『山月記』の李徴はなぜ虎にならなければならなかったのか

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捜神記』巻七第184段によると、虎は「陰の精であって、陽に住むものであり、五行では金にあたる獣である」とされている。陰は「易学で、陽に対置されて、消極的・受動的であるとされるもの。地・月・夜・女・静・偶数など」をいう。一方、金は「土中に光り煇く鉱物・金属が元となっていて、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表す。収獲の季節「秋」の象徴。」なのだそう。身を飾るものであるため、完成度の高さや見栄っ張りというイメージにもつながる。

つまり、物事に対して完璧主義でプライドが高く、日のあたる場所を望むが、それでいて保守的で冒険心に欠ける。勝ち負けにこだわり負けず嫌いなくせに、内向的な陰性の性質をもち、自分の殻を打ち破って世に出ることができない。李徴には虎がピッタリなのだね。サルやヘビではしっくりとこなかろう。

また、五行の相生・相剋論によれば、金は火から生まれる。情熱に燃えていた若い頃から、挫折を味わい、内面は冷たい石に堕ちてしまっても、往時の輝きが忘れられない李徴をよく象徴しているように思う。

やがて、金は水となるのだという。「胎内と霊性を兼ね備える性質を表す。「冬」の象徴」。彼は生まれ変わって春を迎えることができたのだろうか。