誰かに頼まれたり、特定の団体の意志に従って投じられた票は、

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なんらかの見返りを期待しているという点で、カネで買収された票と大して変わらない。

「世の中はカネだけじゃない」という意見がまったくもって正しいように、見返りがカネでなければならない道理もない。地位を安堵されたり、人間関係のわずらわしさから逃げたり、あとで菓子折りをもらうのも、カネを懐に入れることと五十歩百歩、たいした違いはない。

民主主義の寄ってたつべきところは、なにも“多数決の原則”などではなく、民がそれぞれ自立した“主”であることにある。

では、“政党”へ投票するのも不正義なのではないか?

「特定の団体」には、政党も含まれうる。ならば、特定の政党を支持することすら、否定の対象となりうるのではないか。

この線引きは難しいが、政党が利益誘導的でなければ、政党そのものにはメリットがある。

利益誘導にはさまざまなタイプがあるが、構造的なものは法律や体制を変えることによって無力化が可能であると思う。たとえば、地元利益誘導型の国会議員は、地方分権化を進めることによって存在意義をなくしてしまうことが可能だろう。なので、個人的にはそういった政策が早期に実現することを期待している。

選挙権はメタ的に行使されるべきではない。

たとえば、「あの党を勝たせたいからこの政党に入れる」というのは好ましくない。理念や政策を選ぶという選挙本来の意味を失っている。それは、日頃有権者自身が“党利党略”と呼んで批判する、“討議”から乖離した党争と本質的には変わらない。

これをこれから「“代表”純粋性の原則」とでも呼ぼうかと思う。