努力は報われるべきか

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「努力が報われるべき」であるとすると、「努力」は「報い」によって解消されてしまう。さらに、その「報い」が「金銭」であるともっと惨めだ。金銭は客観的な比較基準になるので*1、必然的にその努力は相対性に巻き込まれてしまう。他人との比較によって、その価値が測られてしまう。ハンディキャップがあるだのなんだのといった個人個人の前提条件は一切お構いなしに、残酷に、冷酷に。自分が成した努力は、自分の手から離れて、自分の手の届かない所で秤にかけられてしまう。

だから、努力は必ずしも報われなくていい。

努力は、自分が納得するためのものでいい。

ひけらかす必要もないし、評価される必要もない。ただ、アウトプットだけが評価されればよい。そうすれば、その努力は誰のものでもなく、誰のものとも比較されない、自分だけのものになる。もし結果的に努力が報われたら、それはそれでラッキーなのだ。たぶん、それが自分の努力を評価するもっとも幸せなやり方だと思う。