だるろぐ

明日できることは、今日しない。

『こころ』

こころ (ちくま文庫)

こころ (ちくま文庫)

明屋書店に寄ったはいいが、ほしいものがない。とはいえ何も買わずに帰るというのも癪だったので、たまには小説でも読むかと買って帰った。注釈は親切だけど、付属の解説などはさして面白くなかったので、よい子のみんなは青空文庫とかで買えば要らざる出費をせずに済む。とはいえ、個人的には紙の本の方が好きだ。残りの量を探りながらページを繰る感覚は残したいし、その気になればこの程度の金額(ちなみに400円ほど)をそういう“文化”に投資するのを惜しむべきではないと感じる。

本書の内容については、少し気の利いた人であれば誰でも知ってるだろうので割愛する。簡単にまとめれば、必殺の呪文「精神的に向上心のない者はばかだ」(SKB)で恋敵の親友を抹殺した術者が反動効果<カウンターエフェクト>で死ぬという話だ。呪文の元ネタは自殺した当の親友というなのだから、あまり救われない話と言える。

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実はこの本、中学生の頃だろうか、読んだことがある。中学二年生という生き物は、得てして太宰治やら志賀直哉やらを読み漁り、それでいっぱしの人間になったような気になるものだ。ましてや、『猫』や『坊ちゃん』のようなライトノベルを読んだだけで夏目漱石を語るわけにはいくまい。おそらくそんなことを考えながら『こころ』を手に取ったのだろう。

しかし、すべては読み切らなかった。第一部には読み覚えがあるので、きっとそこまでは読んだのだろう。しかし、思わせぶりな書きぶりが延々と続くことに辟易としたのだろう、その先は開拓されないままになっていた。

それから20年ほど経ってまた『こころ』を手に取ってみたのだが、妙な引力のある話だと思った。かつては思わせぶりとしか思えなかった迂遠なやりとりに、なぜか引き込まれてしまう。自分は一部と二部をペロッと読んだあと、少し時間を空けて三部を一気に読んだが、それはけっして飽きたからというのではなく、細切れの時間に読書して途中で本を伏せる羽目になるのを恐れたからだ。いつものように酒を入れながら読む気になれなかったので、素面の機会をうかがっていたというのもある。

自分は作中の人物のように、「金」で自分を見失ったり、「恋」で道を踏み外した経験はない。月に何千万円を扱いながら文字通り“食べる物にもこと欠くあり様”を経験したけど、手を付けようとは一瞬も思わなかった。「恋」に関しては極度に憶病――これは自分に金銭や社会的地位がなく、自分では自分に満足していたものの、他人に積極的にお勧めできる“優良物件”ではないという自覚があったからだが――で、幸いなことに修羅場を経験せずに済んだ。誰かを独占したいと思ったことがないわけではないが、他人を押しのけてまで行動するほどの激情をもつに至ったことはない。

ただ、劇的な場面に遭ってなにもできなかった苦い思い出だけはある。

大学に進んで書生のような身分を謳歌するものは誰しも、自分は自分なりに鍛錬や修練を積んでおり、いざ事が起こればそれなりに働けるものだと妄想するのではないだろうか。矢弾飛び交う戦場に放り込まれても先頭に立って戦うさま、磨き上げた知性が圧倒的な不合理をも鋭く切り裂くさま、ドロドロとしたオトナの権力闘争の中でも独り清廉な人格を保つさまなどを妄想するのではないだろうか(異世界ハーレムで俺Tueee!を妄想するのでも一向にかまわないよ)。自分がまだ何もなさざる人間なのは、自らが利器たるを証明するための機会がないだけ。いざ盤根錯節に遭えば、見事両断してくれようと。

そこまで大袈裟ではなくても、事故を目の当たりにすれば義侠心や義務感が内から湧き上がってきて、適切な行動ができるぐらいには考えているだろう。気が動転して右往左往するだけの愚民ではないぞ、と。

具体的になにがあったかを書くのは、今はよそうと思う。自分にも“先生”のような自由が訪れたら、それを長い長い手紙にしたためてもよいかもしれない。まぁ、出す相手がいるかどうかは別として。

ともあれ、そんなわけで“K”が SKB に倒れた心持ちに関しては、少しだけ同感がある。

中学の頃では、なぜ彼が死を選んだか(選ばなければならなかったのか)までは理解も想像もしえなかっただろう。今でも「それは死ぬほどのことか?」と思わんでもない。しかし、“倫理”と生きていたと自負する人間にとって、なにかでそれをスパっと折られるのはなににも代えがたい苦痛なのだ。それまでは下らないと歯牙にもかけなかったことにやられたのならばなおのことだ。自分だって死にこそしなかったが、折れたものを継ぐのに大層時間を要したように思う。

けれども、なにも気づかずに歳を食ってしまうことを思えば、それは大変幸せなことなのだ。またいつかバッサリやられるのではないかという怖れと付き合いながらも、それがない生き方を思えばずっとマシだと思える。自分が傷つくのは癒せば済むが、誰かを犠牲にしてしまえば、それは一生取り返しのつかないのだから。無論、自分の死をもってしてでも。後払いが効かないのであれば、前払いしてしまうにしくはないだろう。

最後に、もう一つ感じたのは“明治”という時代性に関してだった。“明治”が終わることの重さというのは、なんとなく羨ましく感じる。

“昭和”に殉ずる者などいないのは、それが長すぎるエピローグをもった悲劇だからだ。あの時代では、ドラマで役が与えられた人間と、終幕で退場しそこなった人間と、劇の筋書きにケチを付けながら延々とその場に居座る観客にわかれていた。殉ずるなら敗戦のタイミングであって、先帝の崩御のときではない。

それに比べ、“明治”のあの一体感! 『こころ』では“明治”と終わりを共にする人たちが描かれているが(主題ではなかろうが)、それを眺めながら“平成”はどうだったのだろうとか、これから先、自分たちは時代を一体に感じる機会を得られるのだろうかなどと思った。それが幸せなことなのかどうかは知らんが、“自由”の代わりに失った時代性というものに少し羨ましさを感じる。どうせ押しつぶされるであろうのに過大な盤根錯節を思うのは、まだ書生気分が抜けていないということなのか。

追伸

面白かったけれど、やっぱり小説は嫌いなので、当分は読まないようにする。

最近読んだ本:『図説 金の文化史』『人はどのように鉄を作ってきたか』『鉄を生みだした帝国』

『図説 金の文化史』

貨幣を追ううちに、その素材であった金属にも興味が出た時期があって、その時に買い込んだまま積んであったのを読み終えた。

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(ちなみに、この『銀の世界史』はイマイチだった)

これを読んだからと言って何か本質的な理解が進んだような気はまったくしないんだが*1、とにかく金に関する雑学が博覧強記な感じ。よくもまぁ、洋の東西を問わずいろいろ知ってんなーと思った*2

図版もキレいで、本棚に並べてたまに眺めて遊ぶ本かな。読み終えた後、もう一回図版に目を通して、大まかにラインナップを再確認しておいた。他の本で言及されてた時に「どんなんだっけ」って振り替えられるように。

図説 金の文化史

図説 金の文化史

  • 作者: レベッカゾラック,ジュニア,マイケル・W.フィリップス,Rebecca Zorach,Jr.,Michael W. Phillips,高尾菜つこ
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2016/11/11
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る

『人はどのように鉄を作ってきたか』

内容的にはこっちの方がだいぶ面白かった。あらかじめ期待して買ったわけではないが、たたら製鉄についてが大変詳しい(もちろん、ほかの製鉄方法についても詳しい)。

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そもそも“たたら”って言われてももけもけ姫しか思いつかんのだけど……(ぉ

日本のたたら炉の立地条件は、原材料産地に近くて運搬の便が良く、賃米である米が安価であることである。

たたら製鉄では、「砂鉄七里に炭三里」と言われるように、かさ張る木炭の運搬が重要

鑪(たたら)炉自体は水、湿りを嫌うが、鑪場としては水が引きやすくかつその量も多い

一段と高い土地がよく、谷に鉄滓を捨てやすい場所がよい

水力を利用するために「製鐵場を選定すべき位置は水利の便あり」としている。

たたらに適している風を「かたい風」と言い、「湿気のない風、乾燥した風、冷たい風、谷の風」である。砂鉄の最終的水洗による比重選鉱を行い、水車動力を使うためには「水利の便」が重要であるが、堀江村下(註:引用論文の著者)はさらに炉の温度を上げるためには「乾燥した風」が重要

よく勉強して絵を作ってるんだな、とちょっと感心した。割とピッタリじゃない?(風についての描写はそれほどでもないかもだけど)

そもそも日本で“たたら”という独自の製鉄方法が発展したのは、大陸で採れる赤鉄鉱石が火山国ゆえ欠けており、砂鉄に頼らざるを得なかったかららしい。赤鉄鉱石は800度で還元するが、砂鉄は1000度を要する。その分、技術的なハードルは高かったが、“玉鋼”と呼ばれる優秀な鋼を得ることができた。

面白いのはスウェーデンでは湖の底から鉄鉱石が定期的に“沸く”らしい。スウェーデンは7世紀頃、すでに鉄をもたらす国「ヤンバラランド(Jarnbaraland)」と呼ばれており、農民が炉を構えて製鉄を行っていた。これは“たたら”と同様、近代製鉄に駆逐される19世紀辺りまで続いていたのだそうな。

あと、炭素含有量と硬さの関係は知ってた気がするけど、融点が変わるのは知らなかったかもしれない(多いほど融点は下がる。金属というのは不純物が含まれるとだいたい下がるっぽいけど、文系人間なのでよく知らん)。炭素をはじめ、混合によって性質が変わることは人間の歴史にとっていろいろ絶妙だったのがわかった。

面白かったので、鉄の性質と歴史は別の機会にまとめなおそうかと思う。

『鉄を生みだした帝国』

『人はどのように鉄を作ってきたか』で興味をもったので取り寄せたけど、絶版っぽくて古本しかなかった。安かったからいいけど。

予想に反して物語チックだったけど、それはそれで面白い感じ。トルコ語がわかんない状態でアンカラの大学に飛び込み、ヒッタイト語と考古学を学びながら、製鉄のふるさとを見つける……みたいな。古代名の比定はツッコみ役の親友ならずとも「それでいいんかなー」と思わんでもないが、ロマン満載で楽しかった。鉄を生み出したプロト・ヒッタイトの人たちは、案外ヒッタイトに大事にされたのかもしれんな。

副次的作用として、アナトリアの地形がなんとなくわかるようになった。

鉄を生みだした帝国―ヒッタイト発掘 (NHKブックス 391)

鉄を生みだした帝国―ヒッタイト発掘 (NHKブックス 391)

*1:そういうのを意図してないっぽいことは書いてあるから期待しても仕方がない

*2:とはいえ、日本の知識は怪しいところがあったから気を付けた方がいい部分もありそう

最近読んだ本:『アレクサンドロスの征服と神話』『シルクロードと唐帝国』『世界の文字の図典』『大山祇神社略史』

『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』

最近はあんまりパワーがなくて、アリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』なども積んだままにしてる。――というわけで、まずはリハビリでもしようかと読んでみた。

内容は……普通に面白かった(パワーレス

興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 (講談社学術文庫)

『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』

『アレクサンドロスの征服と神話』を呼んだたら“おすすめ”に出てきたので惰性で注文した。

まず、序文が鬱陶しかった。西洋中心史観を批判するのはまぁ、いいとして、現在の日本の外交観が……“敗戦を拗らせた”感じで鼻につく。同意するところも少なくないんだが、そういうのは自分のブログや Twitter でやっときゃいいわけで。自分はこの本に『シルクロードと唐帝国』しか期待してないんだから、それに応えてくれれば十分、それ以上は蛇足なんだ。あと、学説の縄張り意識の強さも感じた。もっとも、これは学者としてのガッツの源でもあろうし、学者という人は多かれ少なかれそういうものだから*1仕方ないかなって思った。

内容は……なるほどと頷かされるところが少なからずあって、読んでよかったと思う。「唐≒拓跋<タグバチ>」ととらえてユーラシアを俯瞰すると、この時代の歴史が全然異なって見えてくるな。

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(少し下った時代の概念図だけど、こうやって見ると「タグバチ」みたいに書き加えてあっても違和感ないよね)

唐という王朝も、ユーラシアにおける合従連衡の一つの駒としてみると、いろんなことが繋がってくる感じがある。まぁ、個人的には「江南はオマケなの?」ってところが気になったりもするけど。「征服王朝っていったいなんだったんだ?」とか。

シルクロード≒絹の道だけじゃないよっていう史観も今では割と当たり前かなって思うけど(海の道、草原の道っていう見方も今では習うよね)、この方が広めたのかな。シルクロード → 西域 → ロマン! っていう歴史の見方に飽き足らない人はぜひ読むべきだと思う。とくに奴隷交易については見逃されがちな視点なんじゃないだろうか。

興亡の世界史 シルクロードと唐帝国 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 シルクロードと唐帝国 (講談社学術文庫)

『世界の文字の図典 普及版』

松山のジュンク堂で衝動買いしたけど、たまにチラチラみてる。『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』を読んだときも、「ソグド文字ってなんだろ」って思ってすぐに参照できるのがいいわな*2。普及版だけど、そういった軽い用途であればそんなに不足を感じないと思う。

あんまり関係ないけど、音符まで載ってて「あ、そうか、これも文字と言えば文字かー」なんて気付かされるなど。自分の頭が固すぎるだけかもだけど、そういう発見もある。

世界の文字の図典 普及版

世界の文字の図典 普及版

『大山祇神社略史』

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大山祇神社の宝物館で3,000円ぐらいで買った。あんまり期待せずにペラペラめくって読んでたけど、割と面白かった。全国の大山積・三島社の分布統計とか、神仏習合の話、「白鷺」と「うなぎ」の神使、参拝した帝国海軍の軍人の一覧(あー、だから絵を飾ってたんだなーみたいな)、そして国宝・重文てんこ盛りの国宝館の建設まで……そういうのをサラッと解説してくれてるので、ぼーっとお参りして終わりにしたくない人にはぜひぜひ。

巻末の付録に文書が収録されてるのいいね。

*1:この点では役人と親和性があるのだけど、進取性という点では水と油なんだな。もっとも役人臭い保守的・訓詁学的な学者や、学者だけど安定して暮らしたいから役所を選ぶ人もいる

*2:さっき書き忘れたけど、あの時代はほんまソグド人の時代と言っても過言ではないな。ソグド人の重要性はわきまえてたつもりだが、もうちょっと自分の中で重りを加えてあげようと思った

『興亡の世界史 通商国家カルタゴ』

前回はハンニバルの本を読んだけど、今回はカルタゴの本を読んだ。

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カルタゴというのは、むかしフェニキア人アフリカに建てた都市国家。この“アフリカ”というのは、現在のチュニジアの辺りを指す。“アシア(アジア)”がかつて、現在のトルコの辺りのことだった(小アジア)と似ているかもしれない。

ちなみに、カルタゴという名前は、もともとカルト・ハダシュト(新しい街)だったらしい。んじゃ、カルタゴ・ノウァ(のちにイベリアに建設された“新・カルタゴ”市)は、“新しい新しい街”になるな。めっちゃ新しい感じある。

この“新しい街”の物語は、ティロスの王女・ディドを襲った悲劇から始まる。ディドは叔父のシュカイオスと結ばれ、テュロス市の主神・メルカルト神に巫女として仕えていた。しかし、父が亡くなると、兄と叔父の間で財産争いが勃発。シュカイオスは兄に殺されてしまう。

そこで、ディドは供廻りとともに帆を張り、ティロスから西へ向けて旅立つことになった。途中、女神アシュタルテ(アフロディテ)の島・キプロスなどに寄港しながら、ディドたちはアフリカの地に降り立つ。しかし、そこはイアルバースという名の王が治める土地だった。

ディドはイアルバースに土地の割譲を求めた。「私と供廻りが住むに足る土地を分けてほしい」。イアルバースは応える。「一頭の牛の皮で覆える程度ならよろしい」。そこでディドは牛の皮を割き、細長い帯を作り、2つの内海を望む丘を囲んだ。これがのちのビュルサの丘、カルタゴの心臓部になったという。丘から望める2つの内海は、一つは商港、一つは軍港として用いられるようになった。

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(中央のなにもないところがビュルサの丘かな。手前の2つの湖が旧商港・軍港)

ちなみに、ディドはイアルバースの求婚から逃れるために、自殺したという。ローマの建国神話では、カルタゴに立ち寄ったアエネイスに惚れたものの(アフロディテの差し金)、振られた(ユピテルの差し金)ので自決したとされている。どちらでも火葬の火に自らを投じるというドラマティックな死に方だったそうだが、これはメルカルト信仰と関係があるみたい。どちらにしろ、フェニキア人(ギリシア人による呼び名はポイニケー、ラテン語でポエニ人)の宗教は他の民族から異質なものと思われていたらしい。真実は明らかではないが、幼児を生け贄に捧げる儀式があったとも言われている。

カルタゴ人はギリシア人と地中海を分け合う存在であったにもかかわらず、その歴史はわからないところが多い。ローマに滅ぼされて塩を撒かれたとき、文献の多くが失われたようだ。そもそも、商売に精を出すのが好きで、歴史を書くことにそれほど興味を持たなかったのかもしれない。

本書は二人の研究者が失われたティロス、カルタゴの歴史を丹念に追っている。自分が世界史を習った頃、フェニキアといえばシドン、ティルスといった都市国家を築いたこと*1、アルファベットの原型を生んだこと、カルタゴやガデスを建設して西地中海を支配したことぐらいだったように思う。地中海の貿易の流れや、サラミスの海戦の裏で行われたヒメラの戦い、ポエニ戦争前史としてのシチリア、南イタリアとの関係についてまとまった知識が得られたのは、本書のおかげだ。

そして、クライマックスの“カルタゴ帝国 vs ローマ連邦”。事実が並べられているだけで、とくに抒情的な表現はないのに、カルタゴが滅びるくだりでは、少し胸が熱くなった。スキピオ・アエミリアヌスの慨嘆がオーバーラップしたせいかもしれない。結局のところ、なぜカルタゴがあれほどまでにローマの憎しみや妬みを買ったのかは理解できなかったが、なぜカルタゴがローマに敗れたのかはよくわかった気がする。ハンニバルはローマ連邦の解体に失敗し、かえって帝国への道を用意してしまったのかもしれない。

ただ、カルタゴ人は名前のレパートリーが少なすぎて、困った。ハンノ、マゴ、ハミルカル、ボミルカル、ハンニバル、ハシュドルバル……ぐらいしかねえ!!*2 巻末に名前のレパートリーがまとめられているのは大変親切で助かった……電子書籍だとそれに気づきにくいのがもったいないけど*3

興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)

興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)

*1:関係ないけど、フェニキア人はヴェネツィアみたいな島立地に都市を建てるのが好きだったようだ。ハンノの航海といい、フェニキア人とヴェネツィア人はよく似ていると感じた

*2:バルで終わるのはフェニキアの主神・バールと関係があるみたい

*3:紙の本ならば、自分は解説と索引、付録のページに折り目を付けて読む癖があるので、この便利なページにいち早く気付くことができたはずだ

『ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて』

ハンニバル  地中海世界の覇権をかけて (講談社学術文庫)

ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて (講談社学術文庫)

最近はなぜか本を読む気になれないので、軽いのを Kindle でチビチビ読んでる。

この本は古いものを講談社学術文庫に収録しなおしたもののようで、「政治家としてのハンニバル」にスポットを当てるという姿勢は、今ではそれほど目新しいものではなくなってると思う(マンガとかは知らん)。つまり、本書の目的は割かし達成されているわけで(すばらしい!)、今回はその復習となった。

個人的には、ハンニバルの脳裏に描かれていたであろう“世界地図”に興味が湧いたかな。アレクサンドロスは頭の中の真っ白な“世界地図”を埋めたくて東方へ遠征した感じだけど、ハンニバルにはすでに明確な“世界地図”があって、ちゃんとローマのポテンシャルを図った上で緻密な計画を立て(限度はあったろうが)、信念をもってそれを実行した感じ。アルプス越えもそうだけど、マケドニアとの同盟なんかをみても、ちゃんと頭に“世界地図”がある。それに比べると、当時のローマはまだまだ田舎の強豪国に過ぎなかった。――その眠りを覚まさせてしまったのが、ハンニバル、というか、カルタゴとの邂逅なのだけど*1

結局、大局観に恵まれたハンニバルをもってしても、相手のあること、かならずしもうまくいったとは言えない。けれど、戦術・戦略・政治が高いレベルでバランスした東大随一の人物なのは伺える。悲しいかな、人材に恵まれなかったみたいだけど、それはカルタゴの国制にも問題があることで、彼個人だけを責めるのは酷というものだ。

それはさておき、本書を読んでいたらハンニバルそのものよりも、セム民族とカルタゴ市のほうに興味が湧いてきた。日本人はユダヤ問題に疎いところがあるけれど、彼らを知ることは、それを実感として理解するのに役立つかもしれない。同じセム系だしね。ユダヤ人がグローバルに活躍しつつもどこか異質なように*2、ハンニバルとカルタゴもヘレニズムの一部でありながら、異質なところを多く持っていた。ハンニバルの後半人生の不遇も、ヘレニズム世界の教養を身に着けつてはいるが、どこか異質なところに原因があったのかもって勝手に想像した。

そういうところをちょっと深掘りしたいというか、触れてみたい感じがある。

*1:ローマとカルタゴの付き合い自体は、ローマの建国にまでさかのぼることができるから浅いわけではないが

*2:この異質っていう部分に、僕らは鈍感なのだけど

最近読んだ本:『スキタイと匈奴』『ケルトの水脈』『トロイア戦争全史』『経済学と倫理学』

今月は身内に不幸があって、本は少し読んだけど、ブログに書く気が起こらなかった(あまり考え事をしたくないときは、プログラミングのようなロジカルなことをしている方が楽しく、憂さが晴れるようだ)。とはいえ、何も書かないのもあとで振り返るときにアレなので。

興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明 (講談社学術文庫)

遊牧民の歴史を考古学的成果(+文献研究)を元に俯瞰した感じ。『歴史』を読んだあとだったので、とくにスキタイの部分は知識を整理するのに役立った。

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アタイアス王のイメージがちょっと変わったのだけど、それはまた今度。

興亡の世界史 ケルトの水脈 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 ケルトの水脈 (講談社学術文庫)

ケルト文明の話。なんか世界史で触れるガリア(ケルト)とアイルランドあたりのケルトが繋がらんなーというのは前々から薄々思っていたのだけど、そこら辺をクリアにしてくれる本。ちょっとブルターニュ半島(アルモリカ)の考古学っぽい話の比重が大きすぎた気もするけど。

トロイア戦争全史 (講談社学術文庫)

トロイア戦争全史 (講談社学術文庫)

ペロッと読めて面白かった。個別の話は有名で、自分でも知っているものばかりだったけど、こうやって繋げて読んだのは初めてかもしれない。

登場人物のイメージ

  • アガメムノン:もうちょい器量あってもええやろ
  • メネラオス:お兄ちゃんに頼りすぎ
  • アキレウス:まさにこれ「人間だけを殺す機械かよ!?」

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  • ヘクトル:一番好き。死んじゃったときは悲しかった
  • パリス:ヘタレなのに弓は上手いんだな
  • プリアモス:子ども殺されすぎて可哀そう……
  • オデュッセウス:いくら頭がよくても、仲間をハメ殺しにするヤツは好きになれない
  • ネストル:俺の好み系のジジイ
  • 大アイアース:器量狭すぎ
  • 小アイアース:ほんとこいつは……
  • クリュタイムネーストラー:何回読んでも名前が覚えられん
  • アイネイアス:トロイア側では使える方だけど、イマイチな活躍だったので『アエネーイス』読む
  • サルペドンとグラウコス:俺はトロイア派だと思った
  • 神さまたち:人間のやることに口を挟みすぎだし!

あと、地理の表現がなんとなくわかりやすかったのが印象的。ギリシア史関連の本は何冊か読んだけど、地理的なイメージを植え付けようとする表現にはあまり出会わなかった気がする。

アマルティア・セン講義 経済学と倫理学 (ちくま学芸文庫)

アマルティア・セン講義 経済学と倫理学 (ちくま学芸文庫)

思ったより薄かった。センの思想のエッセンスって感じで、とくに新しい知見なかったけど、脳みそが少し整理された気がする。

『ヘロドトス 歴史 下』

岩波文庫の上中下三巻をやっとこさ読み終えた……

歴史 下 (岩波文庫 青 405-3)

歴史 下 (岩波文庫 青 405-3)

……んだけど、上中巻に比べるとあまりピンとくるエピソードがなくて、なかなか読み進まなかった。

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下巻の俺的ハイライトは、ペルシアの大軍が行く先々の川の水を飲み干しちゃうところ。あと、諸国の軍を列挙する描写がなんとなく熱い。ペルシア帝国万歳(/・ω・)/

――とまぁ、そんなわけで、ギリシャの話よりもエジプトやペルシアの話の方がなんとなく自分の興味に合うみたい。すまんな、ヘロドトス。ポリス同士の政治関係(プラタイアとテーバイは、大阪と堺みたいに仲が悪いとか)がもっとよくわかればすんなり読めるのにな。

強いて言えば、ハルカリナッソスのアルテミシアはちょっと魅力的な人物かもしれない。

クセルクセスの

「わが軍の男はみな女となり、 女が男になったのじゃな。」

みたいなセリフも味があっていい。

とりあえず、もうちょいギリシアのことがわかったら、また再挑戦するわ。

それにしても、終わり方が微妙というか、「ぇ、そんなクッソ後味の悪い話で終わりなの?」みたいな。自分はてっきり「ペルシア倒したぜ! ギリシャ万歳(/・ω・)/」って感じの終わり方をするんだと思ってたからちょっと拍子抜け。哲学では西洋に分があるけど、歴史に対する態度は東洋(というか中国)の方が勝ってる気がする。そう決めつけるのは、トゥキディデスを読んでからでも遅くないかなって気もしないでもないけどね。

脚注

最初は Android の Kindle アプリで読んでいたんだが、脚注が巻末へのリンクになっていて、行ったり戻ったり面倒くさかった。でも、電子書籍リーダーだと、

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画面下にピョコって出る仕組みになっていて、とてもよかった。アプリ版もこうしてくれていればいいのに。

地図

読書地図帳 ヘロドトス「歴史」

読書地図帳 ヘロドトス「歴史」

読書の助けのために地図も買った。ハードカバーなんだけど、中身はほぼ目次で、ディスクの中身が本体というのがちょっと面白い。全部物故抜いて、OneDrive にコピーして持ち歩いている。本とディスクにはもう用がないので、古本屋で売っちゃってもいいんだが、著者に還元されないのもなんなので(重版されない限り還元はないだろうが)、とりあえず手元に置いてある。

PDF だと読むの面倒くさいので、デカい紙に印刷して読みたい感じ。

『日本語全史』

日本語全史 (ちくま新書)

日本語全史 (ちくま新書)

この前読んだ英語の歴史の本が割と面白かったので、今度は日本語の歴史の本を読んでみようと思い、Kindle で購入。この前の東京行の間に読んだ。

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関係ないけど、飛行機のプレミアムクラスは読書に最適な空間だ。まず、ネットが使えないから読書するしかない。シートは広く、リクライニングも自在。客層がよく喧騒に巻き込まれることがないのも快適だし、しかもきれいなアテンダントさんがあれこれ世話を焼いてくれる。まさに読書に集中しろって感じの空間だ。あとは、ノイズキャンセリングヘッドフォンがあれば最高やな。ワイヤレスのやつを今度買おう。

話がだいぶそれた。

日本語の全史を一冊でたどる初めての新書。日本語の変遷を古代(前期・後期)/中世(前期・後期)/近世/近代という時代ごとに、総説・文字・音韻・語彙・文法の五つに分けて整理していく。日本語は世界の言語の中でも比較的、古代からの変遷が少ない。であればこそ、現代語との関わりのなかで、日本語史を記述していくことが可能となるのだ。日本語の変遷の全体像がわかるだけでなく、現代の一部の慣用表現や方言などに残る過去の日本語の痕跡をたどっていく謎解きとしても楽しめる一冊。

内容は自分で読めばいいと思うので、深くは紹介しないけれど、割と知らないことが多くてビックリした。

たとえば「日本語には本来、接続詞はなかった」らしい。和漢混交文を使うようになり、必要に迫られて発生したんだな。和歌で接続詞はあまり使わないというのも、指摘されて初めて気が付いた。それ以外にも、漢語の影響は大きい。音読み・訓読み、ルビ、語彙の借入と造語(輸入一辺倒ではなく輸出もしている)などなど……まぁ、この辺りはさんざん言われていることで復習って感じだけど、「餃子(ギョーザ)や焼売(シュウマイ)は読める」ってのも改めて指摘されると面白くない?

あと、発音の歴史的変遷も興味深い。

まず、音韻体系の違いを乗り越えて、日本人がどのように漢音・呉音・唐音を受容してきたのか。中国における漢字の発音は時代とともに変化しているので、日本語の読みはその“化石”資料としても使える。

むかしこんな動画をニコニコ動画で観たのだけど(好きだけど、正しいかどうかは知らない)、上代特殊仮名遣いや音韻に詳しい本があったら読んでみたいかな。

一方、日本語の発音・綴りも、時代により変化している。たとえば、日本語にはもともと濁音が語頭にこないという法則があった。それが平安時代になると次第に、語頭の濁音が増えてくる。抱く(いだく → だく)、出る(いでる → でる)、何れ(いづれ → どれ)など。その濁音も割と最近までは、前に[n]や[m]を伴う鼻濁音であったらしい。侍り(はむべり)、自然(しんぜん)、彼岸(ひんがん)など。古代におけるサ行は拗音(シャ、シィ、シュ、シェ、ショ)だったらしいが、漢字音との出会いで次第に直音(サ・シ・ス・セ・ソ)に整理されていった。……ちゃんと五十音通り発音しているかどうかは別として、頭の中では。

そもそも、僕らが習う五十音は、きっちり体系化されていない。たとえば、戦国時代に来日した宣教師たちには五十音がこんな感じに聞こえたようだ(拗音は除いてある)。

a	i,y	u,v	ye	uo,vo
ca	qi	cu	qe	co
sa	xi	su	xe	so
ta	chi	tcu	te	to
na	ni	nu	ne	no
ma	mi	mu	me	mo
fa	fi	hu	fe	fo
ma	mi	mu	me	mo
ya		yu		yo
ra	ri	ru	re	ro
ua,va

ga	gui	gu	gue	go
za	ji	zu	je	zo
da	gi	zu	de	do
ba	bi	bu	be	bo
pa	pi	pu	pe	po

整然と――と呼ぶにはあまりにも混乱していると思う。自分はこれに気付いたのは大学でフランス語を学んでいるときで、自分が[す]だと思って発音していた音が[su]ではなかったと悟ったときは軽いショックだった(日頃「~です」は「~des」っぽく発音してるはず)。日本人が英語の発音を苦手としているのも、案外「自分たちがどう発音しているのか知らない」ことにあるのではないか。僕たちは発音を頭の中で勝手に“丸めて”文字に転記している(これは日本語だけではないのかもしれないが)。はひふへほで[ふ]だけは「h」ではないが(これは古代の発音が ふぁふぃふふぇふぉ っぽかった名残らしい?)、脳みその中では[f]に整理されてしまっている。

これはある意味、重大な問題だ。

たとえば、日本では明治時代から国語をローマ字表記にしようという動きが散発しているが、そもそも自分たちがどう発音しているかもよく知らないでどうローマ字に転写するのだろう。訓令式とヘボン式、どちらにするかでは済まない問題だと思うのだが。

ローマ字表記がかならずしも日本語の発音を表していないという問題は、観光客向けの地名案内をどう表記するかという問題にもかかわっている。試しに適当な地名を(日本式のローマ字綴りを知らない)外国人に伝えて、それをローマ字に綴ってもらってみてはどうか。たぶん、僕たちの綴りとかなり違うのではないだろうか。周防町は本当に「suoumachi」だろうか。自分はかなり怪しいもんだと思う。

また話がそれた。

そもそも五十音の段がアイウエオ順に固定されたのは十二世紀初めから。それまではいろんな並び方があった。行がアカサタナ順になったのはさらにおくれて十三世紀後半からで、現行の状態に定着するようになったのは十七世紀に入ってから。もちろん、それまで辞書の言葉はアイウエオ・アカサタナ順じゃなかった。そういう話も面白いと思う。最初にアイウエオ順で辞書を作った人、あったまいい!

別にこの本を読んでも日本語がうまく話せたり、うまく書けるようになることはない。でも、学生の頃、古文や漢文、国文法に飽いたとき、こういう知識があれば苦しみが少しは緩和されたんじゃないかなぁ、と思った。

『宦官―側近政治の構造』

宦官(かんがん)―側近政治の構造 (中公新書)

宦官(かんがん)―側近政治の構造 (中公新書)

東京へ行っている間、暇つぶしに Kindle で読んだ。宦官といえば、中学の時に学校の図書館で“最後の宦官”の写真をみたのを今でも覚えている(きっとその界隈では有名な本なのだろう、そのあとも2度ほど違うところで見かけた)。宦官≒歴史的存在だと思っちゃいがちだけど、つい何十年か前までは、実際に生きていたんだよなぁ。

さてさて。

宦官(かんがん)というのは、チンコを切ったヒトのこと。なぜわざわざチンコを切るようになったのかは定かではないが、その歴史は紀元前8世紀ごろにまで遡ることができるという。たとえば東洋では周王朝の制度に組み込まれていた――「王宮每門四人,囿游亦如之」(『周礼』)。西洋では古代アッシリアの伝説上の女王セミラミスが始めたとされているという。

漢語では閹人(えんじん)寺人(じじん)などとも呼ばれるが、刑罰(宮刑だの、腐刑だのという)によりその身に堕ちることが多かった(司馬遷は有名な例)。しかし、単に去勢したものは浄人(穢れのない身)とも呼ぶように、必ずしも負のイメージのみで語られるべきものではない。

それ生れながらの閹人あり、人にせられたる閹人あり、また天国のために自らなりたる閹人あり、これを受け容れうる者は受け容るべし

――『マタイ伝』

つまり、性欲を断つために自ら去勢することもあった(自宮という)。そうした人間は、ときにさまざまなことに才能を発揮する(紙を発明した蔡倫なんかもそんな宦官の一人かもしれない)。

まぁ、その過程はともかく、宦官はチンコをもたない。ゆえに婦人に邪な欲望を抱かず、姫妾の世話などに重宝された。また、係累をもたないゆえか忠誠心の高いものが少なくなく、やがて王宮の守護、皇帝の秘書などとしても信任されるようになった。

宦官はペルシア人の風習――彼らは普通の人間より宦官の方がはるかに信頼に値する――(宦官は)君主が臣下を制することをねらってもうけた神秘的な距離の役割をする。

――ヘロドトス

すべての臣下たちは例外なく家庭があり、当然おのれの子孫のことを考えている。だから、すべてをなげうって君主のためにつくすことができるはずがない。されば、ただ日夜したしむ宦官だけがまかしうる唯一のものである。

――南漢(10世紀広南にあった国)の君主

しかし、これがのちの宦官の専横を招くことになるのだが。専制君主国家にとって「執務をだれに、どれだけ任せるか」は常に問題だったが、皇后(呂后・則天武后など、女性が朝を牛耳ろうとした例は少なくない)、外戚、有力貴族(清流官僚)との権力争いの中、宦官はときに利益を享受し、ときに犠牲になった。

本書で面白かったのは、宦官の供給源の変遷*1や、切り取った後のチンコの話*2。明では宦官しか火器を扱うことが許されず、戦時には宦官が出動したというのは知らない史実だった。

ただ、歴史の概説は教科書的で冗長、あんまり面白くなかった(ところどころおかしい気もした)。初めて触れる人には興味深いかもしれないけれど、細かいところは端折って、エピソードを増やした方がいいかなって感じたかも。

あと、著者の最後の言葉は不気味だった。

権力に直属しながら、今日的な秘書ではなく、単なる「取巻き」として、権力者に的確な情報を伝える能力を欠いた側近が流す害毒が、企業にとって、国家にとっていかに大きいかは言うまでもない。

このように見てくると、権力に直属し情報を独占する側近グループ、この組織としての宦官的存在は、現代においても無縁のものではないと言えよう。

少しく牽強附会に過ぎたかもしれないが、読者のなかには、自分の周りを見まわして、あるいは思いあたるふしのある方もあろうかとひそかに筆者は思っている。

チンコのある宦官が跋扈してるところは少なくないのかもしれない。宦官的なポジションはチンコのあるなしではなく、組織の構造が生むものだから。

*1:当初は異民族制服を誇示するためのもので、残虐性と宗教性の表れだった。唐では税として宦官を辺境地方から“徴収”し、明清代では立身の一方便として自主的な“供給”が行われた

*2:盗まれたりしたらしいぞ! ビックリだな!

『中世 瀬戸内海の旅人たち』

中世 瀬戸内海の旅人たち (歴史文化ライブラリー)

中世 瀬戸内海の旅人たち (歴史文化ライブラリー)

せっかく愛媛にきたんだし、愛媛の歴史を少しは勉強するか―と思ってたら、いつのまにか中世海賊の話にのめり込んでしまっていたでござる……という読書遍歴も割と大詰めかなって感じ。いろいろ読んで多少イメージはできてきたが、今回の『中世 瀬戸内海の旅人たち』でとりあえずの区切りにしたいかな。

blog.daruyanagi.jp

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本書のメインターゲットは、海賊ではなく、瀬戸内の航路とか港とか。歴史上の人物の日記なんかを頼りに、当時の瀬戸内海の海運事情を浮き彫りにしてみましたよーって感じの内容だった。

  • 高倉院の厳島参詣
  • 足利義満の西国遊覧
  • 宣教師たちの船旅
  • 島津家久の伊勢参り
  • 島津義弘の上洛

ちょっと時代を外すけど、参勤交代の船旅なんかもあったらよかったかな。それはまた別の本をあたるか。大航海時代なんかに比べるとスケールは小さいけど、地味な技術改善や航路開拓などにより、時代によって少しずつ“海の道”が変わってるのはちょっと面白いかも。

  • 古代から中世にかけて:山陽沿岸コース
  • 室町以降:防予諸島を抜けるコース

播磨灘や伊予灘って、“灘”ってつくぐらいだから難所なんだろうけど、今の船舶技術だとそれを実感することあまりないし(そもそも昔みたいにしょっちゅう寄港しないしなぁ)、こういう本を頼らないと、“海の道”のイメージって沸きにくい。また、政治的状況に左右されやすく、容易につけ変わっちゃうのも“陸の道”とは少し違うところかもね。

あと知ってる地名がいろいろ出てくるのも楽しいよね(近所でいえば、堀江とか三津とか)。新しく覚えた地名なんかもあって(覚えたというか、名前だけ知ってたのがちゃんと定着した感じ)、先にこっちを読んでいれば、これまでの読んだ本で地名で苦しんだりせずに済んだかなぁと少し後悔した(いや、今まで苦しんだからこそ、この本が苦痛でなかったともいえるかな?)。

最後に、本題とは全く関係ないのだけど、港の類型は参考になった。

港のタイプ 地形 メリット デメリット 中世の代表港
室・池型 海岸線から円弧上に湾入・周囲を山が囲う 風待ちがしやすい 直航可能になると廃れる 備前日比、備後鞆
水門(みなと)型 河口にできた入江 内陸へのアクセス 砂で埋まる → 港湾機能を失う 安芸高崎、讃岐宇多津
瀬戸・水道型 島と島に挟まれた水路脇 幹線航路へのアクセス 強いて言えば素人には危険 下関、上関、尾道、牛窓
砂嘴・砂洲型 河川が運ぶ砂礫が天然防波堤になる 波が静かで、干満の差があまりない - (干満が激しい瀬戸内海には少ない)豊後杵築、淡路由良

古い港を訪れたら、分類してみるとその機能がよくわかるかも。