『第七駆逐隊海戦記―生粋の駆逐艦乗りたちの戦い』

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第七駆逐隊海戦記―生粋の駆逐艦乗りたちの戦い (光人社NF文庫)

第七駆逐隊海戦記―生粋の駆逐艦乗りたちの戦い (光人社NF文庫)

戦艦・巡洋艦乗り組みとはまったく違う「駆逐艦気質」というのが窺えて面白かった。

第一航空戦隊の第七駆逐隊は、特II型(綾波型)の4隻で構成された駆逐隊。

終戦間際には、ほかの仲間を失って弧艦となっていた「霞」や「響」が加わっていたことがある。「響」などはミッドウェー砲撃(真珠湾攻撃の一環として行われた陽動作戦)にも参加してる(「潮」「曙」「響」の三艦が参加)ので、わりかし縁は深い。逆に「朧」などは単艦で第五艦隊(北方担当)に引き抜かれていたりして、あまり行動を共にしていない感じ。

旗艦は「潮」で、駆逐隊司令の小西要中佐と司令部付きの通信兵である著者が乗り込んでいた。

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忘れがちだったけど、「潮」って数少ない残存艦のうちの一艦だったのな。

個人的ツボ。

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そういえば『榛名新聞』で鼠の捕獲数の記事とかあったっけ(【艦これ】これはOUT!榛名新聞っていう史料にあの超有名なネズミが!ハハッ!【あ艦これ】 | 艦これまとめ魂)。ネズミって船から船へと泳いだりもするらしいから、キリがなかったろう。

「駆逐艦気質」というのは痛快であり一種の美学でもあるけど、その裏返しが通商破壊や商船護衛の軽視だったのかもと思うと、そんなに感心してもいられないかな、と個人的に思った。これまで培ってきた美点が、次の時代には拭いようもない欠点になっているのだから、そりゃぁ、まぁ、盛者必衰なんだろう。

駆逐艦一隻の建造費は、当時のおカネで二百万円(大戦後期は百五十万)。魚雷1本、一万円。一等水兵の月給が十一円。「大和」は測距儀だけで四十万円だった(『造艦テクノロジーの戦い―科学技術の頂点に立った連合艦隊軍艦物語』 - だるろぐ)。