『大空のサムライ』

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大空のサムライ (光人社NF文庫)

大空のサムライ (光人社NF文庫)

「大戦期のエースパイロットについて取り上げてくれ」と某所から打診されたのだけど、不勉強でその辺りはまったくわからん。というわけで、とりあえずこの界隈では一番有名だと思われる(なにせ自分でも書名を知っていた)この本を読んで入門してみようと思った。

読んでまず思ったのは、パイロット稼業の割には読ませる文章だなぁ、ということ(めっちゃ失礼な言い方やなぁ)。戦記物にありがちな堅っ苦しい言い回しや、単なる事実の羅列が少なく、臨場感が感じられる。だれしも経験のある少年時代の挫折、不屈の挑戦、はじめての飛行機操縦――この辺りは楽しく読んだ。

でも、中国戦線での活躍(ちょっとここで強くなりすぎだろ!!)、ラバウルでの死闘と進んでいくにつれ、ちょっと信じがたいなぁ、という記述が多くなってくる。実際、わからない言葉を調べながら読んでいて、戦時詳報との食い違いを指摘する記事にいくつも出くわした。たぶん、本書で語られているほど撃墜数も出撃数も多くはなかったのではないか。なかには著者の為人を批判する記事もある。

一度そういうのが目についてしまうと、大砲要員から飛行機操縦を志願して異端者扱いされたエピソードも、さも「大艦巨砲主義を脱して、航空主兵の思想を持ってたんだ」と言わんばかりに映って鼻についたりする。笹井中尉との別れも、果たして本書で描かれているほどドラマチックだったのだろうか。片目の視力を失うほどの大怪我を負いつつも帰還したエピソードは事実だし胸を打つが、結局、そこで内地に帰還して大規模な本格攻勢から逃れることができたからこそ、生き残って撃墜王を名乗れたのではないか。中盤以降は、そんな少し醒めた目で読むようになってしまった。

とはいえ、多少の脚色はご愛敬、記憶違いだってあるだろう。ちょっとビッグマウスなのも、残されたものとして当時の様子を伝えたい・伝えなければいけないという使命感、多くの戦友を差し置いて生き残った罪悪感、生き残って自分の偉業を世に伝えられる優越感、自分基準からみるとなんとも頼りない戦後世代への不満――その他もろもろの複雑な感情と戦ううちに、そうなってしまったのではないか。穿ちすぎかもしれないが、第三者が簡単に推し量れるものではないだろうという気はする。

ともあれ、こういうのは居酒屋で年配者の自慢話を聞くような感じで読めばよく、感心するところは素直に感心し、教訓にすべきところは取り入れ、虚飾は敬して遠ざければよいだけの話。いちいち細かいところにツッコミをいれて著者を貶めるのも大人げがないと思う。所詮、僕らは戦争を経験したことのない、クチバシの黄色いひよっこなのだしね。せいぜい、極限の状態に置かれても、筆者に恥じない行動をとれるように心がけるだけだ。