必然性とアプリオリ性を分析性によって同時に基礎づけるというこの立場は

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必然性とアプリオリ性を分析性によって同時に基礎づけるというこの立場は、十七世紀から十八世紀半ばまでヨーロッパの哲学界で広く受け入れられていた教義と合致するものだ。

つまり、「分析性(analytic)のあるものは、アプリオリ(a priori)であり、同時に必然性(Necessity)をもつ」という暗黙の了解が当時の哲学界にはあった。

分析的であるというのは、「おばあさんは女性である」といったように命題の分析を行うだけで真偽が判明することを指し、判断に経験を必要としない。分析的に真であれば、必然的に・先験的にも真といえる。

しかしそれは、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)によって断固否定される。

分析的でない命題を「総合的(Synthetic)」と呼ぶが、カントは総合的でアプリオリかつ必然的な真理があると主張したことで有名である。カントはこの主張を礎にして、独自の形而上学の体系を構築した。その間接的な結果として十九世紀ドイツ観念論の勃興・繁栄があり、さらにドイツ観念論への反動として、一九二〇年代から一九五〇年代ごろまでを主な活動期間とする論理実証主義(logical positivism)が総合的でアプリオリかつ必然的な真理があるというカントの主張を否定した。

カントは命題を分析的・総合的、アプリオリ・アポステリオリという基準で分けた。

分析的 総合的
アプリオリ(先験的) アプリオリな分析判断 アプリオリな総合判断
アポステリオリ(経験的) - アポステリオリな総合判断(一般的な経験的判断)

分析的判断は経験を必要としない判断なので、「アポステリオリな分析」は存在しえない。また、日常のほとんどの判断は、「アポステリオリな総合判断」になる。今日は晴れだ、ハンバーグは美味しい、剛力彩芽は栞子さん役に相応しくない……。

一方カントは、数学や自然科学(物理学)を「アプリオリな総合判断」とみなした。ただ、これに「必然的な真理があると主張した」というところまで、自分はカントの著作を読めていない。

そしてそれにとどまらず論理実証主義は、アプリオリ性と必然性を分析性で説明し、アポステリオリ性と偶然性を総合性によるものとして、哲学史上カント以前の立場に戻る態度をとったのである。

論理実証主義にも限界があったように記憶しているのだけれど、それはまたおいおい思い出そう。

意味・真理・存在  分析哲学入門・中級編 (講談社選書メチエ)

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