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だるろぐ

明日できることは、今日しない。

ミラボーが死んだ。

革命のライオン (小説フランス革命 1)

革命のライオン (小説フランス革命 1)

バスティーユの陥落 (小説フランス革命 2)

バスティーユの陥落 (小説フランス革命 2)

聖者の戦い (小説フランス革命 3)

聖者の戦い (小説フランス革命 3)

議会の迷走 (小説フランス革命 4)

議会の迷走 (小説フランス革命 4)

引っ越しの時に無くしてしまったのだろうか、三巻が歯抜けになっていたので、それを Amazon で補った(だるやなぎ書房 - メディアマーカー によれば 2009年04月06日購入、2009年04月10日読了となっているが、読んだことをまったく覚えていない)。

『小説フランス革命』は、『王妃の離婚』とか『カルチェ・ラタン』に比べると、ちょっとイケてないかなと個人的に思う。後者だと著者独特の疾走感のある文章がキュッと短い話に凝縮されていて、さわやかながら濃厚な読後感が得られるのだけど、『小説フランス革命』の方はどうもどうも薄めに感じられてしまう。会話文と地の文の境界線の薄い、FPSゲーム感覚の語り口も、登場人物が多くてコンテキストスイッチのコストが高いと少し上滑り感があって、没入感がなかなか得られない。こういう長い題材になると、司馬遼太郎さんみたいに脱線と見せかけて油絵の具を重ね塗りするように人物や背景を立体化させていく手法のほうが、個人的には好きかもしれない。

――と、感じていたのは最初の方だけで、途中からはミラボーの圧倒的な魅力のおかげで、ついついページを繰るのが早くなってしまった。

一巻から四巻までは、“革命の獅子”ミラボーの独壇場。バランス感覚の優れた政治的立場も個人的趣向に合うし、当時生きてたら必ずミラボー様にゾッコンになったろう。ミラボーは、確かに味方によっては王党派だったかもしれない。しかし、なんとなれば当時の王権というのは事実上の行政権であり、立法権とは互いにチェックしあうことで権力のバランスを保つべきなのだ。アンシャンレジームに対抗し、覆そうと躍起になるあまり、立法権の暴走という危機に鈍感な左派とは違う。彼らは理念、理念と主張するが、三権分立の基本的概念すらわかってないし、革命を完成させるという目標のためなら、基本的人権だって手段に過ぎない。ミラボーの感覚こそがもっとも理念に合致しているということを、なぜか理解できない。

「このフランスに理性と自由の不動の基礎を置きたいのです」

カッコいいね! 自分なら両脇に空行でも入れて、この言葉を目立たせてあげたいよ。一息ついてから読んで、そして読んだ後にまた一息ついてほしいね。噛み締めてくれよ、この言葉。

そういう意味では、ロベスピエールにはとても歯がゆい思いがする。なんでわからないんだ、このあんぽんたん! 脳みそかち割って、直接語り掛けてあげたい気分だ。でも、彼は彼でどんどん魅力が増してくるんだよなぁ。最初はミラボーの陰でこそこそしていただけなのに、だんだん独り立ちして、ひとり清純で、屹立とした存在になっていく(そこまでいかないまでも、ちょっとは成長がみられるのがカミーユ・デムーランで、これにも感情移入をしてしまう)。それはそれで一人の人間の生き方としては尊敬し、共感できるが、結末を知っているからこそ、歯がゆい。

でもなー、独裁者ってのは、「自分は独裁者には絶対なりません!」っていくら決意しても避けられるものじゃないんだよな。あれは社会の権力運動が個人にやらせる“役”に過ぎない。“役”を引き受けたが最後、ミラボーのように畳の上でうまく死ぬか、破滅してギロチンの露と消えるまで、衆人環視の中、舞台で踊らされ続ける。

「ああ、もう少し自分のことを考えたまえ」
「だから、そんなものは……」
「さもないと、じきに独裁者になるぞ」
「……」

ミラボーが言うには「己が欲を持ち、持つことを自覚して恥じるからこそ、他人にも寛容になれるのだ。独裁というような冷酷なまねができるのは、反対に自分に欲がないからだ。世のため、人のためだからこそ、躊躇なく人を殺せる。ひたすら正しくいる分には、なんら気にも咎めないないわけだからね」。自分は必ずしもそうは思わないけれど、世論を性善とし、それを反映させることのみ考えれば、国民のグロテスクな欲望にだって早晩、応えないではいられなくなる。古代の政治家(政治屋ではなく)は国家理性(≒一般意思、おおざっぱかつ俗に理解すれば世論)の代表ではなく、現実の難局に対しうる力量を期待されたひとたちだったから、国民の私的欲望を抑えることにだって腐心したものだけど、一方の近代の政治家(政治屋ではなく)は自らを世論を反映させる装置と任じている。はじめは不合理に怒り、正義に燃えていた国民も、やがて困難にぶち当たれば日和るし、私的な欲にだって走る。ほんとはその正義と欲望の間になんかしらの調和を見出さなきゃならないのだけど、正義を付託されたロボットは雇い主の“裏切り”を呪いながら、ただひたすら最初にインプットされたアルゴリズムに忠実であろうとする。揚句は“暴走”するわけだ。

かのヒトラーだって、ほんとは根が真面目で、誠実だったのではないだろうか。国民の期待を一身に感じ、その要求に応えようとしたのではないだろうか。その中には拒否すべきものも当然あったはずだけれども、しかし期待に応えようと純粋であればあるほど、それは見向きもされない。破滅する間際になって「どうしてこうなった」「どこでまちがえた」となるわけだ。

そういったカチンコチンのロボットにならないためには、常に現実と自分の理念を突き合わせて問答する必要があると思うのだけど、“己が欲を持ち、持つことを自覚して恥じる”というミラボーのやりかたも、私を取り戻す手段の一つとしてはありかもしれないな。

ま、これは小説なので、変な教訓などを拾いだそうとせずに、ただエンターテイメントと読めばいいと思う。ミラボー死んで悲しい。