され、王に土と水を献じて安寧を得ようとする輩と、蛮族<バルバロイ>に服することを潔しとせず、自主独立を計る者とで争いが絶えない。それにひきかえ、ペロポネソスではもう何年も争いがないという。それはあなたたちラケダイモンがリュクルゴスの遺法を守って内に結束し、常に外寇に備えているからだ。私はアナトリアで事業を起こし、いくばくかの財産を得たが、この財産というものはけっして同じ人間の掌中に留まるものではない。

「そこで財産の半分を金に替え、あなたのもとにお預けするのがよかろうと思い定めました。あなたの手元ならば、金が無事であることをよく承知しているからです。どうかその金をお預かりくださり、この割符とともに持っていていただきたい。そして、その片割れを持参して返却をお願いしに参る者があれば、その金を返してやってくだされ」

グラウコスは男の願いを聞き入れ金を受け取り、倉に納めて固く封を施した。

――

時は流れ、もはやミレトスの男もこの世には存在しまいと思われた頃になって、一人の若者がスパルタ市までグラウコスを訪ねてやってきた。曰く、割符をもって参ったので、父が預けた金を返してほしい。

グラウコスは玄関先で彼に応えた。

「私には父上とそのような約束を交わした記憶がないし、君の割符を見ても思い当たることが何一つない。もし君の言うことが真実であれば、我が正義に誓って約束した通りに取り計らいたいとは思っているが……言いがかりならギリシアの法に従って君と対決しなければならない。そうだな、この件に関しては四カ月先に改めて決着をつけることにしよう。もしかしたら思い出さないとも限らぬしな」

若者は父の金を騙し取られたと憤慨したが、かりに裁判に訴え出ても、グラウコスの信用と名声の前に勝ち目はなかろう。当初はあきらめきれず、何日か市内をあちこち当たってみたようだが、すぐにあきらめ、四カ月を待たずに悄然と街を去った。

一方、グラウコスは旅支度を整え、密かに北へ向かった。世界のへそ、デルポイ市に建つポイボス・アポロンの神殿で託宣を受けるためである。

グラウコスは神殿へ貢ぎ物をたっぷり納めると、神にこう尋ねた。

「ミレトス人から預かった金を奪う、可なりや?」

デルポイの巫女は大地の割れ目に築かれた祭壇に上り、目を閉じ、長々と息を吐くと今度は細く吸い込み、やがてその体に神を下して厳かに応えた。

「エピキュデスの子グラウコスよ、好きにするがよい。
 お前が築き上げた徳の前に、責める者はもういない。
 預かった金を得て、さらに徳を重ねればよかろう。

 しかし、誓いの神には名もなく手足もない御子がいる。
 この御子は疾風のごとく罪ある者を追い詰め、
 その一族郎党をことごとく滅ぼすまで止まらない。

 せいぜい用心するがよかろう。」

これを聞いたグラウコスは恐れ戦き、そのようなことを尋ねた罪を許されよと神に宥恕を乞うた。しかし、

「神を試すことは、悪巧みを行うことと同罪である」

巫女はこのような言葉を残すと、ぐったりと座り込んでしまった。

グラウコスはすぐさまミレトスの若者を呼びにやり、詫びて金をすべて返したが、今日グラウコスの子孫なる者は一人も残っていない。あれだけ豪勢だった彼の屋敷も、今はどこにあったかすらわからないという。

ヘロドトス 歴史 中 (岩波文庫)

ヘロドトス 歴史 中 (岩波文庫)

『文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ』

文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ (中公新書)

文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ (中公新書)

手ぶらで外出たけどなぜかヒマができたので、時間を潰すためにテキトーな明屋書店で買った。そんなに期待していなかったんだけど、割かしよかった。メソポタミアを中心に古今東西の「文明の濫觴」を拾っていて、単なるウンチクとして読んでも興味深いし、自分なりにつながりを考えてみても面白い。世界史の教科書の最初の方って無味乾燥なイメージあると思うけど、こういうのも並行して読んでいればもっと興味をもって学べると思う。

で、読んでて気づいたんだけど、この本の著者、昔読んだシュメール人の新書と同じ著者だった。

blog.daruyanagi.jp

ネタのほとんどがメソポタミアだし、なんか文体にも見覚えがあった。ネタのかぶりはそれほど多くないので、これも併せて読むといいと思う。知識に厚みができて、より身近に感じられる。

ただ、一部説教くさいのところには閉口した。

死刑廃止している国の方が進んでいるのかといえばそんなことはないと思うし(個人的には死刑の存廃なんかどうでもいい話で、死刑になるような犯罪を減らすことに注力すべきだと思っている)、「2アスで私はあなたのものよ!」と落書きした女性が不幸だったとは限らない。まぁ、カネに困ってたのかもしれんけど、貴族の娘が酔っていたずらで書いた可能性だって無きにしも非ずだし、しょうもない色眼鏡で事実に色を付ける必要はない。

まぁ、本の内容はさておき――

結局のところ、文明ってなんだろうな。本書でも指摘されてたけど、文明の定義なんてそれこそ人それぞれだし、もはや論じるのも無意味なことなのかもしれない。

でも、自分なりにあえて定義するならば「宗族を超えた社会(≒共和体、市民社会)を支えるインフラ」なのかなーと。宗族内社会(イントラ宗族)から宗族間社会(インター宗族)へ脱皮するには、いろんなプロトコルとインフラが必要になるよね。

宗族内社会での相互贈与では、贈与を記述しておく必要はない。むしろ細かい端数については黙って起き、有耶無耶にしておくのが礼儀でもある。

しかし、宗族間社会での相互贈与ではそうはいかない。血縁や群れといったガバナンスに担保されない相互贈与のルールは、いつ破られるともわからない。

なので、そうした相互贈与(交換)においては、おのおのが自分が得たもの・与えたものについての“覚え書き”を残しておくようになるだろう。相手がルール(契約)を破ったときに突きつけるための証拠として。最初はおのおのが好き勝手なフォーマットで書いている“覚え書き”も、そうした社会では次第に相互に理解が容易になるよう形式が整えられ、共通のプロトコルとなっていく。これが“文字”の誕生であり、“信用(→貨幣)”の誕生だ。貨幣というのは、貸し借りを分かりやすく表現するためのトークンに過ぎない。

また、信用を維持するための暗黙のルールを明文化した“法律”もやがて誕生する。これは、外からやってくるものや、新たに生まれてくるものに、その共同体で身につけておくべきルール(と、マナー)を教えるためのものだ。その前は“宗教”がその役割を担っていることもある、というか、相互贈与の紐帯を形式化したのが“宗教”なのかなと個人的には思っているので、むしろソッチのほうが本家だな。

というわけで、宗族をまとめるための“宗教”、宗族同士が交流するための“文字(おそらく最初に誕生した文字は“数字”なんじゃないかなー)”や“貨幣”、開かれた共和体のための“法律”は文明に必須の要素だとみなしていいと思う。

しかし、その前提となるのはまず“交通”と“集住”だろう。ルソーか誰かは“自然状態”としてヒトがバラバラに暮らしている状態を想定していたような気がするんだけど、そういう世界では文明は発達し得ない。“交通”のインフラである“”や“道路”、“”(、宿場)、“集住”のためのインフラである“都市”、水道施設、建築なんかも文明の基本要素だろうね。そういえば「文明(Civilization)」は、「城壁の内側≒都市の住民(市民)になること」でもあった。

これらの要素は互いに結びつき合っていて、共進化を遂げてきた。その爆発的な発展過程こそを指して“文明”と呼んでいるヒトもいるみたいだな。それぞれの要素の単なる足し算としてしか“文明”をみないのは片手落ちなのかもしれない。

相互贈与の天秤

相互贈与においては、贈与が“キッチリ”清算されてはならない。清算された相互贈与は、そこで関係が止まってしまう。再びその歯車を回すためには、また最初の贈与――“命がけの跳躍”とでもいうべき最初の贈与――からやり直さなければならなくなる。

贈与の価値は、軽量化されてはならない。贈与の価値は、与えるものと与えられるものの間で、曖昧に、なんとなく、だいたいで把握されていなければならない。計ってはならないし、計る必要もない。

相互贈与は互いに与える贈与の価値が釣り合っていなければならない。しかし、その天秤はけっして静止させてはならない。

天秤の針が左右いずれにも揺れるかぎり、破局が訪れることはない。

ロードス島戦記〈7〉ロードスの聖騎士 下 (角川文庫―スニーカー文庫)

『ヒエロン――または僭主的な人』

クセノポン小品集 (西洋古典叢書)

クセノポン小品集 (西洋古典叢書)

『クセノポン小品集 (西洋古典叢書)』の一遍。この本に収録されている『ラケダイモン人の国制』が読みたくて買ったのだけど、それはちょっと我慢して、順番に読んでいる。

本書に出てくる“ヒエロン”とは、シラクサの割と有名な僭主(王統の血筋によらず、実力により君主の座を簒奪し、身分を超えて君主となる者)であるヒエロン1世のこと。

ヒエロン1世(ギリシア語: Ιέρων Α΄)は、デイノメネスの息子、ジェーロ(筆者注:ゲロンとも)の弟であり、紀元前478年から紀元前467年までシュラクサイ(現シラクサ。コリントスの植民市でシチリア島でもっとも有力な都市)の僭主を務めた。彼の治世において、彼はシュラクサイの勢力を大いに高めた。彼は、ナクソスやカターニアからレンティーニ(いずれもシチリア島の街)に住民を移住させてカターニアにはドーリア人を居住させ、アグリジェント(筆者注:シラクサと並ぶシチリア島の有力市)と同盟を結び、レギオンの僭主アナクシラスと敵対するロクリア人を取り入れた。

彼の最も重要な軍事的功績は、紀元前474年のクマイの戦いでエトルリアとカルタゴを破り、それによりカンパニア(筆者注:イタリア半島の脛のあたり)のギリシア人をエトルリア人(筆者注:イタリア半島北中部、トスカーナ、つまりフィレンツェとかのあたりに住んでた割と文化の高い部族)による支配から守ったことである。この戦争を記念する碑文の彫られた銅の兜(現在は大英博物館に収蔵されている。)がオリンピアに奉納された。

ヒエロン1世の治世は、ギリシアの歴史上初めての秘密警察が創設されたことで特徴付けられるが、彼は文学や文化の進歩的なパトロンであった。詩人シモーニデース(筆者注:本書に登場)、ピンダロス、バッキュリデース、アイスキュロス、エピカルモスや哲学者クセノパネスらは、彼の宮殿で活動した。彼はまた、全ギリシアの運動競技会にも熱心に参加し、馬レースや二輪馬車レースで数々の優勝を果たした。例えば、紀元前470年のデルポイでの二輪馬車レースや紀元前468年のオリンピアでの二輪馬車レースで優勝した。

ヒエロン1世は、紀元前467年にカターニアで死去し、その地で埋葬されたが、カターニアの元の住人が戻ってきた際に破壊された。シュラクサイにおける僭主制は、彼の死後、わずか1年程度しか続かなかった。

ヒエロン1世 - Wikipedia

f:id:daruyanagi:20150510001500j:plain

大英博物館収蔵の兜ってこれかな。「奴隷制からギリシアを解放した」と書かれているらしい。

ちなみに2世はポエニ戦争の頃のひとで、新ローマ派、というか反カルタゴ派だった。第一次ポエニ戦争ではローマとともにカルタゴを破るが、死後、シラクサは彼に遺志に反し、ローマと敵対。“アルキメデスの武器”で籠城するも、最後には破れ、独立を失った。この辺りの顛末は、『ヘウレーカ』の題材にもなっている。

ヘウレーカ (ジェッツコミックス)

ヘウレーカ (ジェッツコミックス)

さて、本書はヒエロン1世と、お抱えの詩人シモニデスの対話になっている。

シ「僭主って羨ましいっすよねー」
ヒ「そんなことねーよ、辛いことばっかりだよ」

ヒエロン1世の主張は、だいたい以下の用にまとめられるように思う。

  • 限界効用逓減の法則。もう十分持ってると、追加されてもたいして嬉しくないよ。庶民の方が何かをゲットしたときのうれしさ、半端ないよ。
  • 地位や財産を守ることの難しさ。だれも信用できなくてつらいよ。

2つ目は「ダモクレスの剣」みたいな話に近いかも。

ある日、ダモクレスがシチリアの僭主・ディオニュシオスの権力と栄光を羨み、追従の言葉を述べた。すると後日、ダモクレスは僭主から豪華な宴の招待を受けた。宴は贅を極めたものであったが、その豪華な席からダモクレスがふと頭上を見上げると、天井から今にも切れそうな細い糸(馬の尾の毛)で、剣が吊るされていた。僭主・ディオニュシオスは、ダモクレスの羨んでいる僭主という立場が、いかに命の危険をともなうものであるかを示したのである。

ダモクレス - Wikipedia

シモニデスはあれやこれやと例を挙げるけれども、ヒエロン1世を論破できない。読者が「じゃぁ、僭主なんかサッサとやめーや」と思い始めるころ、シモニデスはまさにそこを突く。

ヒエロン様、僭主であることがそのように悪いことであり、あなたがそういう認識を持っておられるのなら、このような大きな災厄からあなたが離れられないのは、また、一度僭主についたものは誰も、あなたも他の人もその地位を手放さなかったのは、いったいどうしてなのでしょうか。

ヒエロン1世の答えはこうだった。

僭主の地位から離れることは不可能だから、この地位は最も惨めなのだ。

僭主をやめたからと言って、僭主のときに受け取ったものを返しきることはできない。僭主のときに市民へ与えた災厄――投獄、死刑、戦争、徴税――を償いきることはできない。なので、恨みを引き受けて破滅するか、運よくそれらから逃れて命を全うするまで、僭主をやめることなどできない。憧れてなったが最後、止めることのできない呪いなのだ。

そこでのシモニデスの切り返しは、なかなか見事なものだった。シモニデスが言うには、支配する(僭主でいる)ことと愛される(恨まれない)ことは両立が可能であるという。

シモニデスの主張はこうだ。

わたしは、庶民と競うのは僭主にふさわしくない、という意見をもっています。

なぜなら、僭主は庶民から資金を得ている。ぶっちゃけていえばチート(ずる)をしているわけで、それで庶民に勝っても賞賛はされないし、また、万が一負ければ蔑まれるのがオチだろう。

一方で、シモニデスはこうも言う。

だが、ヒエロン様、わたしは、諸国の他の支配者とは競争されますように、と申し上げます。

僭主の支配する国が他の国よりも優れていれば、市民は僭主を賞賛し、愛するだろう。わざわざ美少年を口説くまでもない、進んであなたに股を開きまっせ、というわけだ。

市民は僭主に財産を与えているわけではない。預けているだけだ。だから、僭主は共和体のためにそれを有効に活用すべきであって、私物化するべきではない。そもそもなぜ都市が王ではなく、なぜ高貴な血を受け継がない者を僭主に戴くのか。それはその人が能力に優れていると期待されており、かつ都市のためにそれを発揮してくれると信じているからだ。それを裏切れば、市民は僭主の地位を渇望するもう一人にその座を与えるだろう。逆に言えば、その期待に応えてさえいれば、ヒエロン1世は何もおびえる必要などない。

さあ、ヒエロン様、心配しないで友人を富まされるといいでしょう……国を強大にされるとよいでしょう……自国のために同盟国を獲得されよ……祖国をあなたの家と、国民をあなたの友人と、友人を自分の子どもと、子どもをまさに自分の生命とみなし、そして恩恵を施すことにおいては、これらすべてのものを凌駕するように努められよ。

なぜなら、あなたが、親切になさる点で友人に勝っておられれば、敵はあなたに対抗することができないからです。

たぶんこれは、僭主だけにあてはまる話ではないのだろうと思う。

文化について

「文化」というとき、伝統社会における文化と近代社会における文化では、意味に本質的な違いがある。

伝統的社会

社会的に伝えられる行動様式、技術、信念、制度、さらに一つの社会ないしコミュニティを特徴づけるような人間の働きと思想によって生み出されたすべてのものを含めて、一つの総体としてとらえたもの

マサイ族の若者が「文化」というとき(そういった語彙があるのかどうかは知らない)、同年代の若者のことを想起し、伝統的な制度のもとで、社会がどのように組織され、自然資源がどのように利用されているかを思い致す。

近代社会

知的ならびに芸術的な活動

北ヨーロッパの人々が「文化」というときは必ず、芸術、文学、音楽、劇場を意味している。

贈与および交換との関係

伝統的社会における「文化」は、(相互)贈与のルールにマッピングできる。「文化」とは贈与を介してやり取りされる“何か”が外に漏れ出ないように、外から奪われないようにする枠のようなものであり、その中にいる限り、その恩恵を受ける(借りる)ことができる。

近代社会における「文化」は、カネさえあればだれでも買うことのできる無差別・平等的な商品で、いわばファッションに過ぎない。伝統的社会における「文化」は「ルール」(作法と呼ぼうか?)とワンセットになっているが、近代社会における「文化」はそこからは自由だ。

かつて“no life, no music”というコピーがあったが、近代社会における“music”は別になくて困るようなもので決してはない。つまり、必要なものではない。

もちろん、鼻歌や替え歌、心がたかぶってつい口を出る歌は止められないのは確か。けれど、それは(他者が需要してやまないという意味で)必要なものではなく、(自分にとって抑えがたく必要であるという意味で)必然のもの。これは伝統的社会における“music”であって、カネに代えられないし、カネに代えてもならない。カネに代えることができたとしても、本来付随するべき「作法」までを消費者に強要することはできないので、必然的に低俗な方向へ再解釈されていくことを拒否できない。

ただ、二者に優劣があるといいたいわけではない。「文化」には二つのあり方があり――それは贈与と交換の違いに根差している――、どちらもそれなりの存在理由があり、相互に比較したり、否定しあっても仕方のないものだと思う。――が、限りある命のなかでどちらを身に着けるべきかを考えると、前者に多少の優先度があっていいと感じる。

サブカルチャー、および身に着ける「べき」文化について

このブログで「文化」について言及する場合は、前者の意味で用いることが多いと思う。「芸術、文学、音楽、劇場」などというものは、それをたしなむ人々が“サブカルチャー”と(ときに蔑みを込めて)呼ぶアニメや漫画とそれほど大差はない。

なんというかね、(生来的な)貴族でもない・ただの一般的な市民が、ファッションとして高尚な文化を気取っても仕方がないと思うんですよ。こんなにマイナーな歌を知ってる、古典を知ってる、演劇を観てる、オシャレを知っている。それって、アニソンが歌える、ガンダムのセリフを暗唱してる、『みなみけ』を10回観た、コスプレかわいいってのとどれだけ質的な違いがあるのだろう。

むしろ、僕らのような市民が身に着ける「べき」文化というのは、貴族的な精神――俗にいえばノブレス・オブリージュのようなもの、ちゃんといえばハリントンの“自然的貴族”のようなもの――であり、社会との上質な関わり方なのではないだろうか。

そして、そういうものは二代・三代と積み上げていって初めて芽が出るものだと思う。「京都になじむには三代必要」「江戸っ子は三代続いて江戸生まれでなければならない」なんて言われたりするけど、文化とは本来そういうものだと思う。京都に住むことや、江戸っ子であるということは、「芸術、文学、音楽、劇場」以上に肉々しく文化的なことだ。

平たく言えば、家族や街との関わりあい方として身に着けるべき文化と、個人のファッションとして身に着けるべき文化があるということなのかな。で、“高尚な文化”といえど、買えるものは個人のファッションとしての文化に過ぎないということ。

そうそう、伝統的・近代的「文化」における大きな違いは、そのスケールにもあると思う。伝統的文化は数世代にわたって持続可能でなければならないが、近代的文化においてはそこまでのスケールが求められていない。近代的文化というのは、あくまでも単位が「個人」なのであり、だから自由かつ(先天的な意味で)無差別でありうる*1

経済学と人間の心

経済学と人間の心

追記

もっとはやく「伝」「統」的という言葉の意味に注意しておけばよかった。

ちなみに英語の conventional の語源はラテン語で con(ともに)+venire(くる)で、やはり集団的・持続的意味がある。venire は「veni vidi vici(見た、来た、勝った。)」の故事成語でも有名だね。

*1:逆にいえば、贈与関係は差別を生む。これは重要な視点だと思うから、また改めて。

『一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか』

一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか (筑摩選書)

一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか (筑摩選書)

人間の行動原則の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人。
哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。

と表現したのは塩野七生さんだけど、個人的にはどれも共同体に“贈与(贈与)”をプールしておくための桶のようなものだと思っている。

この桶には日々、みんなの贈与が投げ込まれ、同時に費消されていくのだけど、そもそも貯めておくためにはある種の“枠”のようなものを設けて、外に流れ出さないように工夫する必要がある。でないと、そもそも誰も安心して中にモノを入れられないからね。日本人はそのような装置として“義理と人情”“道徳”“空気”“ムラ意識”などを用いることが多い。桶を結んでいた交換(経済)システムが贈与に取って代わるまで、ほかとの違いを際立たせ、共同体の意識と力を統一する仕組みというのは必要不可欠だったのだと思う。

この意味では、先に挙げた塩野七生さんの言葉の中で“哲学に求めたギリシア人”だけが少し浮いている。ギリシア人は“ポリス”という排他的な共同体の枠をもっていた。しかし、ついぞそれから抜け出せず、最後にはマケドニアによってその小さな枠は叩き潰され、大きな枠に取り込まれる。まぁ、その枠も少し大きすぎたので、アレクサンドロスが死んだあとに身の丈にあった大きさに分割されてしまったのだけど。

閑話休題。

そういう枠としての宗教、という捉え方が正しいのかどうかわからないけれど、多神教と一神教を比べたときに、後者のほうがより強固な枠であることは確かだろう。これは偉大な発明だと思う。しかし、それは必然的に生まれたものではなく、いわば偶然の産物だった。思いついた人は少なくないのだが、しっかり根が張るところまで育て上げられた例はユダヤ教しかない。

たとえば、古代に一神教革命を進めた人物として本書でも挙げられている アメンホテプ4世 - Wikipedia (本書ではアメンヘテプ、またはアクエンアテン)は、結局その革命を根付かせることができなかった。キリスト教やイスラム教は、ユダヤ教の成功をもとにより普遍的な価値観を接ぎ木したものに過ぎない。

本書では、ユダヤ教が拝一神教(ある一神だけ崇める、ほかの神の存在を許容)から始まり、排他的一神教(他の髪の存在を否定)へ進むさまが描かれる。

わたしは初めであり、終わりである。
私をおいて神はない。

『イザヤ書』

面白いのは、バビロン捕囚 - Wikipedia という民族的災難を経験し、ヤハウェへの信仰が一時期薄れたとき、普通ならばそのままアメンホテプのときのように一神教が忘れ去られるところを、逆に“ユダヤ人に怒ったヤハウェがバビロニアを遣わして罰を与えた”と解釈することで救ったことだろう。ここにおいて、ヤハウェはユダヤ人の世界に住む神ではなく、ときには異民族を遣わして罰を与える世界的な神へと脱皮を果たした。信仰を取り戻したユダヤ人はやがてバビロンから開放されるが、そこで出エジプトの伝説が思い起こされ、それを追体験する。拝一神教時代のモーセの言葉が再解釈され、排他的一神教的な意味を帯び、深くユダヤ人に共有されるようになった。

著者によると、ユダヤ教は“5つの革命”によって進化(まさしく進化論的な意味で)してきた。

  1. エジプトの衰退、カナン都市国家の抗争、海の民の侵入といった混乱から自らを守るために、“エル”信仰によって繋がった“イスラエル”という民族が生まれる
  2. バアル崇拝の拡大に対向するために、異邦人を遣わしてイスラエルを罰する世界神としての“ヤハウェ”の観念を生み出す(“ヤハウェ”は“エル”と同視されつつ、影響を拡大させてゆく。人名にも「エル」系(~エル)より「ヨ」で始まったり「ヤ」で終わったりする「ヤハウェ」系の名前が増えた)
  3. ヨシヤ王と申命記運動。アメンホテプ的な改革が進められる(が、ヨシヤの非業の死によって改革は頓挫。バビロン捕囚が起こる)
  4. バビロン捕囚下で、イスラエルを罰する世界神としてのヤハウェを強調。また、全能なるヤハウェによる救い(今度はアケメネス朝ペルシアを遣わすのだが)を予言
  5. 第二イザヤによる排他的一神教宣言

マキャベリ的・ルソー的契機として民族的な苦難と救済の経験し、何人かの天才的な立法者(モーセ、ヨシュア、ヨシア、イザヤ……)の指導で革命的なジャンプアップを何度も果たしていった――というのが一神教としてのユダヤ教の歴史であったらしい。

とはいえ、ユダヤ教(やキリスト教)にも聖人崇拝みたいな多神教的要素も少なくないのが面白い。世界的な枠(イスラムでは“家”って表現するのかな)ってのはやっぱり大きすぎるのかもね。

『市場の倫理 統治の倫理』

市場の倫理 統治の倫理

市場の倫理 統治の倫理

この本を読んだのは13年ぶり。最初に読んだのは大学の頃で、生協で平積みになっているやつを買った。当時は、まぁまぁおもしろいな、という程度の感想しかなかったように思う。

この本のことを思い出したのは5年前ぐらい。きっかけは、人間の社会が“贈与(贈与)”と“交換(交換)”で成り立っていて、その区別をもとにした新しい共和主義を夢想し始めてからだ。実家に置いてあるはずが捨てられてしまったようで(同様に捨てられた本が結構あって泣ける)、もう一度買おうと思ったのだけど絶版で、Amazon では中古本が定価の2倍ぐらいで売られていた。なんか悔しいので、そのまま買わずにいた。

ところが、この前ふともう一度 Amazon をのぞいてみると、定価と同じ程度に値下がりしていた。早速購入。

簡単にまとめると、人間の行動原理は“市場の倫理”と“統治の倫理”の2つしかない。で、それは“交換(Trading)”と“採取(Taking)”という人間のふたつの生き方に根差していて、互いに矛盾したり、いいとこどりの“混合”(≒道徳の腐敗)がしばしば行われている。私はたちは、このことに自覚的になる必要がある――といったところだろうか。

犬同士が、1本の骨を別の骨と、公正に、しかも熟慮の上で、交換するのをみた人はこれまで誰もいない。

と言ったのはアダム・スミス(『国富論』)だけど、群れて獲物を狩り、その成果を分配する動物は無きにしも非ずだが、それぞれに獲って、お互いにその成果を交換をすることにより、結果的な分配を達成するのはおそらく人間だけだ。人間はこの能力――市場の倫理――を延ばすことで、見ず知らずの人とつながりあい、豊かになり、より自由で平等な社会を発展させてきた。けれど、“誰かが集めて配る”という統治の倫理が忘れ去られたわけではない。

たとえば、会社というシステムは、ウチに向かっては統治の倫理を、ソトに向かっては市場の倫理を発揮している。会社はソトから収入を得て、それを偉い人から順に分け前をとりながら、末端の社員へと分配していく。ソトに向かっては、互いが互いを平等なパートナーとして認め合い、交易をおこなうことによって利潤を得る。

ただ、それはタテマエであって、巨大な企業はときに独占・カルテルなどに走ってより大きな利潤を得ることがある。これは“誰かが集めて配る”という統治の倫理そのもの。本来、市場の倫理が徹底されるべきところを統治の倫理が幅を利かせるとき、市場は腐敗する。統治の倫理には、メンバーを身内にし、それを分配の単位としてみなす傾向がある。

逆に、ナカに対して市場の倫理が誤って導入されることもある。たとえば、“成果主義”はその典型といえないだろうか。“成果主義”という理屈には欠点がない――ただし、それは市場の倫理において。実際のところ、“成果主義”は上司が部下への分け前をケチるために市場の倫理を使ってるだけで、部下が上司にそれを行うことはできない。結果的に、社内はギスギスとヨソヨソしくなっていく。市場の倫理は見ず知らずのひとを緩く繋げる強力なパワーをもつが、基本的には人間を分断するモノだ。本来、統治の倫理が行われるべきところを市場の倫理が幅を利かせる時、統治は腐敗する。

だからといって、倫理そのものが誤っているということではない。それぞれの倫理は何千年も磨き上げられていて、それぞれお互いの場において論理的に完結している。ただ、前提としている場が異なれば、その効果を失う。平たく言えば、統治の倫理も、市場の倫理も、時と場合によってよかったり悪かったりする。

自由資本主義を批判している人が、その実、資本主義のルールを破る一部の強権的な人たちを批判していたり、古い保守主義を批判する人たちが、その実、優先的な立場を利用して弱者にのみ市場の論理を適用する不実を詰っている場合は少なくない。こういった二つの倫理の混合こそが、腐敗を生んでいる。

しかし、だからといってどちらかの倫理のみを選択するというのも非現実的だ。誰かに従うことを無条件に受け入れることはできるだろうか。親兄弟にまで合理的な判断を強いることが果たして正義だろうか。

結局のところ、僕らにできるのは倫理の混合という悪徳に対して敏感になることしかないんじゃないかな?

さて、この本は大変に面白いので、機会があれば近いうちにもう一度取り上げると思う。

『贈与の文化史―16世紀フランスにおける』

贈与の文化史―16世紀フランスにおける

贈与の文化史―16世紀フランスにおける

目次

  • 1. 贈与の精神
  • 2. 贈与の観光と公共の時間
  • 3. 贈与の観光と社会的意味
  • 4. 贈ることと売ること
  • 5. 失敗した贈与
  • 6. 贈与、賄賂、そして国王たち
  • 7. 贈与と神々

著者のナタリー・デーヴィスという人のことは知らなかった。アメリカの歴史学者で、16-17世紀のフランスとジェンダー論を専門としているという。この本を手に取ったのは単に“贈与”というタイトルが目についたからに過ぎなかったけど、いい本に巡り合えたと感じた。

どちらかというと、本書は“贈与”のスタイルを類型化してまとめるのではなく、“贈与”のスタイルをまるでトランプを操る手品師のように、次から次へと巻き散らかしていく感じ。でも、なんとなく、そのつながりがあぶりだされてくる。

社会的基礎としての“贈与”

「今は贈与について新しくエキサイティングな勉強をしていますが、それは私有財産制が嫌になっているからよ」

(あとがきより、1981年のインタビュー)

デーヴィスのこの言葉、なんとなく好きだ。個人的に私有財産制にとかく楯突くつもりはないけれど、“贈与”を離れて“交換”(つまりは“経済”)のみを論ずることはできないのではないかとは思っていた。嫌だから、なのではなく、もっと知りたい、ので勉強する。

“交換”の基礎は、“贈与”にある。

大規模な災害によって物流がマヒしたり、ハイパーインフレーションによって貨幣が機能しなくなったとき、立ち現われるのはやっぱり“交換”の記憶に引きずられた相互“贈与”――物々交換――だったり、対価をアテにしない協力――絆、“贈与”!――だったりする。また、純粋な“交換”が行われていると一般に信じられている分野でも、“贈与”に起因する慣習が根強く息づいていることが少なくない。取引関係一つとってみても、平等で公平、なんてことはほとんどない。互酬関係の強さと長さによって明確な差別があり、ピラミッド型の権力関係が築かれているのが普通だ。

“贈与”から“交換”へ

では、“贈与”とは何か。

簡単に言えば、助け合いの仕組み、とでもなろうか。初対面のひとは恐ろしい*1。でも、徐々に打ち解けていければ大抵そうでないことは理解し合えるし、いざというときにはタヨリになる。贈る・受け取る・返礼するという互酬の三大義務は、人間関係を強固にし、公共的な空間を作り出し、“孤”でいる場合よりもヒトを自由にする。

その一方で、“贈与”は人を縛る。

誠実さという定めでわたしをつなぐ結び目(贈与、義理、絆、しがらみ)は、社会的拘束(交換、契約)という結び目よりもはるかにきつくて、重苦しい。自分で自分を縛るよりも、公証人に縛られるほうが、よほど楽なのである。

モンテーニュ

こうした新しい自由を求める気風ですら、“贈与”は封建的な道徳、宮廷における儀礼、教会の権威という形をとって縛り上げてきた。それがとうとう破れるのがちょうど14世紀から16世紀あたりで、宗教改革・市民革命・産業革命を経て、後戻りを許さない決定的なものとなる。

ポランニーが指摘したように、「経済(交換)が社会(贈与)に埋め込まれているのではなく、社会(贈与)が経済(交換)に埋め込まれた」のが今の世界。「公証人に縛られた」、新しい自由の時代。

“贈与”の探求

そんな世界から“贈与”関係を取り出すには、大まかに言って二つの方法がとられる。

一つ目は、文化人類学的方法。経済的交換*2が発達していない、原始的な(ごめん、Politically Correct な単語考えるのめんどい)をターゲットにして、文明に汚されていない“贈与”を取り出す。

二つ目は、歴史学的方法。資料を丹念に読んで篩にかけ、ひとびとの取引慣習に埋め込まれた“贈与”的な部分を見つけ出す。

前者の方が純粋なものをより容易に得られるが、所詮、文明の主流から外れた枝をターゲットにしているので、あくまでも特殊な事例なのではないか、という疑いはぬぐいえない。一方、後者は精錬の難はあるものの、現代の主流文明に直結するモノが得られるという利点がある。

本書がとる方法はもちろん後者だね。興味がある人は読んでほしい。

とくに7章は個人的に興味深かった。ヴェーバーはたぶん、逆立ちしていたんだ。

*1:ホッブズの『リヴァイアサン』はそこから話が始まる

*2:言い忘れたが、ここでいう“交換”はモノのやりとりではなく、経済的なやり取りを指している

出版と贈与

共有されるべきものとしての知識

「学問とは神の恵みであって、売ることはできない」

中世の箴言

中世ヨーロッパでは、知識は独占してはいけないものであり、ましてや売ることなど許されないものだった。修道院では写本作業が信心深い行為とされ、慈善として写本の貸与が行われていた。装飾に用いられる赤文字は、殉教者の血を象徴していたともいう

また、君主が書籍を集めて、周囲の者に使わせることも奨励されていた。大学の教授に対しても、教会法は報酬を受けたり、写本を売ることが禁じられていた。祈りを商売にすれば、宗教は堕落してしまう、というわけだ。

とはいえ、それでは霞を食って生きていくわけにはいかない。そこで知識のやり取りには、売買ではなく、あくまでは贈与という体裁がとられていたし、「働き人が、その報いを得るのは当然である」(『ルカの福音書』)という教えを根拠に、写本労働に対して報酬を受ける場合にも限度が設けられていた。

ついでに言えば、医学なんかもそうだね。

印刷術の発展と出版業の成立

16世紀になると、印刷術の発展にともない商業出版が行われるようになる。しかし、伝統的な贈与の痕跡が一掃されたわけではない。

栄誉ある職業

「(あなた方は)この世で売ることのできる、もっとも栄誉ある商品を扱っている」

リヨンの公証人がパリの書籍商に宛てた手紙

出版はある種“慈善”的な側面をもつ栄誉のある職業とみなされていた。「知識とは精霊の恵みにほかならず、あまり高く売るべきではない」という考えも受け継がれている*1

「彼(プトレマイオス2世)の図書館は自家の狭い壁を以って囲まれていたが、アルドゥスは世界の果て以外には壁のない図書館を建てる」

エラスムスがアルド(アルドゥス・マヌティウス - Wikipedia)の文庫本を評して

出版業は、象牙の塔に閉じ込められた知識を解放する職業だと認識されていたことが分かる。

出版独占権と贈与に組み込まれた著作権

当時は著作権の概念がなく、海賊版の横行を防ぐための出版独占権のみがあり、君主の特任によって保障されているケースが多かった。というわけで、書物には「君主の特認に対するお礼」が献辞として含まれることが少なくない。

とはいえ、理念としては商業的な独占は否定されてきた。

その書物を作ったものの気前の良さのおかげで、恩恵を受ける権利が読者にあるにもかかわらず、それに異議を唱えて、自分だけが独占しようと図り、書物を読者の胸元から奪い去ろうと考えるのは、不実なことでしかない。

ローマで出版された『セネカ作品集』がパリでフランス国王の特認のもと無断再版されたことに対する訴訟より

たとえば、この訴訟はローマの版元が勝訴している。

また、著者への報酬は印刷本そのものであることが多く、それを日頃交流のある(互恵関係にある)知人に贈って返礼を受けることで“マネタイズ”していたらしい。そうした書物には、贈与した相手、遺贈した先が何代にもわたって記録され、単なる商品ではない特別なモノとして記憶される。これらはときに、収集者の名前を冠したコレクションとして、より公共的な場――図書館や大学――へ寄贈された。

*1:そもそも“栄誉”というワードは贈与のモードに属する言葉だと言える